桃花ぽえむ【恋愛】A⑰『たった一人で』

筆者
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執筆大好き桃花です。

本日は、過去に私が書いた恋愛の詩をお届けします。

同系統のものをアルファベットでまとめます。

すべて独立した作品ですが、順番にお読みいただくとストーリー形式になるようにしてあります。

ぽえむ【恋愛】A⑰『たった一人で』

たった一人で
こうしてシナリオ通りに消えゆく夢に 心を真正面からぶつけてきた
あとに何が残されたのかは
今の私には見えない

    たった一人であなたを想って
    あなたの元へと伝わることはもうきっとないけど
    あの空だけは私のことを 静かに優しく見つめてくれる


結局告げられなかったこの気持ちだけど 今までで一番大きく育ててきた
“恋”だと名付けていいのかどうかは
今の私にはわからない

    たった一人であなたを想って
    この苦しみも悲しみもかき消すことはまだ出来ないけど
    あの風だけは胸のイタみを ゆっくり穏やかに撫でてくれる

    たった一人であなたを想って
    この深い願いもあとは消えてしまうだけだけど
    あの月だけはこの切なさを 夜の光に変えてくれる
    これまで流した一人の涙を 流れ星へと変えてくれる
    誰かの願いは叶うようにと

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あとがき

失恋から得るもの

失恋を経て、人は一体何を得るんだろう?

身を切る程のツラい経験に意味があるとしたら、人はなんて意味づけをすればいいんだろう?

成長? 思いやり? 懐かしい思い出? 自分を見つめ直すこと?

確かに得られるものもあるのかもしれないけど、心に強烈に刻まれる傷というものの大きさも決して無視は出来ないと思う。自分を責めたり、無気力になったり、人間不信になったり、罪悪感に責め立てられたり、自分が嫌いになったり、人生を呪ったり。

どんなに回復したと思っても、その傷は無意識の足枷となって、後々の私達の行動に制限をかけてしまう。笑顔や明るさを求めたくても勇気が出なかったり、幸せや愛情を求めるのが怖くなったり、相手を信頼することが出来なくなったり、自らストップをかけてしまったり……。

古今東西、失恋について数多くの人がいろんなことを言ったり表現したりしているけれど、それらが人に与えるものは共感であって、教訓ではない。

失恋の意味づけ

確かにこの時はわからなかったし、今でもよくわからないけど、失恋があったことは事実で、その事実に感情が反応している限り、無意識にでも何かしらの意味づけをしてきたのだろう。意味づけはいつでも、振り返って行うもの。そしてその時々の自分の状態によって、様々に変化するもの。

まぁ結局、月並みな言い方だけど、失恋を経験するから優しく、深くなれるのかな。

じゃあ〝優しさ〟をゲットするために進んで失恋に突っ込めるか、と言われたら無論そんなことはなくて、〝優しさ〟や〝深さ〟と同時に〝傷〟とか〝諦め〟とか〝絶望〟とかももれなく頂戴してる訳で、果たして「得るものは大きい」と言えるのかどうかは疑問。

まぁ私の場合は、記憶だけでなくこうして文字にも残っている訳で、私の大好きなよしもとばななさんもおっしゃってる通り、あの頃に書いた自分の文章を読むと、他のいかなるものよりも圧倒的にあの瞬間の気持ちにタイムスリップしてしまう。そこにはがむしゃらだった自分や夢中だった自分、なんとか自分を説き伏せようと必死だった頃の自分や、どんなに言葉を尽くしても表現出来ないあらゆる感情とかがきちんと乗っかっていて、当たり前だけど他の誰よりも寸分のズレ無く共感する。

過去の恥ずかしい詩を読み返すと、どんなに頭ではその失恋を清算出来たと思っていても、きちんと心がわかりやすく〝ジクッ〟と痛んで、懐かしさと愛おしさが湧いてきて、いくつもの成仏出来ない痛みを抱えながら生きていく人間の儚さを感じる。

日記を書いている人はそれに近い(というかそれ以上か)感覚を感じると思うけど、ろくに文章に残している人は実はそう多くないと思うにつけ、時々こんな〝ジクジワッ〟とした感傷を味わえるのもまた文章に残す醍醐味の一つだと思う。他の人にしてみればただの文字の羅列でも、本人にとっては大切な気持ちの連なり。……日記ノススメみたいになってしまったけど、自分の心の軌跡を残しておくのも素敵なことだよ。

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