執筆大好き桃花です。
今回は、かの有名なお話「蜘蛛の糸」について、
虫ケラ同然の知能の私が、
御釈迦様に挑んでみたいと思います。
まえがき(「蜘蛛の糸」のあらすじ等について)
「蜘蛛の糸」とは、あの偉大なる芥川龍之介先生の著作の一つ、名作中の名作である。
知らないという人は、人生をタマゴからやり直してきなさい。
タマゴフェーズだとドヤ顔で言う人や、ど忘れしちゃったテヘペロって人のために、あらすじを載せておく。
あらすじ
釈迦が極楽から地獄を覗き見ると、地獄の苦しみに喘いでいた多くの罪人の中で、犍陀多という男の姿が目についた。犍陀多は殺人や放火をした大泥棒の極悪人だったが、かつて一匹の蜘蛛を助けたことがあり、釈迦はその報いとして、極楽から一本の蜘蛛の糸を垂れ降ろす。犍陀多は目の前に垂れてきた蜘蛛の糸をよじ登って地獄から出ようとしたが、途中休憩していた時、下から他の罪人達がよじ登ってくるのを見る。糸が切れるのを恐れた犍陀多が「下りろ」と喚いたところ、蜘蛛の糸は切れ、また犍陀多は地獄へと落ちてしまった。
全文(無料で読む方法)
ここで全文を載せはしないが、ネットで全文を読みたい場合には下記サイトがあるのでご紹介。
※無料で読めますがファイルをダウンロードする形式のようです。
朗読
話し方系の習い事に通っている身としては、朗読の作品としてもよく取り上げられる作品であるということも、あわせて言い添えておきたい。本作品は、味わいながらの黙読も、声を出して朗読するのも私は好きだ。
プロのナレーターである窪田等さんの朗読がYouTubeにアップされているのでご紹介する。
トップページ → 【公式】窪田等の世界
※公式ページにはその他、窪田等さんの朗読がたくさんアップされています。数多くの名作を落ち着いた声で親しむことが出来ますのでオススメです。
芥川龍之介氏の作品について
話は少し脱線するが、あまりに高名な芥川氏の作品について、実の所、真面目に読んだことがなかった(今なお指導賜り中)。「河童」、「杜子春」、「鼻」など、タイトルもあらすじも知っている作品は少なくない。だが、原文で読んだことがほとんどなかったのだ。
高校の頃、国語の教科書に掲載されていた「羅生門」を読んだ時は、正直、なんでこれが名作なんだろうと疑問だった。(不届きかつ生意気にも程がある。)最後に暗い気持ちばかりが残り、文学的価値の崇高さは認めうるも、どうしても好きになれなかったのだ。
子供だったのだね。
この年(秘密)になって、やっとその素晴らしさがわかった。(好きか苦手かはおいといて。暗い気持ちになるのはやはり好きではない。)
いや、私ごときがかの偉大なる天才の作品群を「わかった」などと軽く口にしては罰が当たるのだが。
まぁそんなこんなで今、昔の文豪と言われる人々の有名な作品を読んでいる途中である。
小説を書くのが好きなどとほざきながら、私程読書をしない人間というのも珍しいけどね。
では、本題に入ろう。
本作のテーマ、元ネタ等について
芥川氏の作品は、古典(「今昔物語」や「宇治拾遺物語」などの説話集)を参考にした短編小説が多くを占める。その作品群は、小説という形をとった寓意的・象徴的・示唆的なものが多く、本作「蜘蛛の糸」も、因業(自分の行いの報いが自分へ返ってくる)をテーマにした作品であると推察される。
本作の元ネタ(材源)について、ウィキペディアによれば、
この話の材源は、ポール・ケーラスによる『カルマ』の日本語訳『因果の小車』の中の一編であることが定説となっている
そうだ。
無駄な描写が一切無く、簡潔明快に主題を突きつける。子供向けにアニメ化もされている児童文学作品の位置づけだが、大人も深く考えさせられるところがある、実に意味深長な作品だ。
仏教観を背景に、報い、因業を取り扱った大変見事な傑作短編小説であり、その素晴らしさについては、もはや改めて言うまでもなかろう。
率直な疑問
だけど、どんな名作だろうと、アホな私は無知な幼児のように、疑問を抱いてしまうのだよ。
すなわち、
カンダタは、
「人を殺したり、家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥棒」
なのに、
「小さな蜘蛛」を「殺さずに助けてやった」だけで、
なぜ御釈迦様は「地獄から救い出してやろう」とお考えになったのだろうか?
