筆者
執筆大好き桃花です。
今回も過去の詩のアップです。
あの頃ホント悩んでたなぁ。。。
ぽえむ【人生】⑲『Place』
Place
何度こうして泣けば これから何度こうして泣いたら
私は幸せの場所へと辿り着けるのだろう
周りを見渡してみても そんな景色影すら見えなくて
行きたい場所はあるのに その方向に必死に歩いているつもりなのに
いつまで経っても近づきやしない
私はどこへ歩いているんだろう……
「必死に頑張ったら いいことある」って
「諦めずに追い続けたら きっと手に入れられる」って
そのコトバ 信じてずっと歩いてきたのに
あれから一体どれだけの月日が経ったんだろう……
何度 倒れただろう
何度 つまずき転んで
何度 一つの場所を求めてだけ キズつき苦しんできたんだろう
私はやっぱりあの場所へ行けない
繰り返し繰り返し 「でも……」って疲れた体を奮い起こして
歩いて歩いて歩いて……
やっと辿り着いたと思った場所は いつも幻だった
私はここからあそこへは行けない
また歩き出したら 深くキズつくだけかもしれない
またこの場所へ戻ってきて 絶望するだけかもしれない
もう これ以上……
でも やっぱりね 諦めたくだけはないんだ 諦められない
やっと見つけた幸せの場所だもの
あの場所へ行けば 今までの涙だって全部 足跡に変わるんだ
そしてずっとくぐり抜けてきた苦しみは 勇気に変わる
とても長い足跡と 大きな大きな勇気に会える
それがいつかはわからない
でも私は また歩き出したい
あとがき
10代のあの頃書いた詩をこうして見返してみると、
本当に無我夢中だったのにいくら進んでも真っ暗闇で、
なんでこんなに苦しんでたのかわからないけど、
一つのことしか見えなくて、閉じ込められていて、崖っぷちで、刹那的で、脆弱で、
あの頃の私と今の私とは比べものにならないくらい、心の状況とかは変わっている筈なのに、
根っこの部分はいつまでも変わらないな、すごく私くさい詩だな、
と思う。
要は、死に物狂いでよく自分を変えてきたな、とも思うし、あの頃のまんまだな、とも思う。
私はすっかり変わったという見方も、全然変わってないという見方も、どちらも正しい。
でも正直、やっぱ私らしいわ。
元から踏みつけられては跳ね起きるような雑草魂?で生まれてきたような気もするし、
こういう詩をたくさん書き続けた結果、粘り続けなければという思想になったような気もする。
これもおそらく、どちらも正しい。
今は誰かに詩を見せたりすることもないので、なんとも言われることもないけれど、
「桃らしいね」
って言葉になぜか、無性に嬉しく感じるタチなので、こうして詩を見返して、
「自分らしいな」
って勝手に一人で思っては、嬉しくてほくそ笑んでしまうのだヨ。
白桃ちゃん
果物の桃もカラーの桃色も好きだし、前世桃だったよねきっと。
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