夢について語る『Bloom my peachy dream』

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筆者
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執筆大好き桃花です。

今回は、私の超個人的な話です。興味ある方だけお読みください。

熱量ありそうなので、暑苦しいのが苦手な方はご注意を!

将来の夢について

小説家になること

プロフィール運営理念の中には記載しているが、小説家になることがずっと夢だった。もっと昔には漫画家に憧れていた時期もあったが、自分が一番求めていたのは、〝登場人物の感情を追いかけながらストーリーを創造すること〟なのだと知り、文章を書くことが苦では無いことも重なって、その向かう先は小説家に固定された。

いろいろ悩んでいる時、高校の頃の国語の先生から言われた、

「人間には大きく二種類あって、ポジティブ思考で人生がトントン拍子で進んでいってしまう人、もう一種類は、ネガティブで不器用で、何やってもうまくいかない人。あなたは後者かもしれないけど、本当に悩んだ人の気持ちって、あなたのような人じゃないとわからないよね」

という言葉が、〈作家になる〉という想いを憧れから決意に変えた。

自分へのメッセージ

もう20年近くも前、私は自分へ向けた決意のメッセージを、こっそりとノートに書き留めた。(画像下にテキスト文章で書き起こしてます↓)

 Bloom my peachy dream
                                 2006年9月20日
〈小説家になりたい〉
 小説家になりたい。よしもとばななさんのような。たった1行で宇宙まで広がるような、それでいて海のようにキラキラとした情景描写で、闇を込めたはかなく切ない語りの中に、朝の陽射しが顔を出すような、そんな優しくて、強い小説を書きたい。
 これまで考えてきたこと、心に積もり重なったこと、外に表すことも出来ずに溜まったものを吐き出したい。自己中心的な解放ではなく、きちんと人の心に届く〝想いの宝石〟という形で。読んだ後に何も残らない自己満足にとどまるだけのくだらない小説なら、書く意味もない。何かを届けたい。やさしく伝えたい。つよく訴えたい。
 けれども今の私ではそれに足りない。蓄えがないから。もっともっとたくさん言葉を知って、描写も覚えて、ものを感じ、深めていきたい。苦労しない小説なんかじゃ、蒸発して消えてゆくだけ。苦しんだ跡のある小説を書きたい。どれだけ時間がかかろうとも無駄に感じようとも、努力して、勉強していこう。ここを絶やさぬように。奥底にしっかりと、想いの種と知識の肥料の根付いた小説家になりたいから。
 苦しむ人を、楽にしてあげたい。悩む人の傍にいたい。ほんの少しでも。いくらこの想いを抱き締めていても、私なんかじゃ何も救えないかもしれない。それでも、出来る限りのことをしたい。1%の希望があるなら、それを信じ続けていたい。たとえ私の小説で読む人の心を解放出来なかったとしても、一瞬でいいからイヤなことを忘れてもらえたらいい。
 ツラい思いをした人を、楽をした人間が救えるとは思わない。誰かの気持ちを軽くするために、私も苦しい中に乗り込んでいこう。誰かを助けるためなら、ツラい思い出も苦しい想いも、私は真っ直に向き合える。イタかった、そして今もイタむ意味もあると思う。
     強く    優しく
 これからも、現実の波に飲み込まれて嫌になるだろう。何度も泣くだろうし、自分を捨てたくなるかもしれない。どこまでも沈み込むし、誰もかも、自分さえも信じられなくなって絶望して、諦めにすがりたくなる。夜がコワくて、朝がツラくて、すべて、壊したくもなるだろう。
 それでも、思い出して。
 私も幸せになりたい。周りの人にも、幸せになってもらいたい。
 だから、書こう。涙を拭いて。顔を上げて。今は形もない〝夢〟に強い息吹を吹き込むのは私だよ。魂の花を咲かせよう。瑞々しく、凜とした花を。
 真っ直歩いてゆこう。夢へ向かって。

私らしく無邪気で純粋で、相変わらず馬鹿なこと書いとるわ、と思う。でも、めげそうになった時、いつも読み返して気持ちを奮い立たせている。

家庭の事情で公務員に就職し、働きながら執筆を続けて新人賞に応募してきた。ところが、勤め始めてからはほぼ毎年のように鬱で休職と復職を繰り返してしまっている。いろんな人に迷惑をかけながらも、時間と心に余裕のある限り執筆し続けてきた。それでも現実はなかなか変わらなくて、年々自分に対する無価値感と絶望感、焦燥感ばかりが大きくなってゆく。

