浦島太郎に納得いかない!〜なぜ亀を助けたのに寿命を奪われたのか〜

エッセイ
筆者
筆者

執筆大好き桃花です。

今回は、「浦島太郎について語る桃太郞」と題しまして、

……いや、題してませんが、

かの有名な「浦島太郎」について、様々な切り口から論じてみたいと思います。

注意

一口に「浦島太郎」と言っても様々なバリエーションや研究があるようですが、今回はわかりやすいよう、最も皆さまに馴染みが有ると思われるストーリーに絞って記述しております。

まえがき(「浦島太郎」のあらすじ)

「浦島太郎」と言えば有名な昔話だが、昨今の超情報化社会の波に埋もれ、記憶が海底に沈んだまま浮上してこないとお嘆きの方もいらっしゃるかもしれないので、念のため落書いてみた(なお桃花的要約)。

昔々、浦島太郎という人が浜辺を歩いていると、亀が子ども達にいじめられていた。浦島太郎が亀を助けてやると、亀は「助けてくれてありがとう。お礼に竜宮城にお連れします」と言い、その背中に浦島太郎を乗せて、海中にある竜宮城に向かった。そこでは美しい乙姫が出迎え、浦島太郎は盛大なもてなしを受け、毎日楽しく過ごした。そんなある日、浦島太郎は両親のことが気になり帰郷を願い出ると、乙姫は寂しがったが、とうとう、「決して開けてはなりません」と玉手箱を手渡して別れを認めた。亀の背中に乗って帰ったはずの浦島太郎だったが、家が無く、景色もすっかり変わってしまっていた。途方に暮れた浦島太郎が玉手箱を開けると、中からはもくもくと煙が立ち上り、浦島太郎はおじいさんになってしまったとさ。おしまい。

そもそも論

まず、そもそも「浦島太郎」って、「浦島」が名字で「太郞」が名前という理解でいいんだろうか?

というのも、「桃太郞」とか「金太郎」は恐らく、それ全体で名前だ。その系列だとすると、「浦島太郞」も全体で一つの名前ということも考えられる。

が、「浦島太郞」のイントネーションを考えた時に、

「うらしま↘・たろう↘」

というイントネーションの方が自然な気がする(ので「名字+名前」な気がする)が、

アクセント辞典(『新明解日本語アクセント辞典』)には、上記イントネーションの他に

「う・↗らしまた→・ろう↘」

も載っていたので、ちょっとこれだけで判断するのは難しいかもしれない。

もしくは地名説。那須与一的な。

調べてみたところ、浦島太郎はもっと昔、「浦の嶋子」(「子」がついてるから最初混乱したけど、男性(=浦島太郞)の名前だったそうな。小野妹子と同じ)という名前だったようで、そこから考えるに地名が名字になってる説(浦島辺りに住んでる太郎さん)も濃厚だろう。

とりあえず、「浦島さん」って言って通じそうな気がするので、名字ということで話を進めていこう。

感情的側面から論じる浦島太郎について

教訓は何か

子ども向けの童話であることから、この「浦島太郎」にももれなくいくつかの前提条件(暗黙の了解)があると考えていて、

  1. 道徳的なことを教える内容(教訓)になっている(教育的・道徳的)
    • 勧善懲悪(悪いことをすると、こらしめられる。善いことをしようね) 例:桃太郞

    • 因果応報(いいことをすると、報われる。逆も然り) 

  2. 何かを示唆している(示唆的) 例:青い鳥

あたりがメインどころじゃないかと思っている。(もちろん他にもあり。)

その観点から「浦島太郎」の物語を考えるに、疑問符がいくつもこぼれ落ちてしまうのだ。

私はどうしてもツッコミを入れたくなる。いわく、

もしもしカメよ、カメさんよ。それは〝恩返し〟ではなく〝恩を仇で返す〟というヤツでなかろうか。助けに入った英雄浦島太郎を老化させちゃうとは何事ねん! だから高齢化が加速するんやないかっ!

