議題:小説を10年書いていなければもう〝執筆の呼吸〟を使えないのか?
最近はあくねこの二次創作(恋愛小説)をアップしている。(下記画像タップでページに移動↓)
ゴリゴリのいわゆる恋愛系として書いているが、恋愛小説を書いたのは実は大学時代が最後で、実に10年以上前。(ということが、過去小説を見返してみてわかった。その間新人賞にはちょくちょく応募はしている。)こんなに時間が空いてしまったら、肝心な恋愛描写とやらを忘れてしまうのかと思いきや、
え、メッチャ楽しいよー!!!
って感じでそんなに空白期間は気にならなかった。
独学で執筆をやってはきたけど行き詰まり、「小説の書き方」みたいなことが書かれた指南書を読んだことがある。どれも結構当たり前のこと(文章の基本ルールとか、「とにかく読んで書け!」とか)しか書いてなくてあまり参考にならなかったなーという印象ではあるが、その中で結構タメになった本(テクニック的なことよりも、心構えとか方向性とかのことを書いた上級者向け)があって、その中に、「恋愛をメインテーマにすると、よほど上手くない限り陳腐なものにしかならない」ということが書いてあり、「なるほど」と思ったので、そこは気にするようになって今に至る。要は、メインテーマは別に取り(例:趣味の話、旅の話)、エッセンスとして恋愛を絡めると面白くなるよ、ということだったと思うが、これには非常に同感だ。
恋と死は、人が最も書きたがる人気テーマであり、同時に最も崩壊しやすいテーマでもある。素人が調子に乗ってこれをやると目も当てられなくなるので注意(などという偉そうなことを言いながらも、自分ももちろん通ってきた道)。プロでも恐らく苦心している。(話すと長くなりそうなのでこのくらいで。)
ってわけで、恋愛描写とか久々過ぎて書き順忘れるくらいの感覚だったんだけど、
メッチャ楽しいよー!!!!!
やっぱ新人賞目指して書くといろいろ小難しく考えてしまって苦しくなったりもするけど、そういう制約とか考えず自由に書けるって幸せだわ。本来こうあるべき。プロってやっぱ大変だよね。
……ってことで、このたびつくづく実感したポイントをば5つ。
制約に捕らわれず書ける喜びポイント①
- ○○は、「~」と言った。
- ○○は、笑った。
っていう平凡過ぎて出来れば避けたい素人描写もなんなく使える。
逆に言えば、プロはこれを乱発しない(そういうスタイルの人もいなくはないが)。
「と言った。」ばっかり自分は使ってるなあと思った方は、文末の表現をいろいろと工夫することで文章が磨かれるはずダヨ!
制約に捕らわれず書ける喜びポイント②
メッチャデフォルメしてカッコ良く書ける!
普通の小説って、結構リアルを重要視するとこがあるから、汚いとこをありのままに書いたりとかすることが推奨される。というか、あまりにカッコ良すぎる展開には、口の辛い人達が、「こんな人間いねーよ!」って目敏くツッコんできたりする。「ここ、冷静に考えたらあり得ないですよね」とかってあら探しするというか。ご都合主義はメッタ打ちに遭うものなのだよ。
故に、
「この小説の目的はドキキュンだから最高にカッコ良くしたいんですが何か」
くらいのテンションで書けるってマジ最高だよー。
そして、リアルを追及するような気持ちで小説書いてた時にはわからなかったけど、強調したいところを(嘘っぽくても)デフォルメして書く、っていうことも結構重要なんだな、とわかった。声優養成講座系の動画とか、イラスト関係の影響だけど、「デフォルメ」の概念って大事だなと。
……まぁ小説でのデフォルメはエンタメ系とかドキキュン恋愛系とか、ジャンル限られるかもしれないが。
制約に捕らわれず書ける喜びポイント③
あんまり気負わずに書ける。
これはおっきいー!
「次こそは賞を」とか「絶対に売れる本を」とかって気持ちで書いてる時は、一言一句、より良い表現がないかどうか、剥いで削るようにして言い回しや描写を練っていくからかなりしんどいものだけど、「ま、いっか、別に誰かに見せるためじゃなく私が楽しいから♪」っていう気楽さで書けるって最高過ぎる。かと言って全く推敲してないとか表現や展開に悩んでないとか読者がよりドキドキ出来るように考えてない、って訳ではないけど、楽しさベースで書いたのでルンルン。
制約に捕らわれず書ける喜びポイント④
文字数適当でいい。
新人賞応募の際は文字数の範囲は指定されているので、そこは最低限守らなければならない。志願者はそこで結構苦労したりする。(届かなかったり、縮めたり。)
でも何も制約がないと、文字数の過不足が気にならないということだけでなく、ストーリー展開に見合った描写量というヤツもあまり気にしなくてよいのだよー。ストーリーの流れ・勢いを見た時に、適切な文字数というものがおおよそあると思っとるが、そういうものを無視して尺を詰めたり出来るのだ。イメージとしては、フレアスカートをプリーツスカートにするような(謎比喩)。具体的に言えば、小説読む時も書く時も、一つの場面の文字数が短すぎると、私は「それで終わり?」って思っちゃう人で、大事な場面が端折られ過ぎてると、「その経緯をもっと丁寧になぞろうよ!」とかって思っちゃう人なので、そこらへんの呼吸は結構重要(だし、わかる人にはわかる部分)だと思ってる。
がー、そういう適切な尺を無視出来るのは、私としては「悩みが一つ減ったよ」って感じですた。あくねこも本当はもう少し丁寧になぞりたい派ではあるが、「最後のドキキュン」を書くのが巨大な目的になっているので、このくらいで。本当は1万字くらいに収めたかったけど、あれよあれよで1万5千~2万くらいになってしまうわ。無理して削らなくていいところも至福。
制約に捕らわれず書ける喜びポイント⑤
〆切りが無い。
プロの世界にはね、「〆切り」っていう恐ろしい凶器が存在していて、常にプロ様の首を狙ってるのですよね。怖い。
……はい、すみませんでした。
何より嬉しいポイントは、書いてるのが楽しかったこと。思い出させてくれてありがとうあくねこ。
そして、空白期間はあったものの、その間に覚えた描写とか語彙とかで、たぶん大学時代に書いてた二次創作ノベルよりも質は向上してるんじゃないかなとは思うよっ!
……今過去小説を読んでみたが、さほど変化は無かった(無能)。
結論。
10年経っても問題無く書ける(ネタさえ尽きなければ)。
生きてる限り、一度手に入れた〝呼吸〟を忘れることは無い!
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