[無料]自作長編小説 『戦乱虫想』 第1章 蝶族

アイキャッチ(戦乱虫想1) 長編小説
筆者
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執筆大好き桃花です。

大昔に書いた自作小説を公開します。

拙いですが、温かな目で見守っていただけると幸いです。

【注意事項】

著作権の都合上、無断での商用使用や販売などお控えください。リンク掲載や権利者明記の上での拡散等はお断り無しでOKです。個人で活動していますので、何か少しでも感じられた方は応援や拡散等していただけるととても励みになります。

本作は、2012年に新人賞に応募(落選)した自作長編小説を一部修正したものです。つたなく恥ずかしい限りですが、自分の成長過程としての遍歴を綴る、というブログの理念から勇気を出して公開します。

『戦乱虫想(せんらんむそう)』あらすじ

目を覚ますと、俺は虫達が闘いを繰り広げる戦乱の世にいた。現世に戻れる方法を模索しながら、自分の〝族〟を探す旅に出る物語。エンタメ系。

第1章:蝶族

その1

 落ちたところは固い地面で、俺は派手に腰を打った。ひんやり冷たい夜風が時折裾口から入り込んでは意識を次第にはっきりさせた。閉じたまぶたの向こうに広がるのは、静かな夜の世界だろう。遠くにコウモリか、獣の鳴き声が響き、森のにおいがする。

 俺はまず、安らかな眠りをさまたげた挙げ句、どこか高いところから俺を突き落とした何者かに対する怒りを、覚醒していく思考とともに徐々に高揚させていった。目を開けた時にそこに立つ者に、思い切り後悔させてやる。

 目を開けてみて、状況を把握できずに俺は唖然あぜんとしてしまった。あまりの光景に、自分の方がおかしくなってしまったのだろうかと思ったくらいだ。

 やっと理解しようとしはじめた目の前の状況を、しかしいくら考えてみても解読できそうもなかった。俺でも感じ取れたものはと言えば、視覚、聴覚、触覚、プラス嗅覚、くらい。言葉じゃ説明しがたい。俺は複数の人間に取り囲まれていた。二つの集団のちょうど中央に俺はいたらしい。と、これだけを理解するのになぜこれほどまでに時間がかかったかというと、その二つの集団は、まるで見たこともない人種、だったからだ。

「ク、いきなり降ってきたかと思えば一番いいところを邪魔しやがって……。お前も殺してやる!」

 このセリフ。きっと映画か何かの撮影に違いない。それか、夢か。最近仕事のストレス発散にとネットでくだらない動画サイトとか暴力的なマンガとか見まくってたから、そのせいでとんでもない夢見てるのかもな。だいぶ冷静にそんなことを考え、男が鎌を振り上げた瞬間、俺は叫んだ。

「ああわかったよ殺してみな。そうしたら俺はやっとふかふかの布団の中で目覚めることが出来るんだからな!」

 男は拍子抜けして殺意が削がれてしまったらしい。仲間とともに楽しそうに笑い出した。

「あはは、コイツ、死ぬのが怖くてちょっとイカれちまったみたいだぜ。大丈夫だ、痛みも感じないくらいサッと終わらせちまうからよ」

 ありきたりな文句……。夢だと思ったらどんな言葉でも動揺せずに軽く流すことができた。とっととこんな世界から出たい。

「じゃあ早く殺してくれ」

 目を閉じた。こういう夢は、死んだりすると目覚めることが多い。余計なことを考えぬよう、平静に。だが夢だからと言い聞かせても、頬に当たる風の感覚が本物のようで心臓が騒ぎ出した。鼓膜を鋭く突き刺してくる野禽やきんの鳴き声の生々しさ。投げ出した両脚から伝わる地面の感覚さえも、どうしても夢の中とは思えない。ぎ澄まされていく五感が、周りから地球の息吹いぶきをありありと伝えてきて、冷や汗が流れた。

「望み通りに」

 鎌が空気を切ってすぐ前で振り上げられるのを感じ、体が大きくびくんとする。意識を(から)にしようとした。急騰きゅうふつしてきた後悔と、本能が感知した危機への焦燥しょうそうとの間をものすごい勢いで鎌が切り裂く。今更もうどうなってもよかった。

