執筆大好き桃花です。
本日は、過去に私が書いた恋愛の詩をお届けします。
同系統のものをアルファベットでまとめます。
すべて独立した作品ですが、順番にお読みいただくとストーリー形式になるようにしてあります。
ぽえむ【恋愛】A⑫『私は湖』
私は湖
多くの言葉を知らない私には あなたに送るべき葉も探せずに 繰り返し同じ想いを叫んでも 夜の藍色に溶けていくだけ 水面だけしか滑らない月のように あなたは私の想いの深さなど 覗くこともできないんだろう 溢れる流れは溜め息でしか表現できない 底に沈んだあなたとの思い出の小石達 私は「愛してる」とさえ言えない湖 あなたの居場所を知らない私には あなたに伝えられる機会もなくて ……あぁ 機会もなくて 変わらない日常が憂いを含んで 私の心を空に吹き上げる あなたの笑顔を表面に映すだけで ずっとずっと深いところから 澄んだ気持ちが湧いて出てくる 水で満たされた私にはもう泣くこともできない それでもあなたの声に一面に広がっていく波紋 私は一人の人間を愛した湖
あとがき
人は癖の集合体
人には大なり小なり癖というか習慣があって、癖があるからこそ個性を形成していると言える。逆に言えば、人はいくつものおびただしい数の癖もしくは習慣の積み重ねで出来ており、思考、反応、言葉、動作、性格、身体的な点でも精神的な面に於いても、あらゆる癖の集合体が人なのである。そして、特定の条件下でその癖が発動する状態のことを、〝法則〟と言う。
外部からの同じ刺激に対して取る反応が個々人によって微妙に異なるように、その法則は一人一人によって違えど、特定の個人を注意深く観察すると、ベルを鳴らした時のパブロフの犬のように、同一の反応によって人は報いるようである。
ミスをした人に対し、怒りやすい人は「なんでだ!」と怒鳴り、優しい人は「そういうこともあるよね」と共感する。そしてそれらは場所や状況が変わっても同じような反応で繰り返され、その思考や行動の積み重ねがその人となりを形作っていく。怒りやすい人は自分(内)から怒りという反応を重ねることによって周囲(外)からも「怒りやすい人」という認識を受けることになり、自己認識も外部からの認識もその面が強化されていき、確固として「怒りやすい人」という人物像として固定されていく。
~人は癖という粒によって構成されている。~
苦しすぎると比喩したくなる法則
というしかつめらしい前置きはさて置いて、本題に入る。過去の詩を振り返り、自分の脳みその中をスキャンすると、気持ちが苦しくなると思考や執筆の表現で比喩率が格段に上がることを発見した。これは私個人の法則なのか、もっと大衆的な巨大法則なのか。言葉にすることは難しいけれど、思考が遠くなる(「このまま私は宇宙になりそう」)、というか、誰にも理解されないだろうという深い奥底にいく(「このまま私は海になりそう」)という表現になる(いずれも「」内は『もしも願いが叶うなら』より)。ぼうっと霞がかった脳内が、どんどんわかりにくく抽象的な、誰に届けるでもない周囲の目からも遠ざかった曖昧さに逃げ込もうとする。
苦しい時にその人の真価が知れる、ということがよく言われているけれど、そうなると私の場合、どういう分析結果になるのだろう?
苦しい → 比喩 → 意味不明子ちゃん?
苦しい → 比喩 → 他の物事に置き換わってみたくなる?
苦しい → 比喩 → ・・・・・・?
いずれにせよ、ちょっとアブナイ脳内になっていることは確かなようだ。
他にも私の法則として、
①人間的なもので言えば、
・疲れる → 甘い物を食べる。
②最近気づいた発掘ほやほやのものでは、
・寂しい → あえて時間を無駄遣いする。
③なぜそうなるかわからないシリーズでは、
・泣きたくなる → くしゃみが出る。
がある。
③(なぜそうなるかわからないシリーズ)は聞いてみたら人の数だけいろんな法則がありそうだし、涙腺が中で繋がってるならくしゃみが出る理屈も説明がつきそうな気もする。でも私の身の回りで同じような人にはまだ巡り会っていない。
「なぜそうなるかわからないシリーズ」がある方はぜひ教えてください。
by.最近くしゃみばかりの桃花
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