【偽考察】ものくさ太郎に納得いかない!~なぜダメ男が億万長者になってしまったのか~

アイキャッチ(物くさ太郎) エッセイ
筆者
筆者

くだらないことを考えるのが大好きな救いようのない桃花です。

今回は、「物くさ太郎について語る桃太郞」と題しまして、

……いや、やっぱり題してませんが、

そんなに有名ではなさそうな「物くさ太郎」について、あれこれ語ってみようと思います。

※子供の頃は『ものさ太郎』と濁点つきで覚えてた気がしますが、どうやら『物くさ太郎』というのが本来(?)のようなのでこちらに統一することにしました。個人的にすごく言いにくいんだけど……

『偽考察』シリーズは、世にある物事の中で筆者が気が向いたことにぶつくさツッコミを入れたり適当に調べてそれらしい事を偉そうに喋ったりする、低品質な読み物シリーズです。

まえがき(昨今の風潮)

昨今の風潮

〝がむしゃらに頑張ることはカッコ悪い〟という風潮になっている。

最近では、〝いかに無駄なく最短ルートで成功に辿り着くか〟というのが一種のブームで、そうした書籍や動画が多量に消費されているようである。

〝クソ真面目に頑張るなんて恥ずかしい〟、〝汗や努力は古くさい〟、〝ロジカルに賢くスマートに〟の考え方が流行って久しい。

やはり人は、〝苦労せず、素早くコツだけ掴んで成功し、楽々と幸福になる〟というのにかれてしまうものだ。

そりゃそうだよね。無駄な努力なんて無駄なだけ。頑張ったのに成果も出ないなんて、むなしいどころかメンタル面にも悪影響だ。

〝努力〟って本当に報われるの?

私は自分が不器用であるという自覚があったため、いわゆる〝努力〟でカバーするしかないと思っていた。不器用で才能も無い人間は、他人の10倍、50倍の量をこなしてやっと同位置に立てる。そうやって励んできたつもりだが、やってもやっても全く進歩しないと感じていた。自覚もある上に、習い事の先生らからも「時間をかけてる割には全く進歩しない」というお墨付き(?)をされてしまった始末だ。

でも、やり方と方向性さえ間違っていなければ、努力すればいつかは報われるんではなかろうか。私は努力が足りなすぎるのだ。努力を続けていれば必ず……。

そうやって続けているけれど、まるで辿り着くきざしが見えない。

そうやってかねてから「努力は報われるのか論争」を頭の中で50億クールくらい繰り返し、最近ではすっかり〝学習性無力感〟に取り憑かれてるとおぼしき桃花である。

『学習性無力感』とは

心理学者のマーティン・セリグマンが提唱した心理学の概念で、長期にわたって〝報われない〟経験を繰り返した結果、「何をやっても無駄だ」という認知を学習してしまうこと。無気力、無力感に満たされ、うつ病と類似した状態を呈する。

怠け者が成功する!?

そんな時、『ものくさ太郎』なる人物が目に飛び込んでくれば、条件反射的に怒りが燃えたぎってしまうもの!

なんでヤツは、救いようもないぐうたらなクズの権化ごんげのような人種でありながら、とんとん拍子にハッピーエンド掴んじゃってんの?

なんで頑張っても報われない人間を尻目に、サボって怠けて働きもしないで役立たずのような人間が、あれよあれよと億万長者になってんの?

やっぱり人情として、

「それだけのもの(地位)を手に入れたからには、相当のもの(努力とか)を支払ったんだよね?」

みたいなのがある。

いわゆる〝真面目に一生懸命頑張ること〟は苦しい。努力や労力をいくら積み上げたところでなかなか成果に繋がるものでもないし、多くのものを費やしたりぶつけたりしながら報われないなんてのは珍しいことじゃない。そんな中、怠け者がひょいとゴールにワープしちゃうようなことがあると、「ちょっと待てよ」となるのだ。

でも、先にも述べたように、本当に〝努力しないで怠けててハッピーになれる〟のだろうか?

それを成し遂げた「物くさ太郎」氏はどうやってハッピーを掴んだのだろうか?

努力は馬鹿馬鹿しいだけなのか? 働かずに怠けてた方が力が抜けてて身軽に成功できるのか? 我々が日々懸命に向き合ってる多くの事って無駄なのか?

もしかしたらヤツは、素晴らしい幸福ショートカットのスキルを持っていたんだろうか?

この効率主義的ゆる楽ルートが敷かれ始めた現代において、我々が彼から学ぶべきことがあるというのだろうか……?

