【メンタル】人が怖いです。[ヒトコワ、人間恐怖症、対人恐怖、コミュ障]

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筆者
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鬱経験10回を超える、鬱プロフェッショナルの桃花です(笑)。

今回は、社交不安症(赤面恐怖や視線恐怖など)といった病気ではないものの、

人が怖い、人が苦手といった自分が模索のために書いたものです。

私なりの対処法も紹介していますので、同じように悩んでいる方にとって何かしらのヒントになれば幸いです。

「ヒトコワ」とは?
人が怖いという人の総称。もしくは広くその性質、特性、症状をも指す。(筆者による造語)
 用例)「ヒトコワで悩んでいる」「ヒトコワを発動する」

生い立ちから、経緯について考える

初めて幼稚園のバスが迎えに来た時の事を今も覚えてるけど、私は怖くて母親の体にしがみつき、泣きじゃくった。怖がる園児は珍しくはなかったようだが、私のあまりの騒ぎように、先生も親も苦労したようだ。大勢の知らない人達の中に入っていくのが怖かったのだ。

小学校に上がる頃、母は父と別れ、私と弟を連れて実家に帰ったので、私にとっては誰一人として知り合いがいなかった入学式。隣に並んだ子がニッコリと笑ってくれたのを覚えている。

けど、小学校2年生の頃かな、不登校になっていたらしい。「らしい」というのは、本人はほとんどその記憶がない。つまり、「学校がすごく嫌だった」という感覚を覚えていない。ただ、平日の昼間、祖母に手を引かれて人気ひとけの無い小学校の敷地を歩き、桜の木を見上げた記憶は残ってる。学校に行くよう親からうるさく言われた事も無かったと思うし、私も暴れて家に居座ったという事は無かったように思う。でも、嫌だったから行かなかったんだろうな。

小学校高学年の頃の私は、誰とでも接することが出来た。八方美人という訳ではなくて、皆から嫌われているような子でも、周囲に合わせていじめるようなことが出来ないだけだった。「桃ちゃんは優しいね」とよく言ってもらったし、私も周囲の人達に分け隔て無く接することを心がけていた。

でも、誰とでも喋れる反面、誰とも友達ではなかった。時期によって一緒にいる子はいた。それでもいわゆる仲良しと言える友達が出来ず、いつも心は一人ぼっちだった。

中学校に入り、部活動で先輩からイジメに遭う。イジメとは言っても初回だけ呼び出されて怒鳴られたくらいで、あとはずっと無視という状況だった。それでも、そんな些細なことで私は死ぬほど打ちのめされた。同学年の部員の中で同じ小学校からその部活に入ったのは私一人で、後の四人は別の小学校の仲良し四人組だった。彼女達は私にとてもよく接してくれたが、私だけ仲間外れな気がしていた。

その頃から、親との価値観の違いでストレスを覚えるようになる。いじめられている、と打ち明けても心配するどころか、「あ、そ」という態度を取るような親だった。常に完璧な成績を取るよう強いられ、いつも欠点ばかりを責められ、私は自分をどんどん追い込んでいった。幼い頃から記憶に残っている親の表情は、いつも怒っている顔だった。口からは常にネガティブな言葉が溢れ、耳を覆いたくなる私のことを、「言うことを聞かない最悪な娘」と罵った。私にとって親とは、心の毒でしかなかった。

大学に入り、暗いままじゃダメだと一念発起し、バイト仲間の間ではハッチャケたキャラを演じた。突き抜けたようで楽しかったし、よくそのテンションの高さを「末期だ」と呆れられて嬉しくさえあった。私の二面性みたいなものは、ここで強固に培われたのだと思う。

社会人になってからは、頻繁に鬱と休職を繰り返すようになった。いろんな人がいて、価値観の違いも多種多様で、その違いに頭がついていけなくて、傷つくことも多かった。他人の些細な言動にいつも揺さぶられていた。私自身が弱いのがいけないのだ、と心理学や自己啓発にのめり込んだが、未だ定期的に鬱の穴に落ちる。

