[無料]自作長編小説 『戦乱虫想(せんらんむそう)』 第5章 蜻蛉族

アイキャッチ(戦乱虫想5) 長編小説
筆者
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執筆大好き桃花です。

大昔に書いた自作小説の第5章です。

拙いですが、温かな目で見守っていただけると幸いです。

【注意事項】

著作権の都合上、無断での商用使用や販売などお控えください。リンク掲載や権利者明記の上での拡散等はお断り無しでOKです。個人で活動していますので、何か少しでも感じられた方は応援や拡散等していただけるととても励みになります。

本作は、2012年に新人賞に応募(落選)した自作長編小説を一部修正したものです。つたなく恥ずかしい限りですが、自分の成長過程としての遍歴を綴る、というブログの理念から勇気を出して公開します。

『戦乱虫想(せんらんむそう)』あらすじ

目を覚ますと、俺は虫達が闘いを繰り広げる戦乱の世にいたーーー。思った事を現実化させる不思議の術を持ちながらも、自分が何者なのかわからない。

現世に戻れる方法を模索しながら、自分の〝族〟を探す旅に出る物語。エンタメ系。

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第5章:蜻蛉族

その1

 なだらかな傾斜を道なりに上っていくと、簡素でさびれた門が我々を待っていた。門から両側に伸びるように柵が立っている。これが村と外との境なのだろうが、他族でも襲ってきたらひとたまりもないような、古びた仕切りだった。外からは簡単に中を覗くことができる。そこには藁葺わらぶきの家が軒を連ね、いくつかの集落を形成していた。人の姿は見あたらず家以外には土と草しかなく、空っ風が村をふゅうふゅう駆け抜けていた。

「不用心な村だな」

 言うなり胡蝶こちょうは中へ入っていこうとしたので、俺らもガチャガチャと重装備を鳴らしながら彼女についていく。

 すると村の中から、女の集団が何かを囲むようにしてこちらに歩いてきた。やっと話せそうな人と会えたので安堵し、彼女らと視線が合うのを待った。

「おやー?」

 見ると女に囲まれて、一人の青年が目を丸くしていた。サラサラとなびく前髪の下にのぞく小さな瞳をいっぱいに広げて、こちらを見ている。背も低く優形やさがたの男だったので、女に囲まれていても見分けがつかなかったのだ。身にまとう衣装はしっかりとした生地きじではあるが飾り気一つなく、色せた茶色の布にうっすらと金箔の粉がかれただけのデザインで、こすれ合うたびにカサカサと落ち葉みたいな音がする。黒っぽい帯で着物をあわせ、足には足袋と草履ぞうりを履いていた。彼女らはこの男の付き人だったようた。彼は初対面なのに臆することなくにっこり笑った。

「ようこそトンボ族の村へ!」

 男はぴたりと寄り添う女達に満面の笑顔をそのまま向け、

「珍しい! お客さんだ!」

 と明るい声を撒いた。再びこちらを向いた彼は、最も近くにいた胡蝶をしばらく見ていたが、すかさず彼女の手を取ると、ぎょっとする俺らには見向きもせずに自分の手を重ね合わせ、胡蝶の目を覗き込んだ。

「はじめまして旅のお(かた)。あまりに綺麗だから見入っちゃった。僕の名前は秋津(あきず)。君は?」

 気安く触られたのは生まれて初めてだったのだろう。胡蝶は目をぱっと見開いたまま固まってしまい、その場からぴくりとも動かなかった。恐ろしさにすくんだ俺は強張る体を目一杯に前進させると、軽率けいそつな男にわなわな警告する。

「お前、胡蝶に触ると殺されるぞ……」

 すると彼は状況把握に一厘いちりんの努力も注ごうとせず、

「胡蝶って言うんだね! すっごく素敵な名前! 凛々しくて華麗で君らしいよっ!」

 とはじける笑顔をパッと散らした。胡蝶は案の定眉をびっと釣り上げると手を振り上げたので、はたいた右手を俺が制止した。

「やめとけ、まだ子どもだ」

 叩かれたところがジンジン痛む。女の癖に、暴力だけは男にも引けを取らないから扱いが大変だ。

 秋津と名乗った不埒ふらちな男は目をぱちくりし、首をかしげたが反省するでもなくまたにこにこ笑った。笑えばますます幼く見えた。

「君達、ここにしばらくいなよ! 僕が村を案内するから。こっちついてきて」

 取り巻く女性を引き連れて振り返り、秋津は楽しそうに彼女達と話をしながら歩いていくので、むくむくと怒りが込み上げてくるのを感じた。

「お前さぁ、一体なんなの?」

 え? と横を向いた秋津は笑ってなければなんの魅力も感じられない、平凡な顔をした目の小さな男にすぎない。こんな男になぜ、これほどの女達がついて回るのか。

「僕ねぇ、頭首の息子なんだよ」

 トウシュ? と俺は大きく振り返り、言葉の意味を尋ねてみた。

「ああ、小さな集落の(おさ)みたいなものだな。私よりは格下だ」

 胡蝶は軽蔑の眼差しを真っ直ぐ前に向けて歩いていく。

「市長の息子みたいな感じか」

 ポツリと呟いた言葉を拾って、秋津が「なぁに?」と顔を覗いてくる。

「コイツは時々意味のわからんことを言う」

 胡蝶の突き放した言葉を、否定することも補足することも面倒になっていた。

 俺は気持ちを切り替えて、秋津という男を囲んで離れようとしない女性達に向かい、思うところを聞いてみる。

「コイツが好きで一緒にいンの?」

 パッと横を向いた一人の女は、ほんのりと頬を赤く染め、目でイエスの合図をした。

 まぁ、好いた惚れたは人の自由、って言うし、俺にはなんとも言えないけれども。

 少し前では既に秋津が、胡蝶に満面の笑みを向け、しきりに色々聞き出そうとしていた。笑顔のレパートリーを様々に変えながら大袈裟とも言えるリアクションをしている彼は、演技なのか素なのかわからなかったけれども、胡蝶と歩いていく様子だけをとれば、すごく穏やかで幸福な場面を見ている気がした。そんな彼に嫌な顔一つせず、当たり前のように従っていく女達。