作家になりたい理由

〝話す〟よりも〝書く〟

昔から文章を書くことは好きだったけど、才能は無いと思っている。言葉が浮かばないことの方が多いし、書くスピードも遅い。個性的な表現が出来る訳でも、独創的なストーリーを思いつく訳でもない。

でも、人と話すことはもっと苦手だ。私は思ったことを即座に言葉にすることが出来ないし、自分なりに一生懸命説明してみても、ポカンとさせてしまうことが多い。私は人と話した後、うまく言葉に出来なかった自分をぐるぐると思い出して責めてしまう。

〝話す〟って一つの特殊スキルだと思う。苦手な人にはどんなに練習しても限度がある。

でも文章なら、言いたいことを時間をかけて調べたりして、最適な表現に近づけていくことが出来る。より相手に伝わるにはどうしたらいいのか、より相手の感性に触れるにはどうしたらいいのか、と十分に練り直すことが出来て、満足したタイミングで相手に手渡すことが出来る。

私には、こっちの方がまだ性に合っているということなんだと思う。

必要としてくれる人にだけ

私には、本当に必要としている人だけに言葉を届けたい、という想いが昔からあった。ただ闇雲に有名になりたいという気持ちは一切無かった。とにかく必要としてくれる人、読みたい人にだけ、ごく少数でもいいから求めてもらいたいという気持ちがあった。

でもそのためには、逆説的な話にはなるが、出来るだけ多くの人の目に触れる形にしていかなければ、と思っていた。いろんな人の目に晒されなければ、本当に興味を抱いてくれる人は現れない。私の目標は「名の売れた作家になる」ではなかったけれど、「本当に必要としてくれる人に見つけてもらうために、その手段として『名の売れた作家になる』必要がある」と思った。その手っ取り早い方法として、新人賞に的を絞った。新人賞を受賞すれば、受賞作家としてひとまず名前と作品は世に出るからだ。

作家にならないと叶わないのか

強すぎる執着

これが叶うならもうどんな手を使ってもいい!というくらいの気持ちで、だいぶ前から引き寄せの法則とかも実践したりしてきた。(おかしな壺を買わない理性はあると自認している。)お金も友人も結婚にも執着は無かったが、人生で一つだけ、小説家になる夢だけは叶えたいと願ってきた。

だが執着が凄すぎるのか、一向に扉が開く気配は無い。一点集中で願望を放ってきたが、やっぱダメなのか、という落胆を何度も繰り返してきた。

そもそも甘い世界ではない。どんなに強い願いを持っていようが、勝負の世界は勝ち負けで決まるものだし、運や才能というものの可能性ってやはり否定出来ないものだと思う。

2022年の応募作品がまた落選だったと知った時、毎度のことながら絶望した。ドッと落ち込んでから、改めて考えてみた。

  • 私は本当にこのことを叶えたいんだろうか。
  • 私は過去続けてきたことにしがみついているだけなのか。
  • なんで、諦められないんだろう。こんな苦しい思いをするなら、諦めてしまえば楽なのに。

きっと夢が叶わなくても幸せなことはたくさんあるとは思うんだけど、やっぱりこれが叶わないと死ぬ時後悔するな、ということは毎回思う。自分の至らなさと、弱さと、努力不足と、気合い不足とを責めて、「自分はやっぱりダメだったな」とかっていう最期。考えるだけでしんどい。

やっぱり最後には、「どんなにしんどくてもこの夢を目指したい」という言葉に行き着く。つくづく馬鹿で、諦めの悪い自分に溜め息しか出ない。

もっと深く、譲れない所、願いの核となる部分を自分に問いただしてみたところ、

「自分らしい文章で、苦しんでいる人の心をほんの少しでも軽くしたい」

という想いが改めて顔を出した。

いま出来る現実的なこと

そして、この願いを叶えるための手段として、「ブログ」に思い至った。原点の想いさえ叶うのなら、作家デビューという道にこだわる必要はないと思うようになった。過去にはブログを書いていたこともあったが、嫌なことがあって辞めていた。あの時のことを考えると、また心の中を荒らされる経験をするのはしんどいし、出来れば思い出したくない過去だった。