そもそも、この話のあらすじってなんだっけ? あれ、全然覚えてない……。

(注:筆者は小学校の文化祭で劇をやっているはず。)

という訳で、まずはあらすじからおさらいしなければならないことがわかった。ここは原作に忠実に、その物語を甦らせてみよう。

「物くさ太郎」のあらすじ

あらすじ

昔々、信濃国に「物くさ太郎ひぢかす」という怠け者の男がいた。ものくさ太郎は毎日働きもせず寝っ転がってばかりいた。ある時、人からもらった餅をもてあそんでいるうちに、餅は道に転がっていってしまう。そしてたまたま近くを通りかかった地頭に「餅を拾え」と言う。怒るどころか物くさ太郎に興味を抱いた地頭は、近隣の者に対し、この者に飯や酒を与えて養うよう命ずる。

3年後、国から仕事の依頼が来るが、嫌がった住民達は相談し、「都に行けば綺麗な女を妻にもらえんぞ」と説得して物くさ太郎を向かわせた。仕事を始めたものくさ太郎は突如人が変わったように働き者になり、大変気に入られた。しかし帰る時になっても妻になるべき女が見つからない。そこで宿屋の助言に従い、清水寺の門前で両手を広げて立ち、女を連れ去るべく物色する。たまたま通りかかった美人の女房を捕まえて妻にしようとするが、女は謎かけの和歌を残してなんとか逃げる。だが物くさ太郎はこの和歌の謎を解き、女房の屋敷に忍び込む。物くさ太郎の詠む和歌の素晴らしさに女房は感じ入り、二人は結ばれる。垢まみれの物くさ太郎を7日間風呂で洗って立派な服を着せると、別人かと見紛うほどの美男子になった。

やがて物くさ太郎は「うたの左衛門」と名乗ることになり、帝も感心するほどの和歌を詠む。その素性は「深草の帝」の後裔であることが明らかとなり、領地を治め子孫は繁栄し、120歳を経て「おたかの大明神」という神となった。おしまい。

※参考「Wikipedia」『物くさ太郎』

感想

ますます疑問は深まるばかり・・・! ツッコミどころ多過ぎでない?

●まず、「ひぢかす」って何だよ?

 →意味はわかりませんが名前の模様です。

●そもそも働きもせず寝っ転がっているのに生きていられるのはなぜ?

 人として生きていくからにはさ、やっぱ食べていかなきゃいけないよね。どんなに働きたくない怠け者でも、ライスワーク(食い繋ぐためになんとかこなす仕事)が必要だよね。

●怠け者なのに、なぜ餅をもらえた?

 →現代でいうところのほどこしみたいなものか? いや、嘲弄ちょうろうに近かったのかもしれない。

●地頭、なぜ怒りもせずにこの不届き者に興味を持った? さらになぜ近隣住民に養わせた? 近隣住民可哀想過ぎるくない?

 →ご自身がこの怠け者の隣人だったことを想定してみてください。汗水垂らして自分の生活を支えるべく働きながら、この無職の男に無償で食事やら酒を与えなければなりません。……いや無いでしょ。

【ザックリ解説】

地頭じとう:鎌倉時代、室町時代頃に国の領地を管理支配するために設置された役人。権力を持ったいわゆる〝偉い人〟で、逆らうなんてもっての他だった。
なお、地頭じあたまと読むと、元々頭の出来がいい人、みたいな意味合いになる。

なぜ上洛じょうらくするや否や真面目な働き者に豹変ひょうへんした? 人ってそんな瞬速で変わる? しかも「元々怠け者→働き者」って、この間に相当巨大な理由でもない限り無理だと思うのは私だけ?

●「清水寺の門前で……」

 →もはや犯罪。女性の視点からしたら、「キモい! 無理!」って感じなんだけど、この頃は当然だったのか……? 現代人でよかった!

なぜこのやり口でたまたま通りかかった美人をゲット出来る?

●学習経歴ゼロっぽそうな元超絶怠け者なのに、なぜ和歌の才能がある?
(私はますます「努力か才能か論争」を頭の中でドンパチやりそうになるぞ!)

無理矢理羽交はがい締めにしてきた上に自宅に侵入してきた不潔な男でも、和歌がうまいと結婚しちゃうの?

 →当時の価値観がここに表れている、……のか?

●「垢まみれの物くさ太郎を7日間風呂で洗って立派な服を着せると、別人かと見紛みまがうほどの美男子になった。

 →なんのかよ!!