「みんなアイツと付き合ってるっていうことなのか? ここじゃ一夫多妻制とか?」

 振り向いた数人の女性達は華のようにくすくすと笑い、

「私達は皆、秋津のことが好きですわ。秋津もまた、私達一人一人のことを好きですのよ」

 と答え、周りの女も笑顔で賛同を示した。

 前を向いたとき視覚に入る秋津と、彼をうざったく感じている胡蝶との二人を見ると、彼のことが好きだと言う女性達が可哀想に思えてくる。

「へぇ。蝶族の族長さんの娘さんなんだね! どうりで威厳いっぱいだと思ったぁ!!!!」

 胡蝶はぴったりと付き添い自分の顔を見上げて話しかけてくる秋津を、蹴散らす様子もなく適当に相手しているようだ。

「えへへへへ。だって君、綺麗なんだもん」

 時々聞こえてくる秋津のデレデレとした言葉。ガキの癖に、ちょっと掠れた声で語尾を鼻にかけたりするこなれたテクニックにはゾッとする。

「今度紅葉山まで遊びにいこ? 二人で」

 かー、っと、頭に血が上りそうな、気がした。見ればヤツの満面の笑み。いくらなんでも出会って数十分、慣れ慣れしすぎだろ。

 胡蝶はツンとして己より身分の低い男には無関心だとばかりそっぽを向いている。彼女の(したた)かな気質に、今日ばかりは爽快感を覚える。

「ふふふふ。胡蝶ってさ、クールだね~」

 甘えるような声で耳元を撫でられると、さすがの胡蝶も突き飛ばしたりはできないらしい。口の端をさらに引き締めるけれど、どう応じていいのか困惑しているみたいだ。俺はもう見てられないので、蝶族の部隊の男と当たり障りない平凡な話を敢えて大声で交わしたり、薄紅に話しかけたりしていたが、ヤツが気になって仕方なかった。俺なんか間違ってぶつかっただけでも激しい平手打ちを食らうのに、秋津はあんなにデレデレと胡蝶に寄り添って、ムカツクくらいキラキラとした笑顔を振りまいている。ああ俺だって女の子をあんな風に気軽に誘ってみたいという欲望が男たるもの腹の底には眠っていて、しかし周囲からの視線とか、俺はそんな不埒なことはしないっていうキザなプライドとか見栄とかでかろうじてその欲望を押し込むことに成功しているけれど、アイツはそのバランスを見事に乱していくのだ。しかも感情表現が素直なことが結果として女性を籠絡(ろうらく)していることに本人が気づいていないということが、ますます俺の男心を逆撫でした。もちろん胡蝶をデートに誘いたいとかいう意味ではなく、秋津が無邪気に女を誘惑していることが、間接的に俺を挑発しているのだ。こういう時には胡蝶に強い仲間意識を抱いてしまう。

「ねぇ君達、今日はこの村に泊まるんでしょ?」

 くるりと振り返ったかと思えば、秋津は俺らに向かってそう問うた。俺には決める権限などなく、部隊の男達も同様だった。秋津の一番近くにいた胡蝶が口を開く。

「まもなく夜だしな。一晩休ませてもらるなら助かるが」

 胡蝶に返事をもらったことに対し、秋津は嬉しそうに歯を見せて笑った。

「そんな、一晩と言わずにずーっといなよ。ここは他の村からも遠いし、滅多に襲われることがないから、安心だよ! それに君達、戦の部隊なんでしょ? 誰か来たら守ってよ」

 男達の間でしらけた空気が流れた。

「自分の身は自分で守るものだ」

 胡蝶の突き放したような言葉は、ちょっと耳にすれば残忍に聞こえるが、この世界では当然の事実だった。いつどこで、誰がどのように襲ってきてもおかしくない。近しい人を守ることさえ困難で、最低限自分の身を守っていくことしかできない危険で冷酷な世界だ。俺の特殊能力を以てしても、大勢の仲間を救えなかった。初めの頃は浮かれすぎていた。今生きてることでさえ、幻のようだ。

「ええー。いいじゃん。僕ら戦なんてできないんだよぉ」

 なんて子どもな。現実の厳しさを見せつけてやりたくなった。紅い血の海に倒れてゆく仲間と敵、横たわる無念と怨念、武器のぶつかり合う凍り付くような残酷な音、戦い終わった後の魂を抜かれる程寂しい戦乱の跡。コイツの点とした目には、それらが少しは(つら)いものとして映るだろうか。

 秋津はにっこりと愛想良く笑い、からりと晴れた太陽の声を出した。

「でも今日来てくれてよかった、ちょうど今夜は節日の(うたげ)の日だよ! 君らも招待するよっ! 絶対おいでね」

 ねっ、と秋津は傍にいた付き添いの娘に笑いかけた。こいつは本当にどんな女にでも媚び売るんだ、と呆れ返り、ヤツ招く宴会なんて行きたくもなかったけど、酒と聞けば他の男達がイヤと言わないだろう。

