筆者
執筆大好き桃花です。
今回も、中学生時代に自分へ向けて書いた詩をお届けします。
拙いけれども温かく見守ってくだされば幸いです。
ぽえむ【人生】⑧『顔を上げて』
顔を上げて
歩いても歩いても なかなか光が見えてこなくて 立ちはだかる壁に必死に挑戦してるのに いっつも失敗ばっかりで 今自分のしていることや 今まで自分のしてきたことが 何もかも 無意味に思えて 歩き続けるその足も 歩こうと思ったその気持ちさえ 全て止めてしまいたくなるときがあるよね 考えても考えても 結局涙しか出てこなくて 何が悪いのか 何を責めたらいいのか見当もつかないまま 涙を拭いてもう一度頑張ってみるけど やっぱりうまくいかなくて 自分の持っている力も これから自分が手にするだろう力も 全部 無力に思えて 自分のしてきたことも 自分の可能性までも 疑って信じられなくなるときがあるよね そんな まるで何も見えないときも 絶望という言葉が頭をかすめるときも 太陽はいつでも 世界を照らすために昇ってくるから ――顔を上げてごらん。 空を見上げてみよう 誰も君を見ていなくても 頑張る君に 風は優しくそよぐから 空が暗く 泣いていても ずっと見上げていてみよう たくさんの光が 大空に虹という橋をかけるから だから君も 太陽のように生きてみて 明るく輝いて そして決して諦めずに いっぱいいっぱい泣いたあとは それだけ綺麗な虹に変わるから 強く優しく 太陽のように生きてみて ――さぁ 顔を上げてごらん。
あとがき
こんなふうに、言って欲しかった。
共感して寄り添って、しっかりと温かく包み込んでから、何の根拠もないけどただ笑顔で励ましてくれる。
どんなに落ち込んで、優しい言葉を何度かけられても信じられなくても、
どんなに荒くれて、差し伸べる手を乱暴に振り払っても、
何度も何度も、めげずに「大丈夫だよ」って言ってくれる大人。
けど大人も人間だから、そんなことしてる暇ないくらいに忙しくて、自分のことで精一杯。
結局、周りに助けを求めることの出来ない子どもは、自分の中にいるもう一人の自分からしか、そういう言葉をかけてもらえない。
この詩も、そのうちの一つ。
でも今は、過去にそういう思いを欲しながら大人になった私が、本物の共感や理解を伴いながら、
繰り返し落ち込んでしまう誰かの気持ちに寄り添えたらいいな。
もし私のブログを見つけて読んでくれる人がいるなら、その人の悩みや迷い、ほんの少しでも緩めてあげられるような、そんな場所になったらいい。そういう気持ちだけで載せてる。
中学生の頃の詩だから、拙いし、薄っぺらいし、ただのキラキラメッセージにしか見えないかもしれないけど。
でもその希望を捨てられない無邪気な子どもの頃に書いた詩だからこそ響くメッセージもあるんじゃないかと思うので、あえてそのまま出しておく。
白桃ちゃん
拙い詩のどれかが、誰かの心を少しでも軽くすることを願って。
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