【HSPと飲み会】2時間の飲み会で、2日間寝込みます。

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筆者
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書くのが好きな桃花です。

今回は、HSPが飲み会に参加すると具体的にどうなるのかの一例を書いてます。

最後に私なりの飲み会との付き合い方についても少し模索しています。

促進されたポジティブな側面

コロナ禍で我慢を強いられたり大変な事があった人は大勢いるだろうけど、それによってポジティブな方向へ動いた面も見逃せないと思う。具体的には、テレワークや電子マネー、オンライン化の普及などだ。特にHSPの私は、強制行事と言うべき「飲み会」の制限が嬉しくて仕方なかった。

その流れで今も、「無駄な飲み会はしなくていいじゃん」て風潮になった職場は素晴らしい。本来、そうあって欲しい。本当に本当に事情があって無理な人にも暗に強いるような(従わなかったらハブるみたいな)空気感じゃなくて、行きたい人だけ募って楽しくやる、っていうのが当たり前になって欲しい。

だが、長年そういうしきたりで培養されてきた空間はなかなかそうはならず、コロナが空けようとしているこの時期、我が因襲的な職場では、再び不穏な空気が漂い始めている。

飲み会が苦痛

HSPという言葉も知らなかった頃から、飲み会は本当にツラかった。

寒い冬、忘年会を一次会でなんとか逃れるように帰路につき、家へ向かう。鍵を開けて家に入り、背中でガッシャン、と重々しくドアが閉まった瞬間、両眼からはとめどない涙が次から次へと溢れてくる。蛇口の壊れた水道みたいに、自分の意識ではどうすることも出来ないどこか遠い場所から吹き出してくるみたいに、滂沱ぼうだの涙が止まらない。目の前の物も見えなくて、理由はわからないけど全身が苦しくて、そこが夜の宿舎でなかったら、大声を上げて泣き叫びたいくらい、気が狂ったようになる。氷のようにヒヤリと冷たい玄関の三和土たたきに崩れ落ちて、しばらく私は泣き続ける。ストレス反応だ。

泣いても泣いても止まらなくて、ただ自分が死にたくなるくらい苦しいってことだけ頭の中の離れた場所でわかっていて、このまま涙とともに消えてしまったらいいのに、なんて思いながら、そうしている。30分か、1時間くらいそうしていると、やっと少しずつ、「風邪ひくかな」とか、「まず動かなきゃ」とかっていう冷静な思考がおぼろげに出てきて、私はフラフラと立ち上がり部屋に向かう。でも、それ以上は動けない。結局、メイクも落とさず服も着替えられずに、布団に潜って泣きはらしている。胸が痛くて、涙が止まらない。そうしていつの間にか、翌日になる。

翌日は心身ともに打ちひしがれていて全く動くことがかなわず、翌々日にやっと立てるようになってくる。忘年会があったのが金曜日なら、土日は寝込んで、動けるようになった頃には翌週の仕事が始まっている。

容量オーバー

私は自分と自分以外の人の刺激の受け方を比較することが出来ないから、他人がどういう状況なのかは推測の範疇はんちゅうを超えないけど、HSPが飲み会で受け取るあの圧倒的刺激量はきっと恐ろしいことになってる。ただでさえにおいや音が凄まじい刺激量なのに、大勢の人がいてそれぞれあらゆる刺激を出し続け、常に「気を遣わなきゃ」と配慮的思考がめまぐるしくハイスピードで回転し、常に神経が鋭く尖っている。店員さんの声や笑い声がめくるめく渦巻く空間で、グラスやお皿の状況、自分の態度、敬語、振る舞い、空気感、相手の状況、感覚、話の流れやテンポ、席の移動、等々に意識を働かせ続けなければならず、饒舌じょうぜつになった上司の話を深く聞き込んでしまったりして、いっぱいいっぱいになる。そもそも些細な事でも鋭利な刺激になりうるHSPにとって、飲み会1個でキャパを50倍くらい余裕で超えてくるのだ。

そもそも対人関係が苦手な私は、飲み会の場にいる時から身体中がストレスでピリピリしているにも関わらず、無理して笑ったり、頷いたり、気遣ったり、周囲を見渡したりしているから、その場で気絶しないだけ奇跡みたいなものだ。

ちなみに私はアルコールは飲まない。飲めない体質ではないのかもしれないが、〝酔っ払い〟も〝お酒〟も好きじゃなくて、っていう精神論的理由(?)から、飲みたくない。だから「飲み放題」とかに行ってもたぶん損だし、苦しい我慢をして出費もしてる、という状況だ。