「胡蝶も見に来てねっ!」

 フンと鼻打ちした胡蝶は秋津を一瞥いちべつしてから、考えておこう、と上から目線で言い放った。

その2

 小高い丘陵きゅうりょうを越えた窪地くぼちに、やたら大きな建物があった。

 朱塗りの門柱がどんと構え、仕切りは細木ではなくしっかりとした石造りの塀だ。見上げるほどある門の前に立ち、俺達はおお、と感嘆の声を漏らした。さあ、どうぞ、という秋津のちょっと自慢げな声を合図に重々しい門が奥に向かって開く。秋津を先頭に娘達の後を追って中へ入ると、内側から開門したと思われる家来の者が、左右に控えて敬礼していた。

 昔貴族達が住んでいたとかいう屋敷のようだった。庭とは思えない敷地の広さといい、中の建物の手のりようといい、身分の高い者だけが住まうことを許される、立派な建物だ。隅に生えている松や檜がちゃんと手入れされているのがわかる。だが建物は何と言ったか。何とか時代の、何々(づくり)。日本史だけは得意で、生涯忘れることなどないと思っていたのに、どうしても思い出せない。なんでだろう。少しずつ薄れていく。思い出そうとすればするほどイライラするばかりで、記憶はちっとも蘇ってこない。

 ずらりと並んだ席の中で、前方のいい席を与えられた。その中でも正面に向かって真ん中という一番いい席に通されたのは胡蝶だ。秋津は真っ先に胡蝶だけを座らせると、俺らには構わずスタスタと奥へ下がってしまった。胡蝶はその待遇を当然と言わんばかりの高慢な顔つきで既に腰を降ろしている。彼女にずらずらとついてきた俺達は、適当に目の前の席についた。(ふすま)を開けて入ってきた侍女が配膳する。並べられたのは数々の皿と器だ。漆塗りの豪華なお椀から温かそうな湯気が立ち上っている。

 酔いも回り始め、笑い声も上がるようになった頃、正面の()に両脇から畳をこすって娘達が現れた。きちんと前後二列に整列し、等しく頭を下げて待機した。きらびやかな着物が彼女達をますます美しく飾り上げている。蜻蛉族の年寄りなどはとうとう始まったかと胡座の向きを変え、ステージのように一段高くなっている()に各々目をやる。蝶族の男達は何が始まるのかよくわからないといった様子だったが、俺だけはなんとなく見当がついていた。これから歌か舞の一つでも、と思っていたら、陰から現れたのは、ずっと姿を見せずにいた秋津だった。

 目を奪われる程美しい衣装を身に纏い、秋津はおそろしく綺麗だった。心の奥まで透かしそうな薄い羽衣が青い着物を優雅にくるみ、秋津の動きに合わせてキラキラ光った。雲一つない真っ青な空に飛び交う太陽の日差しのように優しい装束。凛々しく穿きこなされた鈍色にびいろの袴は男らしさを象徴し、しとやかな女性のようになめらかな上衣とをきちんと帯で結わえつけ、彼を敬虔(けいけん)な神の使者のごとく映し出している。

 彼は悠々と正面中央まで歩み、ちょうど真ん中で髪の毛を振ってこちらを向くと、一つ、頭を下げた。合わせて周囲にいた娘達も、正座をしてさらに深々と頭を下げた。秋津のお辞儀は(いき)で潔い、清廉された軽い礼で、これは何かしらのものをやっているな、と窺うことができた。顔を上げたときの彼の、きりっとすがすがしい表情に、俺も思わず息を止めて見つめてしまった。畳が異様に青く見えた。

「各集落を束ねておられる首長の皆様、そして、遠くはるばるいらっしゃった蝶族の皆様方、本日はご出席いただきまして心より感謝申し上げます。楽しんでおられますでしょうか? さて、この場をお借りしまして、我々〝秋の調べ〟より、舞をご披露させていただきたいと思います。〝燕楽(えんらく)希求ききゅう〟」

 耳慣れぬ言葉を合図に、彼らは舞う体勢に入った。秋津の美しい着物がきゅっとこすれて空気を刹那せつな、止めた。ぴんと張り詰めた一瞬の時の意気込みに、心が引き締められる。

 思わず視線を盗まれた。踊りに入る直前の秋津の表情。押し寄せてくる鬱情とさざめき合う生命のともしびとの間に立ち、怒りでもなく、悲しみでもなく、困惑でもなく、それらを遙かに超越した場所から見下ろすように、しかし決して見下しているわけではなく、哄笑こうしょうしているわけでもなく、彼は無の空間にふいとその表情を飛ばした。俺も知らない名前の感情で、彼はかすかに笑った。あでやかで抜き取られそうで、自分の魂のありかを確認してしまう。心の底から震撼しんかんした。

 コイツは一体なんなんだろう。身をひるがえして躍っていることは周りとなんら変わったところはない。だが明らかに、他の踊り子とは何かが違うのだ。彼を見ていると、とてつもなく大きなものを一瞬で叩きつけられる気がする。たぶんそれは、果てのない悲痛に近いだろうと思う。その部分をまともに見ていたら、胸が砕けてしまいそうになるくらい痛い何かだ。だがそれを、彼は笑顔でなんともないかのように軽々と踊っている。その落差があまりにも激しくて、真空の空間ができ、苦しみや辛さがすべてそこへ吸い込まれてゆくのを、まるで楽しんでいるかのように秋津は舞っている。言葉にできないその部分を俺の中で読み解いていたら、ちらり彼と目が合った。わかっちゃったんだね、と言われそうな気がしたが、俺のテレパシーを以てしてもそこまで思っていたのかわからないほどすぐに彼は目を他へ向けていた。