「だから開けちゃダメって言ったじゃないの!」と反論する乙姫様、じゃあなんでそんな危険物渡すの? 「絶対開けちゃダメ」と言いながら渡すその心は? 開けられても困るし、開けなくても「渡す意味ある?」ってなる。

作者は、一体何を子供達に伝えたかったのだろう? 「人の言いつけを守りなさい」? いや、言いつけを守る前に既に〝大事な物は奪われてしまっている〟 それに、これは太古より伝わりし由緒正しきおとぎ話なのだから、〝亀を助ける〟や〝竜宮城に行く〟や〝じーちゃんになっちゃう〟には何か深ーい意味が込められているに違いない、そうあって欲しい、でなきゃ寓話じゃないじゃん! って思うんですよ。これじゃあ、

「いじめられてる子がいたら見て見ぬフリをしなさい。さもなくば誘拐され、選択の余地無く一生分の楽しみをぎゅーっと凝縮された後に、両親の死に目に会えないどころか住まいを奪われた挙げ句、老体までプレゼント!」

じゃん。嫌だ。絶対に嫌。

あの時カメを助けてさえいなければ……、と浦島老人は後悔し続け、泣いて死んでいったことだろう。美しい女性恐怖症にも陥ったであろう。彼の青春は消え去った。思いやりの心を持っていたがために。

女性からしたら、若くてピチピチの魚を釣ってる浦島ピチピチ子ちゃんから突然ばーちゃんにさせられたら、たまったもんじゃないよ。激怒の嵐だよ。若さは女性の最高の資産なんだよ! 許すまじ乙姫、って凄まじい呪いを受けて、海は真っ黒に染まるよ。血の海よりも怖いよきっと。

反論と反駁

ここで想定される反論について、私なりに反駁はんばくを加える。

反論1:人生プラマイゼロなのだ。一気に幸せ量を消費したならば、あとは苦痛を味わうべし。

→トラウマ童話にしかならない。

反論2:約束守らなかった浦島太郎が悪いんじゃね?

→守る前に両親と家を奪われてますが?

反論3:乙姫は地上の時間感覚と竜宮城での時間感覚とのゆがみを調整するべく、そのズレを浦島太郎に何らかの形で手渡さなければ、この世における正常な時間感覚の均衡を保つことが出来なくなるため。

→難し過ぎるわっ! ひらがな習い始めの子達にそれを説明出来るのかっ。

現代版浦島太郎

この奇妙な物語を身近な例にたとえるならこんな感じ。

心優しい少年は公園で仲間はずれにされていた子を可哀相に思い、助けてあげた。いじめられっ子に「ウチに来て」と言われて行ってみると、そこは驚く程の豪邸で、出迎えてくれたのは超美人の母親だった。母親は盛大なお菓子パーティーを開き、少年はかつて経験したことのないくらい美味しく楽しい時間を過ごした。パーティーが終わり少年が帰ろうとしたところ、母親から、

「これを持っていって。でも、開けちゃダメだからね」

と言って爆発物を渡された。(以下省略。)

ってのと同じニュアンスだと思うんだけど、これ、どうなの?

禁止されることでさらにやりたい感が増す、っていう心理学的テクニックによってさらに危険度増してる気もするけど、そこらへんもどうなの?

それに加えて納得出来ないのは、乙姫さん、時間軸が違ってること、伏せてましたよね? 浦島さんは、まさか「お礼させてください」って連れて行かれて何百年も経っちゃうなんて思いもしなかったと思いますよ? 百歩譲って乙姫ちゃんが知らなかったとしても、「開けちゃダメ」な物を手渡してる時点で、腹に一物いちもつあり、って感じ。

まぁ、「開けちゃいけません」って代物しろものを、いぶかることなく素直に持って帰る浦島さんも浦島さんだとは思いますが。

法的な観点から論じる浦島太郎について

注意

小難しい話になっていますので、法律学んでない方はスルーしてください。
小難しそうに話してるわりに内容は薄っぺらいので、法律に詳しい方もスルーしてください。

なお、条文内容は本記事執筆時点のものです。

では次に、浦島太郎と乙姫との間に取り交わされた取引行為について、契約行為が成立しているのか見ていくことにしよう。はじめに、両者間での取引行為において、乙姫(Y)の浦島太郎(X)に対する玉手箱の提供は、民法上の贈与に当たるだろうか。