 キーンと金属音が響き渡り、思わず目を開けた。フッと薄い香りが鼻孔をくすぐる。何のにおいだろうと顔を上げてみれば、目の前では一人の女が男の鎌を武器で防いでいた。女は間髪かんぱつ入れずに相手を蹴り飛ばす。不意を突かれて男は後ろに叩きつけられた。

 それを合図に周りにいた集団が女に斬りかかるが、華麗に攻撃を(かわ)されるので、結局体勢を立て直すために味方の元へ退いた。

 月の光が浮き立たせた横顔のシルエットを見上げる形で俺がいて、なんなんだろうこの状況、と改めて思った。女は立ち上がった俺と真っ直ぐに向き合った。

「お前、何族だ」

「は?」

 威嚇いかくするような鋭い言葉と視線にぶつかり、質問の内容にますます俺は混乱して、目の前の相手をじっと観察した。

 女は微塵みじんの隙も見せない姿勢で立ち、射貫く程の眼力を放ち続け俺から目を離さない。両の手には短剣をたずさえている。背はあまり大きくなく、声の様子以上にずっと若い少女だったが、顔にはばっちりと化粧をしていた。あり得ない程の濃さで個人的には受け入れがたかったが、美人だし目の迫力とも合うくらいの強さだったし、まぁこういうのもアリかな、と勝手に高みから評価する。それに、身につけているどこかの民族衣装のようなド派手な着物にも、これくらいの化粧じゃないと却って浮くのかもしれない。目立った色とデザインの風変わりな衣服は、しかしながら水商売のものとは雰囲気をややことにしていた。上に羽織っているものはシルクで出来ているのかキラキラ美しく、風でなびくときらめく粉がわずかに舞うようだ。束ねられた髪はトップで二つに分けて結わえられ、大きなリボンのように頭を飾っていた。前髪の上に羽みたいなかんざしを二つし、月光を銀色に照り返している。真っ赤な口紅が塗られた唇はキュッと結ばれ、この女の性格が少し、そこに現れている気がする。

「何族って、どういう意味だ」

 落ち着きを取り戻そうとしながら言葉を待つと、返ってきたのは爆笑だった。

「コイツ、自分が何族かも忘れちまったとよ!」

「頭ぶっておかしくなったんじゃねぇ?」

「どこまで()けたヤツなんだよ」

 男達は堪えられないというふうに腹を抱えて笑い、俺を軽蔑した。あまりに人をバカにして笑うので腹が立ったが、内心では自分がとてつもなく大事なことを忘れてしまっているのではないかという恐怖に駆られ、焦って記憶の貯蔵箱をひっくり返して回った。だが思い当たることなどちっともない。目の前で例の女は、笑いはしなかったものの、印象的で力強い目を丸くして、心から驚いている様子だった。俺は恥ずかしさと困惑と苛立ちとで、いてもたってもいられなくなった。

 混乱していく頭で考えた。会社に嫌気が差して、最近手抜きになってきたことに対する罰かもしれない。ああわかった。明日からは真面目に勤務する。だからこの、わけのわからん夢の世界から早く出してくれ。

「俺は民族なんて野蛮なもんじゃない。一部上場の食品製造企業に勤める営業管理部門の主任だよ」

 周りの空気はさらに冷えていくのがわかった。男達はぴたりと笑うのをやめ、俺をまじまじと見つめる。女がポツリと口を開いた。

「意味のわからないヤツだな」

 俺の両側にいた男達が目で合図を交わし、一斉に襲いかかってきた。きょとんとしていた俺の腕に、鎌が振り下ろされる。真っ赤な血がパッと飛び散り、直後に痛みが吹き出してきた。当たり前だけど、体を傷つけられたら出血するということを思い出して呆然とした。平和ボケしすぎている現代人にとってそれはマンガなどの作り物の世界の話でしかなかったが、その延長上にはちゃんと〝死〟というものが待ち構えていることを、ドクドクと脈打つ腕が教えてくれている。たったコレだけでえらい痛い。そしてこの理解不可能な世界は俺の夢や想像ではなくて、ちゃんと腕にリアルな痛みを与える世界なんだと思い知った。

 途端に体中を戦慄せんりつが駆け抜けた。ヤバイ、このままじゃ、殺される――!