人という恐怖

落ち込む時や悩む時、常に私の前に壁になって立ちはだかってきたのが〝人〟だった。

いい人も尊敬出来る人もたくさんいるし、子どもの頃からそういう優しい人達に囲まれてきたということを実感はしていた。だが、私の心に深い傷跡を残していくのは、いつだって〝人〟だった。たまたま苦手な人や問題のある人に当たったのだろう。それでも、一つ一つのショックがあまりにも大きすぎて、受け入れがたくて、「人=恐怖」の公式がパニック状態の脳の中に刻み込まれていったのだ。

とは言え、赤面恐怖などの社交不安症とは違う(一応社会生活は出来ている)ので、病気として治していくというものではなく、メンタル・心の問題として、自力でなんとかしていくしかない。心理学などの知識のおかげでだいぶマシになったかとは思うが、それでも〝人という恐怖〟は頻繁に私を襲っては打ちのめしていく。

過去のトラウマから医者恐怖症もある(それでヒトコワ度増強した)ので、メンタルの専門家に助けを求めることさえハードルが高すぎて怖い。

信頼出来る人を見つけよう、というメッセージを信じて手を伸ばすことも出来ない。助けを求めた手を振り払われる事ほどキツいことはない。

人の何が怖いのか

言語化するのは難しいが、対策が見えてくるかもしれないので、できるだけ正直に羅列してみる。

  • 初めて接する時のお互いの探り合いみたいなのがすごくきつい。それと派閥とかランク?とかを敏感に察知しないと、みたいな空気も怖い。
  • どんなに仲良くなっても、人はいつか離れていく。必ず傷つけてくる。(なんか潜在意識に超ネガティブな思い込みが入っていそうだぞ。)
  • 仲良くなった時や心を開いた時に心を刺してくるような裏切りをしてくるので、すごく痛い。そしてますます人を信じたくなくなる。
  • 特に社会人になってからは理解出来ない性格の人が多くて、やられる。怒鳴ってくる人が本当に苦手。恐怖で頭が真っ白になる。態度や口調が冷たい人(悪意は無い)でも怖くてオロオロしてしまう。価値観が違っていて話が通じない人も、「(理解出来なくて)怖い」という評価になる。
  • 電車の中や街での往来の一般多数がみんな自分を嫌ってるような気がする。結構本気で、「突然怒鳴られるかもしれない」「いつか刺されるかもしれない」みたいなのが常にある。いつも怖い。(防犯上大事ではあるが、限度を超えている。)
  • 店員さんなどの態度。こちらが安心出来るくらいのやわらかい態度や優しい接客してくれる人は相当稀。結構な頻度で怖い人がいる。時折予想外の事言われたりすると軽くパニックになる。

いや、ここまで行ってたら結構病気なんでは、と思う(笑)。

※ヒトコワ(造語)は病気ではなく一種症状であり、性質です!(HSPバリに)

寂しくないのか

昔はそりゃあ「寂しい」とか「かまって欲しい」とかあったと思うけど、人を求めること以上にデメリット(恐怖・不信)が大きすぎて、逆に避けてしまうようになった。ぐいぐい来られると反発を覚えてしまうし、自分のことを聞かれると身構えて、なるべく隠したくなってしまう。一人でいる時間が一番ほっと出来るし安心する。人が近くにいる時は、常に緊張状態。

恐らく最初は「寂しい」「信頼したい」が強かったのだろうけど、人と関わって傷ついていくうちに心のシーソーが逆転して、戻らないんだろう。「人といる=恐怖、一人でいる=安心」という公式にすっかり慣れてしまったのだ。

恐怖の仕組み(イメージ)

人は何かを記憶する時、関連づけて覚えるクセがある。そしてこの仕組みは、危険から身を守る時も同様に働く。

たとえば黒い実を食べて誰かが毒に当たった場合、次は生命を守るために「黒い実=危険」という情報が仲間に伝わり、知識として定着する。そして黒い実を避けることで、毒に当たることを回避しようとする。