 いつの間にか部屋のずっと後ろの方に、大勢の娘達がひしめき合って立ち並んでいた。皆手を握りしめて、食い入るように正面を見つめている。視線の先には、秋津がいた。再度娘達を見回すと、頬を薄く染めながら、見惚(みと)れるように彼を見つめているではないか。ああそういうわけですか、とまた秋津の方を向く。だがそれもすっかり納得してしまうほど、彼の踊りは幻想的で(あで)やかで、他の者の目を一瞬たりとも離させなかった。

 床を蹴っているようには見せずにうまく飛び上がり、その場でふわりと回転する。彼は空中に浮かび上がると、制止できるようだ。その際彼の周りには幽霊みたいないくつもの残像がばらける。うっすらとやさしい彼の分身は、彼から少しばかりずつずれ、ますます秋津一人を幽雅に印象づけた。悲しみと優しさを込めた瞳をいくらか俯かせ、わずかに開いた唇さえも上品で、サッと身を翻すたびに栗色の長めな髪が揺れた。

 動きを止めるときの視線の置き方、着物を回すときの手のひらの返し方、着地したあとの身のこなし方、瞼を開けるときに時間を漂わす感覚、すべて申し分なかった。完璧を遙かに超えた踊りに、溜め息は漏れた。

 素人でもわかる。彼の踊りを目の当たりにできるということは、一生のうちで一度あるかないかというくらい贅沢で貴重な体験なのだ。すっと飛び上がって空中にふわり漂う彼の様子は、神の子のようで鳥肌が立った。

 周りの踊り子に目をやっても、やはり洗練された舞で、普通の人間ではできない動きの連なりだった。彼女達も超一流であることに間違いない。

 だが秋津だけはズバ抜けていた。誰も彼にはかなわない。周りの踊り子達が秋津の踊りを壊すことのないよう、必死に舞を盛り上げようとしてるみたいだ。

 舞子の赤や橙色の袖が色鮮やかに宙を舞い、秋津は空を飛ぶように光をくぐる。目の合う踊り子に薄い笑みを預け、無防備に惚れゆく娘の心をやさしく撫でるようにくるり後方転回する。悔しいけど、これじゃあ女もヤツに落ちるんだろう。遠くから一心不乱に視線を注ぐ娘達も、こんな舞い手に心奪われ周りも見えていない様子だ。

 だんだん勢いのついた激しい動きに移り変わり、踊りはクライマックスを迎えた。額に汗する秋津は無性に色っぽい。寸分の狂いも許されない厳しい世界を演じる中で、針の上に立つようなスリル溢れる懸命さに、また別の意味で心を揺さぶられる。手に汗握るような幾度の瞬間を越え、最後はバッと、最もすばらしいタイミングで踊りは止まった。

 轟音のような歓声と拍手が一度に弾ける。感動して放心する女性や涙の止まらぬ女性は数知れない。酔っている男どものテンションは最高潮に達し、顔を真っ赤にして秋津の名前を連呼し、賞賛した。秋津はというと、踊りが終わった直後にハアと大きな溜め息をつき、軽い疲労と闘っていたようだったが、会場にいる観客の喜ぶ様子を見て、自らもにっこり笑った。その笑顔はすでにすっかり子どもで、きらびやかな衣装が不釣り合いに浮き立ち、ますます不思議な感覚に捕らわれた。

 他の舞子は侍女の衣装に着替えて男達に酒をついでいたが、秋津は踊り終えた格好そのままで胡蝶の真向かいの席に陣取っていた。遠慮無く食べ物を口に運びながら胡蝶の顔を覗き込み、言葉をかけ、目を線にして笑っている。胡蝶は変わらず突っ慳貪けんどんな態度で秋津を突っぱねていたが、俺はと言えば先程の舞が頭から離れなくて、秋津をどう捉えていいのか迷走していた。目の前であどけなく笑う彼があの神秘的な世界を作り上げていたとは、今考えてみても実感が沸かないのだ。下手すりゃコイツ、俺より一回りも年下かもしれない。そんな秋津が女にふしだらだという事実がますます俺を混乱させる。

「お前、あの舞、習ってるのか?」

 素面しらふの秋津は、愛想良く笑った。

「昔は習ってたけど、今はもう、稽古はしてないよ」

 それだけプロだということか。

「ものすごい練習したんだろうな」

「いやー、サボってばっかりだったよ」

 横に控えた侍女に注ぎ足してもらった酒を飲み干し、上機嫌で秋津に声を投げかける。

「すんごいうまかった! また見せてくれな」

 秋津は無邪気に顔をほころばせて喜び、

「わー、ありがとう! そう言ってもらえるのが一番嬉しいよ!!!!」

 と朗らかな声を上げた。その表情を見たら、酔いがくるくる回ってきて、あとはどうでもよくなった。断片的な記憶の中で、侍女に向き合って延々と話をし続ける男や、舞の終わった舞台で大の字になって寝ている男、胡蝶と楽しげに話している秋津を見た。何を話していたんだかわからないが、時折目に入ってくる秋津の笑顔がずっと、霞む脳の中に映り出しては、思い出のように消えていった。

その3

 俺達は秋津の屋敷にしばらく厄介になった。あの舞を見て以降、皆、人なつっこい秋津と仲良くなった。彼は別に悪意や策略があるのではなく、単純に女と遊ぶのが好きなんだということが次第にわかってきた。毎日のようにコロコロ相手を変えては出かけたが、夕方頃には屋敷に戻ってきた。夕食時にはその思い出を、他の女の同席する場所でも臆せず楽しげに語った。いつくもの恨みを買ってもよさそうだったが、彼の明るくて無邪気な性格がそうさせないらしく、俺の見る限りでは女同士も皆仲がよくて、妬みや恨みはなさそうだった。