でも、少しでも可能性があるなら。私が勇気を振り絞ることで、誰かの悩みがほんの一瞬でも軽くなるきっかけを作ることが出来るなら。死ぬ前に、「ここまではやった」と自分を認めてあげられる材料にもなるかもしれない。

確かに、私なんかよりも遙かに大変な思いを背負って生きている方が大勢いるだろう。それでも私は、私自身の辛かった経験から、誰かを少しでも楽に出来ないだろうか、と常に考えてしまう。実力も才能もパワーも能力も何も無いけれど、その気持ちだけは何故かずっとある。手のひらの中で、いつプチッと潰されてしまってもいいくらいの小さな願い。それでも、強く眩しくて、けなげで一生懸命で、とても目を逸らし続けることが出来ないワガママな光。こんなものさえ持ってなければ、としょっちゅう思う。振り回されてばかりでしんどいばかりで。このために、何度泣いたか知れない。でもすごく私らしくて、愛おしい大切な願い。

苦しい時に救ってくれるもの

【悩みの検索難民へ】~まずは心を落ち着かせて~

人生しんどい時、そのツラさを解消してくれる答えを欲して、現代人はネットの検索機能に頼る。人間関係、失恋、親子関係、お金、仕事、いろんな悩みに対するまとめ記事があるけど、どこかで聞いたことのある話や既知の知識ばかりで、気持ちがスッキリすることって案外少ない。結局他の記事、他の記事、とあてどなくネットの波を漂ってただの時間潰しにしかならず、根本解決に至らないケースが多々あると思う。

そういう時、まず悩みから離れていったんスッキリすることが大事だと思う。そしてスッキリするためには、〝笑う〟か、〝泣く〟か、というのが手っ取り早い一つの方法だと私は考えている。悩み自体の根本解決については、気分が落ち着いた後、それこそ本やネット記事を参考に、時間をかけて取り組んでいくのがいいだろう。

私は、悩みから抜け出せない人々の一時的な避難場所として、

  • 落ち込んだ時の励まし系もしくは憂鬱系(詩その他)→【癒し・泣き】を目指す
  • ちょっと笑ってしまうようなくだらない話題(日本語系、ネタ系)→【笑い】を目指す

をブログの二本柱として運営していこうと決めた。

この他にも、自分がHSPであることやメンタル、人間関係などで悩んできたので、少しでも読者の方へヒントになるような記事も書いていきたいと思う。

最後に

ずっと夢に向かって励んできたつもりでも、結局何の成果にもならず、

「何のためにここまで努力してきたのだろう?」

と燃え尽きるような感覚だった。でもやっと、自分が好きな文章というツールを使って、自分が悩んできたことも活かしながら、本当の望みである「誰かの心を軽くすること」ということを叶える入り口に立ったような気がする。

小説家を目指しているということは他人には打ち明けず、一人で黙々と頑張っている状況だった。でもこれからは、読んでいただける方々にとって力になれるよう努力することで、自分の居場所を確立しながら、文章を書くことにも向き合っていきたいと思う。

そして出来れば、人生や悩みと一生懸命向き合いながら生きている皆さまと相互応援出来れば最高だ。ずっと人間関係には悩んできたので、〝人は自分を攻撃してくるもの〟というイメージが拭えない。一人だけで闘わなければと思ってきた。そのことで得られたことや守られてきたものもあるけれど、だからこそちっぽけな力で何も動かせなかったのかもしれないとも思う。

自分をさらけ出して踏み込んでいくことは、私にとってはものすごいチャレンジだった。でも、本来の願いを叶えるために怖さを乗り越えようという気持ちが勝ったので、こうして思いを綴っている。

私の時にバカで時に深刻な文章に触れることで、あなたがほんのわずかな時間でも嫌なことを忘れてくれるなら、それほど嬉しいことはない。

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ここまでお読みいただきありがとうございました。皆さまのこと、心から応援しています!

こちらにも私の思いを記載しておりますので、余力ある方はご覧ください。→運営理念

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