「全員まとめて()れぇー!!」

 男の声を皮切りに、両者の戦いの火蓋が切って落とされた。

 キンキンと鋭い音が夜空を切り裂く。月だけが明かす薄暗い森の中で、(とき)の声をあげながら殺し合いが始まる。俺に斬りつけてきた無骨な男集団と、小柄な女を交えて優雅に闘う集団と、互いに一瞬の隙も見せぬ本気の争いだ。自分を守ることで精一杯で、全神経を研ぎ澄ませて逃げ回っていた。次第に、声をあげて地面に(うずくま)っていく者がちらほら出てきた。すぐそばで命を削り落としていく音が生々しすぎて、身震いがやまない。テレビや映画でスクリーンの向こうに見るのとは次元が違う。動けずにいた俺を狙って来た奴らを華麗に受け流して押し返したのは例の女だった。敵から目を離さず、低く冷静な声を放つ。

「お前、男なら武器をあげて敵を蹴散らしてみろ」

「武器なんて持ってない」

 女はちらと俺に一瞥いちべつを投げ、

「呆れた」

 と漏らした。たちまち頭にカッと血が上る。この女の言葉は俺の気分を痛烈に逆撫でするようだ。

 彼女は一時休めていた体を優雅にひるがえし、再び一軍の中に切り込んでいった。俺は押さえていた左手を恐る恐る開いてみた。じーんという痛みは黒みを帯びた血とともに流れ出し、地表にいくつものシミを作る。見ているだけで頭がクラクラした。もうすべてが終わった気がした。

 気がつけばあの女が押され気味となり、攻撃を受けながらこちらに退()いてきていた。彼女もところどころに傷を負っている。だがそんなのは生やさしいもので、地面には既に血を流して動かなくなっている者が何人も転がっていた。それを見ないように、努めて顔を上げていた。目に入る、女の真剣な眼差し。

 連続の力強い攻撃にバランスを崩した隙を見逃さず、刃が彼女の華奢きゃしゃな体を穿うがとうとしたとき、体の中を風が走った。そして強く願った一つの想いが体内でエネルギーを帯びていくのを感じた。わずかの瞬間、察知する。俺は風を操れると。

 一瞬のズレも許されぬその刹那せつな、かけ声とともに周りにあった風を集めると、女を殺そうとしていた男へと、パワーを何百倍にも増幅させて放った。

 狙った男だけでなく、その周囲にいた十数名の男達も、一気に空へと跳ね上げられた。すぐさまギュッと拳を握って風を地面に叩きつける。ものすごいスピードで落下した男達は、すぐに意識を失った。

 突然の出来事に皆動きを止めた。何があったのか理解できないまま、ぽかんと俺を見つめた。

 なるほど。どうやらこの世界で俺はなんでも思った通りに動かせるらしい。

 そう思えばもうワクワクしてたまらなかった。たとえば向こうの木を飛ばそうったってできる。そうしたいと思うだけで。

 ゆさゆさと揺れた木が地面を割って根っこもろとも空に浮き上がり、驚く者達の頭上を左右に浮遊した。化けものに襲われたように恐れる男達の表情を見るのが愉快で仕方ない。遊び半分でそうした後、木をロケットのように吹き上げ、遠くの丘へと墜落させた。

 目の前の女が表情を変え、何者なのかといった様子で俺を見ていた。したり顔で女の強い視線をそれ以上の光で返しながら、意気揚々と口を開いた。

「俺に逆らうとこうだぜ」

 一度は言ってみたかった、こんなセリフ。キザだけど、気分がいい。それを裏付けする能力まであるんだから、なおさらだ。

 それでも強気の女は負けじと尖らせた唇で、

「ならまずアイツらを全員なんとかしろ」

 とこうだ。頭にきたけれども、女が相手だと(いか)りそのままに攻撃もできない。動くに動けずただ睨み付けていた。

「あ、あいつも本領発揮したぞ。まとめて片付けろ!」

 打ってかかってくる男集団に女達が向かおうとしたが、イライラしていた俺はチマチマした戦いも見てられなかったので、さっきと同じ要領で胸の中に力を集めた。

「お前、なんとかっ……!」

 片方の短剣を弾き飛ばされた女が俺に助けを求めるや否や、集中した気力を念じるように地にうずめた。突如、大地が暴れ出し、鎌を振り上げていた男どもを跳ね上げ叩き落とすと、がっぽりと開いた亀裂の中に悲鳴ごと飲み込んでいった。