普段食用にしていた赤い実を食べてお腹を下してしまった場合、通常なら「たまたま悪くなっていたのかな」で済む。ところがその出来事があまりにショッキングだったりすると、脳が関連性を探して公式化しようとする。そしてそれが何度も繰り返し生じると、その公式はより強固なものとなって確立してしまう。ほとんど安全なはずの赤い実を「危険」と覚え込むことで、命の危機から身を守ろうとするのだ。ショックや反復性が恐怖心をどんどん巨大化させ、「赤い実=安全」の常識も覆し、赤い実のすべてを拒絶するようになってしまう。恐怖心が強ければ強い程、脳は緊急性を感じて強烈に関連づけを行い、反射的に赤い実を避けるようになる。これが恐怖症の仕組みだ。

恐怖症の克服について

恐怖症に対する心理学的な対処法としては、系統的脱感作法(徐々に慣れる)しかないそうで。(精神科医樺沢紫苑先生)

樺沢先生は、「そんな恐怖に耐えてまでして、その恐怖症を克服する必要(勇気)がありますか?」と言っている。

確かに高所恐怖症や閉所恐怖症など、ごく限られた状況を避けられれば、なんとか生活出来るのかもしれない。もしくは、周囲にあらかじめ公言しておくことで、パニックになっても理解は得られるとか、助けてもらえる、といったことも考えられる。

しかし!

人間恐怖症だけは、

人間は、、、避けられないんじゃーーーー!!!

生きている限り、人間には関わっていかなければならない。

出来ることなら仙人にでもなって引き籠もってしまいたいが、現実世界ではそうはいかない。

(とは言え以前よりは人に会わずにオンラインなどでいろいろと出来るようになった現代には感謝。)

「対人恐怖症」に関する動画もあるが、内容は同じ↓

「人は社会的動物なんだから、『人が嫌い』なんて嘘、気のせいだよ」

「他の人が支えてくれてるから、あなたは生きていられるんだよ」

「人間は人と関わっていかなきゃ生きていけないんだ!」

……わかってる、名前も顔も知らない大勢の人がいてこそ、自分が生きていられることを。多くの人がいてこそ社会が回っているということ、それに助けられていることには本当に感謝してる。

でも、それとこれとは違う、というか……。間接的な関わりはありがたくても直接的な関わりはしんどいというか……。

社会的動物としておかしかろうが、とにかく怖いものは怖いんだよっ!!!! だから悩んでるんじゃないかっ。

それらを緩められるだけのポジティブな人間関係に救われ、人との関係に安心感を覚えられるのが一番いいのだろうが……。一番ツラいのは、恐る恐る関わってみて、「この人なら大丈夫かも」と心を開こうとしたところ、傷つけられたり、離れられたり。この繰り返しによって私のヒトコワは強化されていると思われる。

原因について考える

自分の生い立ちや経験などから、原因について列挙してみる。

  1. 性格:そもそも人が苦手
  2. 環境:イジメ、家庭環境(親の影響)
  3. ネガティブ経験の蓄積:「人と関わることでショック・パニックになる出来事→人が怖い・避ける→ギクシャクした態度で接するのでますます冷たい態度を取られる→もっと人が怖くなる」のループ
  4. HSP的気質:敏感性(些細な出来事でも恐怖とショックを大きく感じる)、扁桃体の過剰反応(恐怖感が人一倍強い)、感情的記憶力の強さ(些細なことでも長期間忘れることが出来ない)、反芻思考(繰り返し考えてしまう)
  5. 思考癖:閉じ籠もりがち、ネガティブ寄りの考えに固執してしまう

以上が絡み合い、【ショックによって発症+繰り返し積み重なることで固定化】で、ヒトコワはより強固に形成されていくと考えられる。

個人的な対処法

ヒトコワに対して私が心がけていることをいくつか挙げてみる。

「大丈夫」積み上げ法

外に出て(学校、街、店等)、「大勢の人が行き交っているが、その人達は自分に対して急に罵倒したりしてこない」と考える。(可能なら一人一人について考える。)これを少しずつ積み上げていく。【プチ安心感の積み上げ】