飲み会にいくくらいなら、作家になるために一行でも一文字でも多く書いていたかった。

でも世間体的には、飲み会参加は〝必須項目〟であり〝儀式〟であり〝マナー〟であり〝常識〟であり、そこに参加できないことは〝失礼〟であり〝残念な人〟認定された。

苦手なものを無理して行うのは、時に立派であることもあるが、たいていは破滅行為だ。

飲み会と親睦

古来から、親睦を深めるには酒と食事を共にすることが大事だとされてきて、ことわざや古代中国の物語にも頻出している。ビジネス界でもマニュアルのチャプターゼロには必須項目として書かれているだろうし(わからん、想像)、バイト時代にも「重要な飲み会は無理してでも参加するように」と口酸っぱく叩き込まれてきた。

それはご最もだと思う。家族の話とか趣味の話とか普段考えていることとか仕事に対する熱意とか、業務を円滑に進めていく上で互いを知り、仲を深めるのは重要だ。そのために、アルコールが潤滑油として大きく機能するというのだろう。

けど私のような強度HSPは、腹を割るどころか、相手のあらゆる発言や仕草や視線や動作にいらぬ考えを深く深く巡らせてしまって(しかもほぼ無意識)、そのやりとりにほとほと疲れてしまう。相手がリラックスしていればいるほど、心を開かれれば開かれる程、その熱量を受けてぐっと疲れてしまうのだ。ストレートな言動やセクハラ発言にも耐えなければならない。相手の記憶にも残ってないような些細な発言で、シラフだし面倒な繊細さんの私はイチイチ深く傷つく。

笑うのが苦手だった頃は、笑いポイントセンサーをフル稼働させて、「ここで笑わないと」って意識するけどうまく笑えない自分にどんどん自己嫌悪だったし(酔った相手がそこまで深く考えてないということもわかってはいる)、無理に笑えるようになってからは、無理して大袈裟に笑うことで、後で更にどっと疲れてしまうという始末だった。笑いポイント1つ取っても、どっちに転んでも悲劇。そしてその疲れを悟られないようにしないと場の空気感が、とかあるし、疲れを出してしまえば〝そういう壁〟が出来て仕事にさえ影響出るし、で、もはや360°全方位から刺されまくってる感覚。

ただし主催者は全員に連絡しなきゃみたいなルールがあるし、宛先から外したらそれはそれで問題になりかねない。

割り切ってきっぱり断れる人になればいいんだけど、誘いメールが来てから、ズーンと嫌な気分になり悶々と悩みまくって謝罪とお断りの連絡をして、開催終了の翌日過ぎる頃までは、ストレス(断った事に対する周囲の白い視線考え続けたりとかいろいろ)で体中ピリピリし続ける。これも考え込み過ぎてしまうHSPならではの特徴と、追い込み癖のせいかもしれないが。

飲み会に参加するのは当然、マナーだ、みたいな空気感の中にいると、私みたいなのは勝手に押し潰されてしまう。

折り合いをつけていく

いいの。私は変人なの。普通じゃないの。ちょっと他では当たり前のことが私にとっては無理で仕方ないの。「理解して」なんて言わない(言ったところで私の周囲には伝わらない人が多いように思う)。でも、自分で自分が〝そういう性質の人間なんだ〟ってことを自覚しておくために、そして無理しすぎないために、こうして文章に記しておきたい。

忘年会とか、年に1〜2回は心身壊れるのを覚悟で出るようにはしてる。その翌日が平日だったら、ほぼ必ず体調不良で休む事になる。お酒は飲まないので、周りからしたら、「あいつアルコール飲んでないのに、なんで体調不良なの?」ってなる。でもどう足掻いても無理なものは無理で、こればかりは本当に仕方ない。やっぱりHSPは、より少ない犠牲を選択することで折り合いをつけていくしかないのかもしれない。

というわけで、飲み会が好きな人、出るのが当然のマナーだと考えている人にとっては理解出来ないことだと思うけど、体質的(性質的か?)に本当にしんどいという一例だ。HSPにも程度の差はあると思うので、全員が全員という訳でもないと思うし、HSPじゃないから全員が飲み会大好きという訳でもないとは思う。無理しなくていいならそれほどありがたいことはないが、現状、無理しないのは無理なのかな……。

もしこんなことに悩まなくていい環境になったら、どんなに素晴らしいことだろう。

私自身ももう少し、楽に生きていける気の持ち方を模索していけたらと思う。

筆者
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何かいいアイディアや「これをやって楽になった」という方法がありましたら教えてください

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