 途端に静寂せいじゃくが森を覆う。見るのも気分が良くなかった血を流し倒れた者も皆、一緒に地中に飲み込ませてやった。女の仲間もいたろうが、いちいち分けて残しておくことはしなかった。

 ぴったりと閉じて元の地面になった場所を例の女が観察する。周りに仲間達が駆けつけて、彼女の無事を確認した。助けてくれたほうと思ってこっちの部隊を生かしたが、果たしていい奴らかどうかもわからない。

 口を閉ざして無言を貫く大地を見尽くすと、女は生き残りの男達を連れて俺の方にやってきた。手をあげられても先ほどの不思議な感覚は自分の中に確かに残っていたので、怖さなどちっとも感じなかった。

「お前、何族なのか言え」

 鋭く刺してくる視線にあらがった。

「アンタな、助けてもらって第一声がそれか」

 睨み付けても女は屈することなく、ふん、と鼻を鳴らした。

「わかんねーって言ってんだろっ!!!」

 声を荒げた俺を女はしばらく見ていたが、くるりと振り返って歩き出す。

 その態度に煮え返り、一発ぶっ飛ばしてやろうとしたら、すぐ近くにいた女の仲間が制止するように口を開いた。

胡蝶こちょうはああいう性格なんだ。許してやってくれ。礼なら我々の村へお招きしてきちんともてなしをさせて欲しい」

 合図もなく徐々に歩き出した男達の後を追うしかなかった。ここがどこなのかすらわからなかったのだから。やけに明るい月が山全体を照らしている。もやもやした気持ちを抱えながらついていった。

その2

 男まさりで勇ましく歩いていく胡蝶という女を先頭に、部下と見られる男達に混じって歩いていた。腑に落ちない俺の顔を見越して、傍にいたやや年配の髭を生やした男が俺に話しかけてくる。

「我々は蝶族の部隊。ここからしばらく歩いたところの丘に、我々の村がある。最近螻蛄けら族が荒れていてな。我々の村近くまで侵害していたため、見回りをしていたところ遭遇したのだ。奴らも食に困り、近くまで攻めに来ていたに違いあるまい。おぬしの活躍でしばらくは襲ってこないだろう。まず私より、礼を言う」

 振り向きもしない例の女の態度が頭から抜けきらず、無愛想に応じた。緑のにおいが強烈に鼻につく、深い森の奥地だ。

「村についたらしばらく体を休めるといい。浅傷あさで()とは言え怪我をしているようだからな」

 まだジンジンとつちで打ち付けられているような傷口を見ないようにしながら、彼の言葉に悶々もんもんとした。確かに、常に戦いの渦中に身を置いている者からしたらかすり傷程度だろう。だが俺は、平和の世に生まれた、平凡な人間だ。足の小指を骨折したくらいで病院に行くような、ひ弱な人間なのだ。こんな野蛮な一族なんかと一緒のレベルで語られたくない。

 ふといつの間に現れたのやら、見るからに優しそうな娘が脇について、傷を心配そうに見つめているではないか。彼女は俺の顔を見つめて、

「お怪我、大丈夫です?」

 と天使のような声を出した。思わず立ち止まり、「ああ、平気」と負けん気を出してしまった。女は俺の腕を手のひらですくい上げ、月光に照らし当てて眉を皺寄せた。

「消毒しますわ。お痛くしませんので、動かないで下さいね」

 前進する軍隊から脇に外れた俺と女だけが立ち止まる。真っ白な月の明かりがやさしかった。今までの苛立ちも、この女のふわふわした声を聞くと、自然と薄れていく心地よさに満たされる。

 女が傷口の上で何かをくように手の平を振ると、キラキラ光る粉が降り注がれた。甘い香りが微かに漂うパウダーが三回ほど撒かれたかと思ったが、気づけば傷口の痛みはすっかり消え失せていた。

