桃花ぽえむ【憂鬱】①『楽になりたい』

筆者
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憂鬱な時に書いた詩です。

出来れば表に出さない方がいいのかもしれませんが、

苦しい人にとって、〝共感〟の力となる可能性を信じてあえてアップします。

ぽえむ【憂鬱】①『楽になりたい』

楽になりたい
頑張っても頑張っても、
うまくいかない。
〝努力が報われないとしたら、努力が足りないか、方法が間違っている〟
そんな言葉に背中を突き飛ばされるようにしてめげずにチャレンジしてみるけれど、
やっぱり結果はついてこない。
――自分は努力量が全然足りない。
そう思い悩んで、ダメな自分をとことん責める。
――いろんな本や情報を読んで実践しているのに、方法が間違ってる?
何が正しいのか、これまでやってきたことは何だったのか、全くわからなくなって、
もう、一歩さえも突き進む力が出せなくなる。

疲れた。
歩くこと、本当に心底疲れたのに、
どんなに休みたくても、人生は止まってはくれない。

昔からそうだった。
私は何をやっても、周りの人達のように飲み込みがよくなくて、置いていかれる。
「あなたは長時間やってる割には、全く進歩がない」と窘められる。
私は私なりに、出来る精一杯のことをやっているつもりだけど、
それが世間一般と比べて、破滅的に成果に繋がらない。
他人の十倍百倍必要だってわかってるからそのつもりで向き合ってみるけれど、
やってもやってもほんの少しさえも変われない自分に自己嫌悪を抱く。

周りでは当たり前のように、家族を築いてる。
もちろん、それぞれに事情や悩みがあるだろうし、そのすべてが幸せに満たされてる訳ではないにせよ、私はその入り口にも立てない。
「結婚してるからと言って幸せとは限らないよ」と仲良し家族の奥さんは言い、
「付き合い長いから扱い雑で」と彼氏の話ばかりの知人は愚痴る。
私はなんて返事をしたらいいかわからなくて、曖昧に微笑む。

自分は心が弱いからと、その分悩みに懸命に向き合ってきた。
夢中で勉強したり情報を得たりして、弱い心をすり減らしながらも果敢にチャレンジしてきた。
それでも他人にとっての当たり前も私には相当レベルが高くて、
必死に背を伸ばして追いつこうとするけれど、
気づくと心のアキレス腱はぷつんと切れて立てなくなってる。

いっぱいいっぱい笑顔をもらって、たくさんたくさん恵まれてきたはずなのに、
ふとした時に頭に満ちるのは、
私の心を突き刺してった言葉の数々。
目の前に叩き付けられた怒りの表情。
その時ショックのあまりに瞬間冷凍した、心の痛み。
どんなに記憶が薄れていっても、いつまでも消えることはなくて、
10年以上経った今でも、心にたくさんのナイフが滑る。

最も苦しいのは、そういうことを、
これから何度も繰り返してしまうということ。
また元気になって復帰しても、悩んでいたことを忘れるくらいに過去になっても、
またいつかとどん底にいる自分に気づく時が来る。
幾度もメンタルのことを学んで心のトレーニングを積み重ねて実践しても、
やはり気づくと同じ穴に捕らわれる。
この絶望がこれからもずっと続くなら、
早く楽になりたい。
楽になって、人間界のしがらみからも解き放たれて、
心も持たずにただ過去の足跡になりたい。
こんな苦しみはもうたくさん。
もうたくさん、と泣いて泣いて、巡り巡って何度も同じ場所に戻ってくる。
どうしてなんだろう?
どうしてなんだろう、と思っても、誰も答えを教えてくれない。
あがいてももがいても、良くなっていく気配はない。
気休めの処置と、上っ面の解決と、暫定的な忘却だけで、
すべては一時しのぎ。
私が私でいる限り、この苦しみからは逃れられない……。

人生が止まってくれたら楽なのに。
やっと私は安心できる。誰も私を傷つけやしない。
他の人がどう思うかとかやり残しがあるとかそんなことよりも早く、
ただ、楽になりたい。

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特定の誰かへの攻撃や侮辱はお控えいただきたいですが、落ち込んでる方、憂鬱な方はコメント欄使って吐き出してみてください。苦しいのは、あなただけじゃないですよ。

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