しかも、この蜘蛛の糸、
「うまくいくと、極楽へ入ることさえもできる」とか。
え? なんで?
なんで超極悪人が蜘蛛一匹の命を救っただけで、極楽までいけちゃうルートをゲットしてるの?
しかも、
〝積極的に救った〟訳ではなく、
殺そうとしたのをやめた、という、〝結果的に救うことにつながった〟消極的理由によるものだ。
もちろん虫一匹とは言え、一寸の虫にも五分の魂と言うから、人間の命と比較するのは思い上がりも甚だしい。人間至上主義だと批難の大合唱を喰らうだろう。(虫から。)
だが、裁判風に〝比較考量〟しようにも、バランス悪くない?
〝情状酌量〟ってヤツ? にしては手厚くない?
閻魔様も、「あれ? なんでアイツが極楽に行った?」ってならない?
それと、蜘蛛一匹を(消極的な意味でも)助けたことで蜘蛛の糸のヘルプが入るんなら、他にももっとたくさんの罪人達に救いの手が差し伸べられているはずなのではないだろうか?
・牙を抜かずにいてやった象(謎設定)、とかさ、 →地獄には長い鼻が降りてきたことだろう。
・猟銃で撃たずに逃してやったウサギ、とかさ、 →降りてくるとしたら、耳?
・パチンと叩けずに逃してしまった蚊とか。 →地獄の血の池を全部吸い上げて助けるに違いない!
そんなことしてたら、御釈迦様はてんやわんやだよ。(地獄内の光景もきっとてんやわんやだ。)
いずれにせよ、カンダタさん以外にもっと救われる人、いそう。
なんでカンダタさんだったのだろう?
……って、日本の国宝たる輝かしき名作に対して、こういう風にツッコミを入れるヤツは嫌われます。総スカンです。爪弾きに遭って針の山に追い上げられます。良い子はやめましょう。
そんなくだらないツッコミにも負けないくらい、あの作品は名作です。簡潔にまとまっているところがいいのであるよ。
参考
SF作家の小松左京氏も思う所があったようで、本作を元にパロディ小説「蜘蛛の糸」を書いている模様。(ウィキペディア「蜘蛛の糸」ページ 参照)
なぜ糸は切れた?(逆属性の両者の脳内について)
ちなみに、弟ニャンがもの申したのは次の通り。
「下から上ってきたら、怒鳴りつけずに足下で糸を切ってやったら良かったのに」
これには私が即座にツッコミ返しをした。
「そんな事したって、結局糸はカンダタのところで切れたでしょ」
注釈をつけると、おそらく両者の脳内は下記の通りだ。
■弟ニャン(理系):重さで糸が切れたのだろう。自分の下で切れば問題無し。
■姉桃花(文系):因果応報譚なんだから、浅ましい心に反応して糸が切れたんだよ。
因果応報の話だとばかり思ってたけど、実は物理現象だった?
蜘蛛の糸って丈夫らしいよね。
こういう比較も出来るから、真逆の性質の持ち主と喋ると面白い。自分一人じゃこういった別の解釈はなかなか出来ないものだ。特に、ニャンみたいにだいぶ感覚のズレた人間の考えを聞くと、違った世界を覗いているみたいで何倍も楽しめる。
最後に
無謀なツッコミを入れておきながらこんなこと言っても嘘にしか聞こえないかもしれないが、芥川先生は本当に天才。心から尊敬しています。(なお、お人柄や私生活とかについては脇に置いて話している。)最近読み返して、やっぱりすごいんだな、と思いながら読んでる。文学的な情景描写も、内面的な心情描写も、ストーリーも、展開も、結末も、余韻も、もう何もかもがすごい。
特に私は、文章もさることながら、あの短編に込められたメッセージ性、寓話性というものを崇拝していて。ああいう感じの、話全体からメッセージや教訓めいたものとかが浮き上がってくるような物語を書きたい、と思っている。もちろん一寸の虫ケラの如き私が、極楽にいらっしゃる芥川先生のお書きになるような作品を、などと大それた事を言っては口が裂けそう(もしくは堪忍袋の緒≒糸が切れそう?)ではあるが、憧れを抱くことくらいは何とぞご寛恕いただきたい。仏の顔に免じて何とぞ!
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