 目が合った女は穏やかに微笑んだ。

「君、名前は?」

 紳士気取りで問うた。これでも昔は、一度に三人の女性に告白されるくらい、モテたのだ。

 彼女は口元に手を添え、嬉しそうに照れ笑いした。

薄紅うすべに(と、申します」

 ああ、この女の声を聞いているだけで癒される。木漏れ日のような穏やかでやわらかい笑顔。迷い込んだ荒々しい世界の救世主だ。

「綺麗な名前だね」

 俺もにっこりと、微笑もうとした、ところに、激しい痛みが頬にパチーンと響いた。よろけた体を立て直し、クラクラする視界を必死にこじ開けてみると、例の勝ち気な女が目の前に立っていた。

「ぐずぐずするな。まだ先は長いんだ」

 頭にきた。一度ぶっ飛ばされないとわからないらしい。

「胡蝶、乱暴な……」

 薄紅が間に入って制そうとするが、弱々しそうな彼女にそんな力あろうはずがない。俺はまた、何とか苛立ちを封じ込める。

「お前なぁ。さっきの俺の力見ただろう? 刃向かったらただじゃおかねぇからなッ!」

 ツンと振り返って歩き出していた胡蝶に言葉をはじき飛ばす。胡蝶はひるもせず華麗に向き直ると、弾丸のような眼光で俺を見つめた。

「お前は、〝何族〟だ」

 しんと風がやんだように、頭の中にすっと寒気が走った。何族――。さっきまでと違い、どういうわけか言葉が出ない。同時にゾッとするような恐ろしさがき出てくるのを感じている。流れそうになる汗を、夜風が冷酷に冷やしていった。

 後ろで「まあ」と驚いて口をつぐむ薄紅がいた。心の中を嵐のような孤独が吹きすさんで、無性に雨に打たれたい気持ちになった。

「自分が何族かもわからぬ輩になんと言われようと、ちっとも怖くなどない」

 叩きつけられるように言われ、俯いた。自分でも溢れ出てくる先がわからない場所から、不安や憂鬱が一気に押し寄せ、足をすくっていった。

 背後からポンと肩に手を乗せられて、無言のまま数度肩を叩かれた。鎧の間から男の汗のにおいがする。

「きっと何かの反動で忘れただけだ。すぐ思い出すさ」

 頷く代わりに目を閉じる。今俺の胸を満たしている途方もない空虚はなんだろう……? かき乱してゆく衝動に揺さぶられながら、必死に彼らの後をついて歩いた。

その3

 空がうっすらと瞼を開け始めた頃、丘の上に家々の点在する村についた。重装備で身を覆った戦いの部隊の本拠地だからそれなりに立派なところに案内されるのかと思いきや、なんてことのない小さな集落だった。平場に各々が住まいを建てていったら村が出来ました、という風の秩序ない並びの家があちこちに見える。家も建物というよりは小屋に近く、大雨でも降ればたちどころに屋内に雨水がなだれ込んできそうな、地面に張り付いたれ物のようだ。黒々とした土は踏み固められて道となり、どこへでも自由に行き来できる広場の一部になっている。田舎も田舎、アスファルトもコンクリートもない自然由来の村を初めて目の当たりにし、童心に返ったように奇妙な興奮が湧いた。

 自分達の村に辿り着いた武人達の顔にはほっとした表情が現れていた。だが一軍は決まり事のように、村の中央を真っ直ぐに突っ切ってある場所へ向かう。何も言わずにただついてゆくばかりだ。

 牧歌的な景色のかもし出す雰囲気というのは不思議なもので、いつの間にか自分がここで生まれ育ったかのような錯覚に違和感なく掴まれていた。だが見るのは初めてなので、新鮮な感覚で辺りをキョロキョロ見回しながら進む。あしすだれ茅葺かやぶきの屋根など、古典で出てきた万葉集の世界ではないか!