 一通り女達と出かけた秋津は、からりと晴れたある日、俺を呼び出した。

 ゴロリと寝っ転がっていたところに侍女がやってきて話を受けた時には何事だろうと驚いたが、拒まず求めに応じた。彼は女とでかける時となんら変わりない様子で俺を門前で出迎えると、歩き出した。

 秋津は上機嫌に鼻を鳴らしながら歩いていた。青空に吸い上げられてしまいそうな真っ青な衣装を着た彼は、頭の中まで晴天らしい。

「悩み事なんてないでしょ」

「あはは。よく言われるよ」

 軽蔑のつもりだったが当の本人はまるで傷つく様子もない。ストレスの溜まりようのない、実に羨ましい性格だ。

 澄み渡った空の下で秋津の鼻音だけが響く。俺はただついていくだけ。

 女と遊べばいいものを、一体何の目的で呼び立てたんだかわからなかったが、秋津の響かせる間抜けな鼻歌を聞いていると、いらぬ推測をすることさえ馬鹿馬鹿しくなってくるので何も考えないことにした。

 流れていく雲を見れば平和だった。のどかな田舎道を、何物にも邪魔されることなく歩く。この村にいれば、戦争や族探しに気を揉むこともなくのんびりいられそうだ。

「君んとこの武人さん、みんなに聞いて回ってるでしょ?」

 俺の族のことだ。かすかに揉上もみあげのところがぴくりとした。隠さず胡蝶が全部喋っているため、別に改まって話す必要もない。だが子どもの秋津にはきちんと説明していなかった。今更自分の族がわからないなんて気まずくて言えない上、しつこく質問攻めにされたら面倒だと思う気持ちが彼への返答を曖昧あいまいにさせた。

「ちょっと知りたいことがあって……。他の族でも、族長捜しからやってるんだ」

 秋津は太陽のような笑顔を見せた。

「なら、次期首長の僕に聞けばいいじゃん!」

 子どもに聞いて何になるんだ。暢気(のんき)な秋津にイラッとして顔をそむけた。

「あーれー?」

 あからさまに距離を置いた俺の態度に、さすがにヤツも気がついたようだ。意地を張って黙っていると、彼は詮索もせず、次の瞬間には忘れて周囲の自然にいこい、笑顔になった。また鼻歌が流れ出し、退屈な散歩は続くのだった。

その4

 人一人がやっと通れるほどの山道を抜けていくと、ややひらけた場所に出た。この場所に招待したのは君がはじめてだよ、とにっこり笑った秋津の向こうに、大きめの石が横たわっている。手入れされていると思われる整然とした石の配置と、どうしても押し寄せてくる厳粛な雰囲気とが、俺を閉口させた。

「僕の、恋人だよ」

 秋津が静かに呟く。

蜻蛉(かげろう)って言うんだ」

 目の前の岩の下に、美しい着物がはためいていた。秋津が舞をする時の衣装に似た、波のようになめらかに呼吸をし、風のようにしとやかで、陽光のように輝く薄絹だった。赤と黄色の織りなす綾模様の狭間に魂の煌めきが翡翠色ひすいいろに輝き、しばらく目を奪われていた。

「ほら、普通人が死んじゃったら、それまででしょ? あとは土に返るだけ。死んだ人のことなんてすぐに忘れちゃうのが虫の(さが)で、僕だって、彼女が死んだって痛くも痒くもなかったよ。でも最愛の人が死んでも何もないことに、次第に違和感覚えるようになっちゃって。けど誰かにそのことを話しても、相手にされるわけがない。それで、しょっちゅう二人で一緒に来てたここに、彼女の絹衣(きぬごろも)敷いてね、これを作った」

「お墓だね」

 しばらく返答がなかったので、秋津の方を見ると、きょとんとした表情でこちらを見つめていた。

「オハカ?」

 これまでの俺だったら、また無知な虫相手に、所得顔ところえがおで墓について滔々(とうとう)と語っただろう。だが俺は一呼吸おいて、努めて優しく穏やかに、口を開いた。

「大切な人が死んだら、悲しいでしょ? 悲しい、はずなんだ。その人のことを忘れないように、骨とかを埋めてさ、こうして石碑を建てて、納めるんだ。少なくとも年に一回はそこに出向いて、花とかを手向たむけて、冥福をお祈りする。こうして……」

 俺は墓前に合掌して目を閉じた。

「死後の世界でのしあわせを祈るんだよ」

 自分にできる限り丁寧に、お参りをした。目を開けたとき、自分の先祖にもこんなにしっかりと拝んだことがないと気づいた。

 横を見たとき、秋津は何をやっているのかさっぱり理解できないといった様子で俺を見ていたので、次の瞬間嘲弄ちょうろうで吹き出されるかと思った。だが秋津は、子供がはじめて見るものからたくさんのものを吸収するときみたいに、目をしばたたかせながら俺の言葉と行動を反芻はんすうし、ワッと声を上げた。

