※ぽえむシリーズは主に10代に書いていた詩をアップしていますが、21以降は最近になって書いた詩(最新の詩)です。

執筆大好き桃花です。
昔から詩を書いてたのだけど、なんで「ポエマー」って「イタイ人」の代名詞みたいになってるんだろう。厨二病引きずってる人みたいなニュアンスがあるよね。
シンガーソングライターとかだと共感・称讃を浴びるのに。
ぽえむ【人生】22『居場所』
画像ver.
今回は画像ver.のみのアップにしてみます。

「字が綺麗です」みたいなコメントいただいたことがあるけど、フォントです笑。
私はもっと男風な文字ですよ。
あとがき
一人でやってると、あとがきが「ネガティブ独り言」もしくは「孤独犬の遠吠え」みたいになっちゃうから、もうどういう風に書いたらいいのかわからなくなってるので適当に(「気負わず」くらいの意味)書く。前に書いたの忘れて何度も同じ事言っちゃう人だから、かぶってたらごめん。後で全体見直して整えます。
詩に限らず、音楽も文学も絵画も、およそ表現というものをする芸術は、それを生み出す、続けるためにエネルギーが必要だけど、圧倒的にネガティブな要素がパワーやきっかけになると感じている。
そういう意味では、悔しさをバネにして起業するとか、劣等感や自己嫌悪を払拭したくて学業やスポーツに打ち込むとか、そういったものと似ている。苦しい感情をなんとかしたくてギターをかき鳴らしたりイラストに没頭したり狂ったように勉強したりする訳で、詩もそのうちの一端に過ぎない。
要は涙みたいなものだ。溜めてたらツラいよね。だから感情を流す。それが詩だ。
好きで好きで仕方なくてその結果漫画家なっちゃいましたとか、楽しくやってたらお笑い芸人なってましたとか、ハッピーの先に実りが結実するルートが昨今の主流というか正解っぽくなってるけど、そればかりでもあるまい。確かにすごく健全なことだし、易きに流れる人間の耳にはなんと心地よく響く説得力ある文句だろう。
いいなぁ、本当にいいなぁ、そういうの。
私も歯を食いしばって忍耐の上に忍耐を重ねて、というよりも、そういう方が問答無用で好きだけど、詩を書く時はもう比べるまでもなくネガティブ感情の発露ばかりがほとんどだから、私はネガティブ発端系に分類されるのかもな。結実するようなことがあっても、茎の上には巌とか咲きそうだ。
でも、そういう個人的な苦しみが、何かのきっかけで誰かの心にちょっと触れて、ほんのわずかでも短時間でも気分を軽くすることはないのかな、って思って、こうやって出してる。
この世のたくさんの人の苦しみ、劣等感、悔しさや虚しさ、悲しさ、許せない気持ちとかどうにも出来ないツラい気持ちなんかが、いつか優しい光に変わりますように。

つまるところ、あとがきの最後の一文が、私がずっと書き続けている信念のような気がする。
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