 村は意外と広く、歩いても歩いてもポツポツと家が建っており、各家の周りに置いてある道具などから生活感が伺える。さらに進むと作付けを終えたばかりの田んぼが広がるようになった。広大な田と田の間に建つ建物は民家よりもずっと大きい屋敷で、近隣一帯の権力者であるようだ。

 遙かに広がる青田を抜けると、太い木を組んで作られた塀とが見えてきた。二つの櫓の間に大きな門がとざされている。

 軍隊が近づくと、櫓の上にいた哨兵しょうへいから下に合図が送られた。まもなくして重々しい門は徐々に上がり、やがてガーンとぶつかる音と共に完全に開かれた。

 他の者なら確認にも時間がかかるのだろうが、哨兵は胡蝶の姿を確認して開門したようだ。顔パスされるこの女はやはり偉い人物らしい。

 門の中には外よりも幾分大きめの建物が間隔を開けずに立ち並んでいる。今は早朝なので人はいないが、どうやら市場のようだ。隅の方には民家もある。昼になれば賑わうであろう城下町のようなところだ。

 中心に建つひときわ大きな建物が目指していた所らしい。外からは見えなかったが、辺鄙な街を望む建物としては案外立派だ。しばし歩いて入り口に着く。門番の兵士は胡蝶を見るなり扉を開けた。

「お前はここに残れ」

 奥へ進んでいく男達についていこうとすると、胡蝶に止められた。武人達はどんどん中へ入っていく。

「なんでだ」

 胡蝶が目で合図すると、二人の兵士が俺の腕をとらえた。まだ疑っているとすれば無理もないが、乱暴で礼儀を知らないあの女の態度には釈然としない。胡蝶は俺の様子を視認すると、自らも奥へ姿を消した。大人しく捕獲されながら、本当によくわからないところに迷い込んだものだと思っていた。

その4

 胡蝶とともに戻ってきた武人達は装備を外し、身軽な格好で現れた。重厚な鎧を取り外せば、どこにでもいそうなおっさんばかりだった。鎌を持って稲刈りでもしていそうな者や、俺よりも若い者もいる。皆家族を持ち、生活を背負った者であるに違いない。

 胡蝶は衣装を着替えてきたとは言え、目立った格好には代わりなかった。もういいぞ、と許しが出るまで俺は両腕を固く掴まれたままだった。もはや、命の恩人であり怪我人に対する態度ではない。いつか、チャンスがきたらこの女にぎゃふんと言わせてやりたい。

 自由を制限されたまま、まるで罪人のように連れて行かれたのは頑丈そうな建物だった。がらんと何もない一部屋に、同行した男達が円形に座る。胡蝶が一番奥の社長席にしゃがみ、男と変わらぬ様子で足を抱えて胡座をかいた。建物自体は大きく立派な造りだが、生活感はあまりなく、床板はやけに新しかった。扉からさらに奥までいけるようだったが、今はぴっしりと閉ざされている。

「ここは胡蝶のお父上の屋敷だ」

 すぐ隣にいた男が聞きもしないのに話しかけてくる。

「お父上? 偉いのか?」

 答えを聞かずして、胡蝶が急に大声を張り上げた。

「さて、皆の者! 昨日はご苦労だった。部下の者にも一層の稽古に精進されるよう重ねて激励の言葉を送りたい」

 突然自分のペースだけで会合を始めた胡蝶に、ああワンマン部長タイプのミーティングだわコレ、遠慮無く発言しろとか言っておいて本当にざっくばらんに言うと刺されるヤツ、と半ば赤の他人ぶって聞き流していた。

「今回の戦闘で幾人かの仲間を失った訳だが、犠牲がこれほどの少数にとどまったのは、この突然現れた男の魔術の故だろう。何族の遣いの者で、目的はなんなのか」

 前置きというものも無く、話の的は速やかに自分めがけてやってきた。

「言えぬか?」

ワンマン女に声を向けられ、全員の視線が一気に俺に集中した。やましいところが何もないことを盾に、首をかしげた。

「お前、本当に自分がどこから来たのかわからぬのか?」

 俺はコクリと頷いておいた。もちろん突然こんな不思議な世界に迷い込んだというだけで、自分の記憶や元いた世界の記憶ははっきりとある。だが目の前にいるこのちょっと知識が遅れていそうな奴らに話をしたところで、理解などしてもらえないだろう。

「どうしようもないヤツだな」

 胡蝶は口調を苛つかせた。はっきりしないことは嫌いらしい。そんなこと言われても俺だってどうしようもない。夢だったら既に覚めてもいい頃であるが、自分の感覚もしっかりしている今は、何をどうしたら元の世界に帰れるかわからない。壁から天井までぐるりと部屋を見回してみる。どこの様子もくっきりと視界に取り込まれて、何の違和感もない。頬をつねるまでもなく意識はしっかりとしていた。ここから「出る」とすれば、どこへ行くというのか。夢でもないらしいのだ。