「ってことは、蜻蛉はシゴノセカイってとこで生きてるんだね!?」

 溢れんばかりの秋津の笑顔に魔法にかけられたようになりながら、俺は口を開いた。

「ああ。俺らの世界ではそう考えてる」

 たちまち秋津はワイワイはしゃいだので、墓前では騒がないものだけど、という言葉をすんでの所で飲み込んだ。無邪気に喜ぶ秋津も、かわいい奴だ。

 秋津はひとしきり喜んだ後、岩の前に向かい、俺がお参りしたやり方を一つ一つ思い出しながら、たどたどしく手を合わせた。しばらくそうして、秋津は何分も動かなかった。

 岩のようになった彼をそのままにして、俺はその場を離れた。遠くから振り返ってみても、秋津は死んだように静止していた。そのまま草を踏みしめて歩いて、風のよく当たる場所に出た。空を見上げたら、不意にいろんなことが頭にぼつぼつと浮かび上がってきた。雲がゆっくりと、東に向かう。ひんやりした空気が、遠くへ茜の頃を呼びにでかけた。

その5

 秋津のお祈りが終わりそうなことを感知した俺は、少し早めに墓石へと向かった。先程の広間に出ると、彼はちょうど顔を上げ、俺に気づいてにっこりした。

「すっごく久しぶりに蜻蛉とお話してみたんだ! 喋りたいことがいっぱいあってさぁ……。声は聞こえないけど、そういう場所に彼女はいるんでしょ? そう思ってたくさんたくさん話したの! なんだかホントに伝わったみたいでさぁ。彼女が笑ってる顔が、すんごく鮮やかに浮かんでくるんだよね。きっと彼女は生きてるんだね! いくら話しても尽きないんだけど、今日はこれくらい」

 秋津は本当に幸せそうに笑った。俺は誰かが、こんなにも眩しくはち切れそうに笑ったのを見たことがない。あまりに満ち足りている彼を見て、涙が込み上げてきた。

「ありがとうヨシヒト! 本当にありがとう!!」

 どれほど愛していただろう……。グッと来るものを押さえ込み、何気なく振り返った。瞼にくっきりと浮かび上がってくる秋津の笑顔を背中で見つめて、俺もどうしていいかわからない。

 今にも天に舞い上がりそうな薄絹を秋津の乗せた岩が引き留めている。吹き抜ける風がツンと鼻に染みて、ますます涙が止まらなくなる。

「彼女は生まれつき、体が弱かった。感性は尋常じゃないくらいすごかったんだけど、よく寝込んだりしてね。せっかくの大舞台ってときでも、具合悪くて台無しになっちゃったりしたことがしょっちゅうだったんだよ」

 秋津は俺を連れてせせらぎの脇まで来ると、草の上に腰を降ろして語り出した。

「誰と遊んだって、傍にいたって、僕の恋人は蜻蛉なんだ。

 他の()といるのは、楽しいよ? 二人っきりでいろんなとこ行って、思いっきり笑って、いろんなこと知るのは、新鮮で。

 でも、僕がずっとひたっていたいのは、蜻蛉と一緒にいるときの懐かしさなんだ。

 彼女とは、毎日山の中走り回って、植物と触れ合って、川の水にかってた。彼女といない瞬間なんて思い出せないくらいに、いつだって僕らは一緒だったんだ。妹みたいな存在だよ。

 彼女を見てると、子供の頃を思い出すんだ。いくつになっても、あの笑顔は屈託ない。そして、蜻蛉といる〝今〟がまた〝なつかしさ〟に変わって、少ぅしだけ大人になった僕がそのときを振り返ったとき、また、なつかしいな、って思う。それが永遠に続いていくことが嬉しくて、いつも彼女の傍にいた。楽しくてたまんなくてね。明日が来るのが待ち遠しくて、いっつも布団の中、ワクワクしながら眠りについてた。

 でもその感覚はどうしても、切なくて、狂おしかった。言葉じゃ言えないけど、こう、なんていうかね、常にもの悲しい感じが混じってたんだよね……。時々ふっと鼻を掠める秋風に気づくみたいにさ、目に染みる感じを思い出すんだ。そんなとき僕は、どうしていいかわかんなくなった。しばらく呆然としてると、その不思議な感じはいつのまにか薄くなって消えていて、僕は気のせいだと思うようにして、また蜻蛉との時間を楽しむんだ。

 なんでか、わかんなかった。でも理由(わけ)を考えようとすることも、その先に本物の悲しさが待っている気がして、怖くて、避けてきた。

 今思えばやるせない。

 彼女は止まったままで、僕だけが流れてく。どんなに望んだって、もう彼女と一緒にいることはできなくて、……いろんな()と遊んじゃう。悲しいよね……。自分じゃ選べない、虫界むしかい宿世(すくせ)なんだから」

 秋津は俺の目をしっかりと覗いてから、いつもの、にっこりとしたあどけない笑みを浮かべた。

 秋津は女と遊ぶのを心から望んで楽しんでいるものだとばかり思っていた。美人の娘達に囲まれた時の笑顔は、満面の光だから。

 でも今思えば、あのときのキラメキは、少しでも〝今〟を忘れたくて必死な、どうしようもない困惑の結果だったのかもしれない。

 一秒でも早く逃げたくて、走って走って、結局進む先に、蜻蛉はもういないのに……。

「蜻蛉は舞がうまかった。右に出る者は過去にも未来にも、誰もいやしない。僕も彼女を前にしたら、ちっとも光らないはずだよ。

 どうして、今にも消えそうなものってあんなに力強く、胸を打つんだろう。

 あれは、踊りの技術とかの問題じゃなくて、それを遙かに超えたところにあるものなんだ。僕も最初はそれが何か、ちっとも見えやしなかった。

 僕は踊りがほんっとに下手でね、たぶん、一緒に舞をしていた子達の中で、一番下手だったんじゃないかな。体固くて、回れないし、身のこなしってヤツが、絶望的、って言われた。だって別にどれくらいの角度でどこにどう手首をおいて、とかっていうの全然決まってないんだもん。適当にやって、毎回叱られたよ。お前は感性ないな、って。うまい子の角度とか振りとか置き方とか全部真似て、おんなじようにやっても、やっぱダメなんだって。形じゃなくて、別のものがないから舞として失格なんだって。別のものってなあに、って聞いても、それは感性の問題だ、って言われて、結局なんにもわからなかったし。年も重ねていくと、しょっちゅうさぼるようになったね。いくらやっても怒られるか、相手にされないかどっちかだった。蜻蛉がいなかったら舞なんてやめてたよ」