民法第549条(贈与)
贈与は、当事者の一方がある財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方が受諾をすることによって、その効力を生ずる。

民法第551条(贈与者の引渡義務等)
1 贈与者は、贈与の目的である物又は権利の瑕疵かし又は不存在について、その責任を負わない。 ただし、贈与者がその瑕疵又は不存在を知りながら受贈者に告げなかったときは、この限りでない。
2 負担付贈与については、贈与者は、その負担の限度において、売主と同じく担保の責任を負う。

今回のケースでは、Yの目的物の提供に対し、Xが受領していることから、Xに受け取りの意思があったものと判断し、贈与と見ることができそうである。

ただし、XY間の贈与が成立していた場合において目的物に瑕疵がある場合、贈与契約の瑕疵担保責任をYに問える可能性が生じる(民法第551条)。贈与においては、目的物に瑕疵があった場合でも、贈与者は原則責任を負わない。ただし、贈与者が目的物の瑕疵等の存在を知っていたにもかかわらずこれを受贈者に告げなかったときは、贈与者は瑕疵担保責任を負うとされているのである。

本ケースでYはXに目的物の引き渡し時、「決して開けてはなりません」と告げていることから、目的物を開けた際になんらかの不都合が生じる可能性を、Yは事前に予見していたと考えられる。そのため、X(浦島じーちゃん)はY(乙姫)に瑕疵担保責任を追及し、オラオラァと圧力をかけることができるのである。

要約

「決して開けてはなりません」って言いながら渡した乙姫も悪いよね?

理系的なアングルから見つめる浦島太郎について

浦島太郎について、〝宇宙に行ったんだ説〟がある。その説の概要は次の通り。

すなわち、カメ=宇宙船、であり、浦島さんは海じゃなくて実は宇宙を遊泳していった。竜宮城には3年しかいなかったのに、実際には300年経っていたのは、〝相対性理論によって光の速さで移動したことにより時間が遅くなったため〟である(計算式が一致する模様)。こうした「運動している物体の時の流れが遅くなる」現象には『ウラシマ効果』という名称までついているというのである。

(『相対性理論』によれば、2人の一卵性双生児のうち、Aは地球上に滞在、Bはほぼ光速で宇宙へ移動したとすると、光の速度で移動している者の時間の進み方は静止している者と比べて遅くなるから、Bが地球に戻ってくると、AはBよりも年を取っている、ということらしい。)

この説に対して、次の通り反論したい。

まず、宇宙に行って300年後に帰ってきた人がいたのが事実だったとしたら、行き帰りの両時点を地球上で目撃した人がいなければならないことになる。現実的に300年以上生きている人はいない。世代を超えた壮大な記録劇だったとしても、浦島太郎の出発前と後を、何を見て同一人物だと判断したのだろうか。

次に、300年後に若々しく帰国した浦島さん。それを一瞬で300歳老化させちゃう玉手箱の正体が謎に包まれてしまう。『ウラシマ効果』だけの話からすると、「浦島さんは若くして着陸しました、以上!」で終わるはずなのだ。いやむしろ、そこからこそ物語がおもしろおかしく発展していきそうではないか! 『ウラシマ効果』でゆがんだ時間を閉じ込めておく(かつ意図的に地球上で経過していたはずの時間分経過させる)箱に相当する理屈までは、『ウラシマ効果』では論じられていないのである。

さらに、『双子のパラドックス』、加速度、『一般相対性理論』と『特殊相対性理論』、『超ひも理論』など様々な理論が介在してくる模様であるが、超文系で理系トンチンカンな私はそこまで突っ込まない! あくまで文系サイドからの反論をしてみた。

(深く学習したいという勤勉な皆様は、一度ネットで『ウラシマ効果』で検索してみてください。)

あとがき

以上、とりとめもなく浦島太郎にツッコんでみましたが、やっぱ納得出来んよ。

子どもの頃は、「せめてもの救いで〝元に戻してあげた〟のかな」なんてこじつけてましたが、それにしても不憫ふびん過ぎるのではないかと。

考察力のたくましい方々がいろいろと諭してくれるんじゃないかと思います。ビシバシよろしくお願いしますm(_ _)m

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