「お前、名は?」

 向けられた瞳が大きくて吸い取られそうになる。

西条さいじょう義人よしひとだ」

「サイジョウヨシヒト?」

繰り返した彼女の、イントネーションが、おかしい。

「義人っていうのが名前だから、名字で呼んで欲しいんだけど」

胡蝶は顔中に謎めいた表情を浮かべた。

「ミョウジとは、なんだ」

 言葉を失ってしまった。コイツらはどこまで知能が遅れているのか。それとも本当に時代をさかのぼったのか? どっちにしろ、まともに通じない言葉が少なからずある。だがリアクションから感情などは伝わるらしく、軽蔑されていると感じ取ったであろう彼女は、眉を寄せ唇を尖らせた。

「名字っていうのは、名前の上につける、姓だよ。君達んところにはないんだ?」

 当たり前のことだったが、得意げになって説明をした。目の前の蝶族の者達は皆、まるで知らない外国語を話された人のようにちんぷんかんぷんの様子だ。俺が奴らを見下すように鼻を鳴らすと、胡蝶は腹を立て、唇を結んで目をいからせる。

「わけがわからん!」

 しばらく二者の間にできた空気の壁みたいなもののせいで、部屋の中には静寂が居座っていた。俺は野蛮な民族の中でたった一人であっても、自分の方が知識人であると意識することで自分に対する誇りというものを維持し続けることができたし、もっと言えば優越感さえ抱いていた。対して彼らは正体不明の俺が発する言葉にますます緊張感を漂わせている。

 蝶族の奴らは警戒心を抱いてはいただろうが、攻撃したり不意打ちをしたりはしてこなかった。世の中のものを思った通りに動かせる術を恐れてのことだろうか。そう、それがあると思えば百人力だ。だから今だってこんな追い詰められたような状況で、堂々としていられる。

「さっきの、螻蛄族って言ってたな。対立してるのか?」

 俺が話題を転じると、向かいのすぐ右に座っていた男が口を開いた。昔の武将のようにがっしりした体型、顔つきをしている。

「対立しているという訳でもないが、螻蛄族は他のどの族に対しても荒々しく攻め込む一族だな。滅多に来ないのだが、最近は食糧不足なのか領土拡幅か、こちらにも姿を現すようになった」

 戦国時代のイメージが浮かんだ。

「他の族と交流を持ったり同盟を組んだりはしないのか?」

「基本的には、同じ族の中で生き、活動する」

目の前の男達は、自分達のことを蝶族と言った。襲ってきたのが螻蛄族。ということは、こいつらは――。

 だが思ったことを口には出さなかった。じっと俺の目を見つめて次の質問を待っている男達に向かって、真顔で「虫ですか」なんて聞けるはずもない。俺が自分の存在を疑わないように、彼らも生まれた時から自らを虫だと思って疑わないのだ。

 本格的な部隊と武器を持つ蝶族。普段は農業などをして生活しているのだろう。門をおかす別の族が現れたら、武器を上げて防いでいるのか。昔日本にも存在していた、戦乱の世のように。

「俺はこうして蝶族の村に入ってきてしまって、大丈夫なのか?」

「ああ。別に構わん」

 ふと湧いた疑問を素直にぶつけてみたら、胡蝶からすんなりと答えが返ってきた。だが、すぐに声色を変えた彼女の言葉が真正面から俺を襲う。

「お前が例の恐ろしい種族でなければな」

 違うか? と問いただすような圧のある笑みで全身をめ回される。

 周りの男達はとんでもないことを口走った少女に、慌てて体を強ばらせたり、「なんと……!」と言葉を失った。皆小刻みに体を震わせている。怯えていないのは当の胡蝶くらいだ。

 いや、胡蝶でさえもよく見れば唇の端などが震えで今にも引きつりそうになっているではないか。いびつな笑みが〝例の種族〟をますます太古の伝説の中に琥珀こはく化させていく。胸の底を走る大蛇のような予感はなんだろう? 予感というよりはおびえに近い。胡蝶が言わんとしている族を、俺も本能みたいに知っているのかもしれない。