みかども感心するほどの和歌を詠む。

 →それほどの才能ってなんで隠れてた? いくらなんでも無理ありすぎ。

素性判明。

 →なぜ物くさ太郎として落ちぶれてたのかも不明だし(帝の子孫ならそれなりの環境で生きているのでは)、逆に突然帝の子孫になっちゃうのも突飛過ぎる。

120歳過ぎて神様になりましたとさ。

 →もはやついていけないレベル。

という訳で、真面目にツッコミ入れてたらもはやストーリーとしてメチャクチャだったということがわかった。

いわゆる昔話って、教訓めいたものというイメージが強かったから、こういったハチャメチャ系だと私が知らなかっただけだ。(勝手な決めつけによる凡ミス)

どっちかって言うと、現代の「ショートショート」とか、そっちに近いのかもしれない。

あらすじをザッと追ってみてますます不納得感は膨れ上がったものの、思うにこれは、願望譚がんぼうたんだったのだ。

「あんなこといいな~♪ できたらいいな~♪」の世界だ。(なんかちがう)

働くのが嫌で嫌で仕方ない作者(たぶん男)が、「こうだったらいいのにな~」っていうのを詰め込んだ話なのだろう。

  • 上司や権力者に偉そうな口をきいてもかえって喜んでもらえる。
  • 働かなくても食べ物と酒を自動的に与えてもらって生活できる。
  • 大して苦労しないで美人妻をゲット
  • 勉強(努力)しなくてもトップ顔負けの才能を持ってる。
  • 着飾れば実はイケメン
  • 全体にわたって超絶運が良すぎる
  • 家・土地ゲット、高地位獲得、子孫繁栄、長寿命
  • 実はやんごとなき家系だったし、もっと言えば神様だしね、俺。

……っていう。

うん、凡人の私には納得できなくて当然だったわ。(だってそもそも人じゃなかった!)

「物くさ太郎は」の作者は、「欲まみれ太郎」という妄想野郎に違いない。(垢ではなく……)

しかし、(男なら)誰もが憧れるありとあらゆる欲望を詰め込んだ話というのであれば、まぁ私の生真面目な理解力と納得感はおさまらなそうでもあるけど、そういう話なんだろう。

当然人は苦しみながら頑張り続けるよりも、手を抜いて働かず楽してハッピーなのが嬉しい。

昔から人はそんな妄想に駆られてきたのだろう。だからこそこのハチャメチャ過ぎる願望譚は多くの人々に共感され、今日こんにちまで生き続けてきたのだ。

現代版「物くさ太郎」

これまた1ナノグラムも報われることのない不毛な行為だが、『物くさ太郎』を現代版に直してみた。

あらすじ(現代版)

結構最近の話だが、長野県に無精ぶしょう怠惰助たいだのすけという怠け者の男がいた。怠惰助は毎日職探しもせず『人をダメにするクッション』に寝っ転がってゲームばっかりしていた。ある時、人から恵んでもらった某コンビニのおにぎりでジャグリングをしているうちに、窓からすっ飛ばして道路に落っことしてしまう。その時たまたま近くを通りかかった某大臣に、二階から「それ拾ってくれないか」と言う。怒るどころか『面白いヤツだ』と思った大臣は、長野県知事に対し、県をあげてこの者に食事や酒を与え養うよう命令する。

3年後、国から期限付きの公務の仕事依頼が来るが、眠らない城霞ヶ関に行くのを恐れた県民達は相談し、「東京に行ったら綺麗な奥さんができるぞ」とそそのかして、無職の怠惰助を向かわせた。仕事を始めた怠惰助は突如人が変わったかのようにバリバリのビジネスマンになり、人気者になった。しかし公務の期限が来ても独り身のままである。そこで怠惰助は住み込みのホテルのフロントマンの助言に従い、約3時間半かけてわざわざ京都まで出向いた上で清水寺の前で両手を広げて立ち、女性を誘拐すべく見物する。たまたま通りかかった美人の高級官僚に突然抱きついて妻にしようとするが、美女は謎の歌を口ずさんでなんとか逃げる。怠惰助はこの歌詞の謎を解いて住所を割り出し、オートロックがかかったセキュリティ厳重な女性のワンルームに忍び込む。怠惰助が美しいミックスボイスで高らかと歌を歌うと、美女は感動し、二人は結婚する。垢まみれの怠惰助を7日間バスルームで洗って上等な衣類を着せると、別人かと見紛うほどのイケメンになった。

やがて怠惰助は「怠惰あがりの元垢まみれシンガーソングライター」と名乗ることになり、天皇も感心するほどの功績を残し、皇室にも招かれた。戸籍を追っていくとその素性は天皇家に繋がっていることがわかり、広大な土地と豪華な家屋を与えられた。夫婦仲睦まじく子宝にも恵まれ、県知事選挙に立候補して圧勝で当選し、120歳まで長生きして、怠惰神たいだのかみという新たな日本の神となった。おしまい。

※厳密に言えば「地頭」は「大臣」じゃなくて「県知事」の方が近いかも、とか、勝手に付け加えたところとかありますが、適当に書いた駄文なので細かい点は軽く流してください。

という訳で、学ぶところはほとんど無いただの昔話だったとさ。

筆者
筆者

こんな無駄な記事書いて時間を浪費してないで、ちゃんと目標に向かって頑張れるといいんだけど……。

報われないのは当然の帰結かもしれない……。

コメント

タイトルとURLをコピーしました