もしくは、「自分が知っている人間全員が自分をいじめている訳ではない(事実として)」と思う。自分をいじめていない人、優しい人を数える。(学校でいじめられているなら、学校以外の人でも数える。面識の無い有名人などでも可。)

自分を攻撃してくるのはごく一部の人だけだと知る。

意識・視線 横流し法

世の中の人は思ってる程他人(=自分)を見ているわけではない、と気づく、知る。

私は自分が周りに人がいるとものすごく意識してしまうので、逆(相手→自分)もそうだろう、の意識でずっと気を張って疲れていた(HSPあるあるかもしれないが)。でも実際のところそうでもない。他人を面白おかしく馬鹿にして見る人よりも、自分やその近辺のことで頭がいっぱいの人がほとんどなのだ。出来れば人に聞いたりして体感するのが良さそう。【みんな自分のことでいっぱい】

限定思考の否定

「たとえこの人に嫌われたとしても、自分の味方は世界中のどこかに存在する」と思う。

今、自分がある程度の信頼をおいて話せる人がいる場合は、具体的にその人のことを考えながら。

今、自分の周りには安心出来るような人は誰もいない、という人でも、「目の前の(嫌がらせをしてきた)人達がこの世のすべてではない」と思うようにする。【決めつけ思考の手放し】

その他法

(ヒトコワそのものは解消出来ないかもしれないが)

人と関わることだけがすべてではないと知る。好きなこと、趣味、無心になれる時間、など、人間と関わる以外のことで充実感を得られるようにして、結果的にヒトコワの心理的圧迫を和らげる。

ここで、今でも私を励まし続けている言葉を紹介する。いじめられていた時、文通していた同じ部員からもらった言葉だ。

「人から元気もらえないなら、モノから元気もらおうよ」

なるほど、人と関わることだけが人生のすべてではない、ということだ(再掲)。

人とはうまく関われない私も、その分趣味や好きなことに支えられてきた。そういう生き方だってあるし、そういう人だって少なくないと思う。「趣味」って言ったって何も大それたことじゃなくていい。植物やペットをでたり、波音を聴く時間や空を眺める時間を愛したっていい。予測不可能な行動を取る人間と関わって傷ついたりしなくても、何も言わない石とか香りとかに癒されても構わないのだ。

ヒトコワはデメリットだ、と過度に悩み過ぎないことで、ヒトコワの症状そのものも軽くなっていく気がする。可能な範囲で、少しずつ受け入れていこう。

個性変換法

「これが自分の個性だ」と思う。個性として生かしていく。ヒトコワの方が相性がいい、という人も世の中には必ず存在する。

メリットの部分に焦点を当てる。たとえば人を避けたいと思うことで、何かに没頭することが出来、それで大成するという人も少なくない。ヒトコワだからこそうまくいくメリットも探せばたくさんある。人と関わるのが好きでそのことに時間やお金や労力を費やしてしまう人には、集中する時間を作ることが難しかったりする。孤独な人の方が大成するという話もある。

極端なHSP要因の緩和

HSPのネガティブ要素を緩めていく練習(思考法など)をする。(今後アップ予定)

まとめると、

【考え方(「人が怖い」の解除)】×【経験(ポジティブ体験の積み上げ)】

でヒトコワという特性も怖くなくなっていくような気がする。

あとがき

本人に落ち度は無かったとしても、イジメを受けた経験やツラい家族関係などは、どうしても悪影響を与えてしまっていると思う。でも、大人になったら自分でどうにかしていくしかない。いじめてきた人や親は、どんなに強い影響を与えていようとも、責任を取ってなどくれないのだ。自分の人生である。

腐らず、外部のせいにして恨みを募らせず、自分を幸せにしていくために前を向こう。

これからも、世の中のHSPやヒトコワ達が少しでも楽に呼吸が出来るよう、私なりの模索状況を勇気を出して開示していきたいと思うので、参考にしていただけたら幸いだ。

大丈夫。姿は見えなくても、あなたにも〝仲間〟はいる。

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