 胡蝶と激しく火花を散らしながら視線で押し合った。俺は例の魔術チカラで何をされてもやり返す自信があったし、胡蝶は胡蝶で自らの戦闘の腕前に疑いを持っていなかった。

 そうして睨み合っているうち、もし俺が〝例の種族〟であれば、彼女は迷うことなく俺を殺すだろうと直感した。さらに彼女の強気な笑みの奥に、そうであって欲しいという焦りさえ見え隠れしていた。そう思えば()しつけてくる微笑は、少しの糊代のりしろもない、薄っぺらな紙切れに感じられた。

 黙ったまま時間を過ごすことを惜しく感じ始めたのか、それとも俺の視線に負けたのか、胡蝶は目をらした。そして隣にいた男に手のひらを差し出した。言葉が無くとも男は察したようで、胡蝶に二振りの刀を手渡した。胡蝶は両手に短剣を携えると立ち上がり、円座の中央に進み出でてポーズを取った。そして自分でタイミングを計ったかと思えば、突然踊り出した。ひらりひらりと、体を軽やかに使っては回転し、短剣を空中に美しく舞わせて、左右に跳んでまた回った。なんてことのない舞だったが、動きの読めない不思議な動きに、目を離せないでいた。そう言えばこんな軽い動きで、昨夜も敵の攻撃をうまく躱していた。体重を感じさせない程静かに彼女が着地した時、ふと我に返った。

「この舞は〝蝶舞(ちようぶ)〟という。知らぬか?」

 俺は正直に首を横に振った。

「そうか」

 またしんと静まりかえる。どうやら俺は蝶族の一味ではないと判断されたようだ。

「では、族を探しに行かぬとな」

「族を? 探しにいく?」

 なんで族というもののためにそこまでしなければならないのかわからなかった。だが胡蝶の目は本気で、ふざけたことや面倒なことを言えるような雰囲気じゃなかった。俺自身もここにいて何をしたらいいのかわからないし、この世界を抜け出せるきっかけでも見つかるかもしれない。第一、いつの間にか備わった魔法みたいな能力で何でもできると思ったら、どこへ旅に出ようが怖いものなしだと思った。夢でも幻でも、マンガの主人公みたいでカッコいい。そこまで考えて、俺は挑戦するような目を向けた。

「いいよ、やってやろうじゃん」

「そうと決まれば、今日は体を休ませておけ。明日には選りすぐりの武人を整え、精鋭部隊が完成する。族を巡ってお前の故郷(うまれ)を探しにいく。各族長に会って聞いてみるのが手っ取り早いだろう」

 若干じゃっかん相手のペースに巻き込まれているような感じを覚えながらも目を上げた。

「胡蝶も一緒にいくのか?」

「私が一緒では問題か?」

 イライラしはじめた目尻に気づいて、早口に応じる。

「別に。俺としては何でもありだけど」

「では事は決まりだ。明後日の夕刻には出発する。お前には大村をつける。わからないことがあったら大村に聞け」

 俺のすぐ脇で、紫色の衣装をまとった男が一礼した。

「では皆の者、しかと準備しろ」

 胡蝶の声に異議を挟む余地はなく、皆かしこまって彼女の退出を見送った。つられて俺も頭を下げた。まだ子どもである上に性格も自己中な娘を大の大人がうやまっている様子はどうしてもしっくりこなくて、大村と呼ばれた体の大きな男に尋ねた。

「胡蝶って、リーダーなんスか?」

 大村は、若者の軽口に不快感を表す老人みたいに眉間に深い皺を寄せたが、文脈から意味を悟り、すぐに答えてくれた。

「胡蝶は族長の娘。今は族長であるお父上が体調を崩して寝込んでいるため、彼女が実情我々の(おさ)だ」

 あの偉そうな態度の女についていくと考えたら先が思いやられたが、彼らとて従わざるを得ないのだから大変だろう。できるだけ関わらないようにすることを自分に誓い、寝床を案内してもらうことにした。

第2章 蛾族  

オマケ:登場人物ネーミング由来

主人公:元ネタ無し。適当。若くない響きだけど直す気は無い。ネーミングセンスが無い自覚はある。

胡蝶:蝶の異称。

薄紅:「ベニシジミ」より。

大村:「オオムラサキ」より。

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