 秋津は懐かしそうに微笑む。泉みたいに潤んだ瞳が切なく光って、口元は自然とすべてを包み込むようにやさしく緩んだ。

「川の傍で舞ってみるけど、稽古のたびに蜻蛉に笑われてた。ちっちゃい口に拳を当てて、ひそむように笑うんだ。僕は、口をとがらせてみたりしたけど、ちっとも悔しくなんてなかった。蜻蛉が笑ってくれるのが嬉しくてたまらなくて、内心気持ちよく、下手くそな舞を踏んでたよ。僕は笑われながら日が落ちるまでずっと、彼女の瞳の中で回ってた」

 そこまで言うと秋津は空を振り仰いで目を細め、思いを馳せた。彼の目に映る魂のはばたきに心吸い寄せられ、青空をさまよう。苦しいくらいに締め付けてくる情が乾いた風に遊び、儚く消えていった。

「僕が疲れて一休みすると、時の隙間を縫うように、蜻蛉が踊るんだ。僕の舞を殺さないように、控えめに立ち上がって、申し訳なさそうな、でもちょっと諭すような瞳でやわらかく僕を見て。

 蜻蛉が手を振るだけで特別な世界ができて、何回見たって息も止まった。自分のことも、家族のことも周りのこともぜーんぶ忘れて、舞っている彼女と見ている僕だけが別世界にいくんだ。頭の中、すーっと何もなくなる。何かを強く感じてることだけ、全身で感じてる。幻想的で神秘的な、この世にはないどこか遠い、全く見たこともないものを瞳にすり込まれ心に染み込ませ体に叩きつけられているようで、とにかく、言葉にできないくらい不思議な気持ちになった。人生って一度きりだけど、あらゆる人生をいっぺんに体感してしまうほどの強烈な世界観だ。普通、そんなの見せつけられたら脳みそがやられちゃうけど、終わった後の清々しい気持ちから考えるに、きっと、染み込むくらいの適度さで入ってくるんだろうな。そこの微妙な力加減も、すべて蜻蛉の実力だよ。

 軽やかに舞ってから地に足をつけ、静かな花はやさしくほころぶ。軽くなった心はどこまでもやさしく透明になって、涙出るくらい感謝したくなるんだ。まず蜻蛉に。そして、自分が生きてることに。どんなに辛いことあったって、彼女の舞見たら、それをも包括して生きてる幸福に満たされるよ。君にも見せてあげたい。全部浄化してくれるんだ」

 秋津は俺と目を合わせ、まるで悩みなんてなんにもないような、さらっとした笑顔を見せた。無窮むきゅうの風が胸の内で舞い狂い、感じたものの言葉を消していった。

「蜻蛉が死んでから、なんか舞ができなくなったんだよね。僕もあれ、って思ったけど、どこかに空白ができたみたいに、舞おうと思っても体が飛ぼうとしてくれないんだよ。でも、悲しいとか寂しいとか、そういった迫ってくるような苦しみに悩まされることは一度もなかった。虫なんていつ死ぬかわからない針の上に立つか細い命だから、当たり前みたいに彼女が消えてなくなっただけ。だからなんでだろう、って、すごく疑問だったんだよ」

くるりとつぼんだ瞳をぱちくりし、秋津は再度その謎を解き明かそうと足下の草を見つめた。白く小さな花をつけた雑草は、風に遊ぶように首を傾げた。

「師範も他の大人達も、もう僕に構わなくなった。僕は何もできなくて、みんなが懸命に汗を流して上達しようとしてる中、道場でぽかんと天井を眺めて時を過ごした。蜻蛉いなかったら、山や川岸に遊びにいったってつまんないんだもん、そこにいるしかなかったんだよ。よくなんにもせずにいられたなぁって思うけど、中身のないものいろいろ考えてたのかなぁ。僕、生まれつき馬鹿だけどねぇ」

彼は折り曲げた膝に手をかけ、その間の空間に首を項垂れて、フルフルと犬みたいに髪を揺すった。サラサラと風が掃除した髪の毛は日光を浴びて輝きを増し、目を閉じている秋津は風景画の中にいるみたいに白く光っていた。

「僕はある日、蜻蛉の踊り着を持ってここまで来た。彼女とはよくここに来たんだよ。誰にも発見されていない二人だけの秘密の場所なんだ。僕がデタラメに舞うのを、蜻蛉がその石に腰掛けて見てくれていた。風が持ってっちゃいそうだったからさ、絹衣の上にその石乗っけた。そしたら、なんかよくわかんない感情が溢れてきて、気づいたら舞ってたんだ。体が自然に、赴くまんまに動いた。宙に制止するのも本当ならすごく体力使って、一度でもやったらくたびれちゃうことなんだけど、不思議なくらい何度もやれた。体が羽みたいに軽くて、難易度最高値の残像飛ばすのだって楽にできたし、捻りも翻りも、外から見られたときにこれが一番美しい形だってわかっていながら舞えた。教えられて舞おうとしていた時にはとんでもなく大変だったけど、ちっとも苦労せず舞っていうのが何なのかを直感で知っている。心の中にある世界があって、それをなぞるだけで意識もせず舞っているんだ。舞い終わると自分の中が空っぽになる。本っ当に気が楽なんだ。でも目を閉じればまだ何か思うものがあって、いくらだって踊っていられるんだよ。練習なんて何回したって無意味だって知った。それ以降もう、僕は舞じゃあ誰にも負けなくなったんだ」

秋津は俺と目を合わせ、悲しみを叩きつけられるくらい、眩しく笑った。

「空が青いよね。蜻蛉と見ていた空とちっとも変わってない。この世に苦しみなんてないんだ。僕は死ぬまで舞っていられる」

激しく心を掴まれ、左右に揺さぶられるのを感じた。一方、秋津は言葉の通りに悲痛を全く感じることができない瞳で、うっとりと大空を眺めていた。やさしく風と共生する横顔を見て、なんとなくわかった。彼らは死を(いた)めない。

 俺も自分の族に戻った時、秋津のように、大切な人を失っても涙すら出ないようになってしまうのだろうか。失われていく記憶と思い出しそうな予感とが交錯する不安定な心をからかうように、秋の日差しはどこまでも穏やかだった。

その6

 ゴッと音がしたかと思うと、突然胸の中に、村の入り口の村が焼かれている光景がありありと浮かんだ。戦う技術のないトンボ達が次々に家を抜け出す。逃げ遅れた者や子どもを悪霊の業火はたちどころに飲み込んだ。しばらくして屋敷の方にも騒ぎが広がり、胡蝶をはじめとして蝶族の部隊が飛び出した。突如襲いかかってきた他族に迎え撃つ。

「村が他族に襲われた。入り口はもう火の海だ。胡蝶が応じている。助けにいかないとっ!」

 慌てて喋ってしまったが、秋津はすぐに理解した。

「君は不思議な能力を持ってるものね」

 気づいていたんだ。気味悪がるでもなく、俺の言うことを信じてくれている。

「戻ろう、村へ!」

 手を引っ張って立ち上がらせようとしても、秋津は動こうとしない。

「僕はここに残るよ」

 まるで今生(こんじよう)の別れを告げられたように感じて愕然(がくぜん)とした。しんみりしたことで俺の勘も鈍って、予見(よけん)の力が働かない。胸の中が空白だった。

「ほら、早く行かないと、胡蝶が危ないよ」

 胡蝶が短剣を振り切って闘っている様子が脳内に見える。それは確実なのに、秋津のことが一切把握できない。

 幼い笑顔が俺に向けられた時、逃げ出すように彼に背を向けた。苦しいくらいに見ていられない。運命が引き裂いていく俺と秋津を、間違ってるんじゃないかと思うくらい青い空が見つめている。村を襲っている赤い炎に胸も焼かれそうだ。

 背後に遠ざかる彼は、消えてゆくように白く、緑に溶け込んでいた。走り走ってゆく俺の頭の中で、あの岩に寄り添って微笑む秋津が神仏みたいに(ひか)った。

 辿り着いた時に村は大火に焼かれ、黒煙を噴き上げていた。熱さに汗を滴らせる胡蝶達が最後の力を振り絞って防いでいた。右手を握りしめて突き上げる。山を流れていた川を脳内で操ると、渦を巻いて空中を走らせた。空を泳いできた水龍を、勢いをつけて火の海に叩きつける。燃え盛っていた家々は天から降り注ぐ大水に粉々にされて押し流され、敵も味方も構わず飲み込まれた。その直前に生き残りの蝶族とトンボ族には水中に沈んでも平気なように術をかぶせた。無我夢中で同時に二つの術に全力を注ぐ。襲いかかってくる轟音に飲み込まれると、一気に静かになった。卵型の保護膜に包まれ、泡の音だけが支配するブルーの世界の中で、またいくつかの命が終わったということを粛々と感じていた。

その7

 村の入り口には大勢のトンボ達が出迎えに来てくれていた。

「世話になった」

 胡蝶が言うと、秋津はにっこりと笑って言った。

「またおいでよ! 歓迎するからっ!」

 あの後、墓石へと大急ぎで駆けつけたときに秋津は、三人に襲われていた。武器を持った他族を相手にもうお終いだと思っていたら、彼は優雅に舞い、攻撃を躱していたのだった。幽霊のように避ける彼に敵も太刀打ちできない。結局俺が奴らを突風で吹き飛ばしたわけだが、他族に武器を上げられて生き延びたトンボは彼一人だった。また大切な友人を失くすと思っていたから、彼を助け出した時にはほっとして力が抜けてしまった。

「それにしても、村がやられてしまったな」

 胡蝶が見つめる先には、俺が応急的に直した無人の家が寂しそうに並んでいる。

「大丈夫! ヨシヒトがいればなんでもできるじゃん! いっぱい直してもらったし」

 そんなことはないと大きく否定しようとしたが、彼の笑顔を見ていたら何も言えなくなってしまった。何はともあれ、この笑顔をまた見ることができてよかった。

「じゃあまたね~! 絶対来てね!!!!」

 互いに手を振り、トンボ族の村を後にした。

>第6章 蜂族

オマケ:登場人物ネーミング由来

秋津あきず:トンボの古名。(出典:広辞苑)辞書で出会って一目惚れした言葉。

蜻蛉かげろう:トンボの古名。(出典:広辞苑)これは有名な語。古典とかで出てくるよね。はかないものを表す「陽炎」という語と同音なのも(意図的だろうけど)意義深い。
でも、蝉編を書いてて思った、トンボの命の方がはかないのか・・・?)

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