【親記4】牛丼ショックとお寿司ショックについて ~〝おふくろの味〟という名のトラウマ~

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筆者
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子供の頃の食事に関わるお話。

トラウマシリーズの1つではありますが、

コミカルチックでアホな読み物です。

お断り

このカテゴリーでは、(母)親に関する内容で、心の中に溜まったものを正直に吐き出すことで私自身が自分のインナーチャイルド(心の傷みたいなもの)を癒すことを主眼として書いています。

当時の私にとっては毒親だったので、ネガティブな内容が多くなるかもしれません。

そのため、

  • 気分が嫌になりそうでしたら途中でもお控えください。
  • 個人的な発散や癒しを主な目的にしており、親を辛辣に批判することを目的にはしていません。
  • 個人の気持ち・意見ですので、コメント欄などで攻撃的な議論展開などはご容赦ください。

こういった内容であっても、誰かの共感や気づきのきっかけになる可能性があると思って公開します。読者の方の心証を害しようとする気持ちは一切ございません。ご理解いただける方のみご覧下さい。

※とりあえず今は、仲良しとは言えないまでも、考え方の異なる事を両者概ね理解した上での親と子、くらいの関係性だと自認しております。

まえがき

世間一般では、〝おふくろの味〟というものはポジティブなニュアンスを持つ言葉であるようだ。舌に合う、懐かしい、美味しい、というほんわかした情感に通ずるものであるらしい。

マンガなどでもよく、仕事に疲れたサラリーマンが久々に口にした〝おふくろの味〟に涙する様子が描かれる。(……ってどんなマンガよ笑)

肉じゃが、お味噌汁、カレー等々に〝おふくろの味〟なる調味料は幼少期の頃から知らぬ間に施されており、年を重ねてもなおその効果は半永久的に持続していて、人々にノルスタジーをもたらすようだ。

なんと微笑ましい……!

だがしかし、君たちの知っている〝おふくろの味〟がすべてと思うでないぞ。

広い世の中には、常識を打ち砕く切れ味鋭い〝おふくろの味〟という名を借りた暴挙が存在するのだ。本日はその一例をご紹介しよう。

〝おふくろの味〟という名のトラウマが作られるまで

教育方針的理由

桃花宅の料理は変わっていた。いや、私は他のご家庭の料理を知らないから、何が正解なのかはわからない。だが子供心ながらに、「うちの料理はなんか違う」と思っていた。

母は〝子供のためを思って〟、全力で料理をこしらえる。

まず、カレー

私はテレビやその他の媒体で、カレーとはご飯の上にニンジンやジャガイモなどとともに掛かっているドロッとしたもの、というイメージがあったが、ウチのカレーはそうではなかった。手の込んだものこそ美食の極み、という古き良き大和魂に則ってか、素材から仕上げる派だった。すなわち、カレーであればカレー粉から作っていた。

母は、ドロドロとした脂ギッタリのカレールーを敵視していて、子供に与えるべきでないと考えていた。一方で、スイカの皮を細かく切り刻んだのとか、噛み切れないくらい固いキャベツの芯とか、本来食べない根菜の葉の部分とか、〝具だくさん最強〟的な最恐思想で、通常なら生ゴミ行きの具材の余り物などをなんでもかんでも入れまくってた。〝具だくさん最強〟思想と〝もったいない精神〟との両立に母はたいそう自慢げであったが、いかに地球に優しかろうと、子供にはちっとも優しくなかった。

手間暇かけて仕上げた、母が「カレー」と呼ぶ物体は、脂分とは無縁の、タマネギ星人の血液並にサラサラとした液体であり、そこにナスとか葉っぱとかが浮いていた。それをご飯の上に掛けるのだから、すっかり浸水しておかゆみたいになっていた。健康的血液色の海原にバラバラになった米粒が泳いでいて、無数の溺死体が浮いているように見えたそれを私はスプーンでなかなかすくえない(=救えない)思いと闘いながら、懸命にすすっていた。たぶん、日本国民に「カレー」と認識されてるものとは別物を口にしていたと思っている。

続きましてラーメン

これは麺からねるのではなく、さすがに市販の麺にスープも市販のものを使うことを基本とした比較的時短側のメニューだったが、ここでも謎の一手間が加わる。パウチのスープをドンブリに開けたかと思えば、そこから出てくる乳白色の物体、すなわち脂身の部分を、わざわざこそぐ●●●。つまり母は手間暇かけて、ラーメンの脂分を敢えて取り除いていたのだ。

ラーメンってあの、脂分こそが美味しさの秘訣だと素人感覚では睨んでいるのだけど、どうなの?

この経験を経て私は、〝世の中に無駄な努力は存在する〟に一票投じたくなったくらいだ。「やらない方がいい努力」に文言を置き換えるとすれば、三票投じたい。

それから肉料理

特に我々下級民族は、滅多に牛肉なるものにお目見えすることは出来なかったが、ごく稀に「5年ぶり!」くらいの嬉しさを伴って感動的に出会える彼らにも、母は「やらない方がいい努力」を施した。(ちなみに年数はあくまで感覚的比喩表現。)

無論お高い肉などは買えないから、お安めの、白い筋の大量に入った牛肉を買ってくる。そうしてそこからその白い筋、脂身の部分を、すべて削ぎ落とすのだ。

結果、食卓に並ぶ分量は半分以下になる。こじんまりとお皿に正座した肉は、「我こそ天下の牛肉様だ!」感は微塵も無く、非常に控えめで平身低頭である。火が通っていても何故がゴワゴワと固くて噛み切れなくて、食す側も食される側も、お互いがお互いを哀れむような侘しさを覚えて見つめ合ってしまう。子供の頃焼き肉が嬉しかったのは、市販のタレの成せる技だ。

当然フライパンに引く油の量も最小限に抑えられ、塩分も、糖分も同様だった。

ヘルシー・健康・栄養のためを思い、スパルタ的に取り除かれた彼ら魔性の旨み成分達。

「過ぎたるは尚及ばざるが」ではないが、極度な潔癖症の農作物には虫すら寄りつかなくなる。「虫すら食わないものが美味い訳がない」と昔の人は言った。

そんなこんなで、私は母の料理を美味しいと思えなかった。

霜降り肉がなぜおいしいのかと言えば、脂身が入っているからであって、そこから脂分を差し引いたら、ハイボールのアルコール抜きか、味噌ラーメン味噌抜きか、チョコレートカカオ抜き的な存在に匹敵する。要するに、マズイじゃん。せっかくの美味しさ劇の主人公を、車で言うところのボディ的な部分を引いてるじゃん。何が残るの? 味覚における幸福物質をことごとく抜き取られて虚無感しか残らないんだが。

結論:過剰な愛情(?)は子供の健全な未来(味蕾みらい)を奪う。

料理は手抜きでもいいから脂身は抜かないで欲しい(願望)。

経済的環境的事情

わかりやすく、経済的事情というものも存在する。要は金銭的にも外食というものが出来ない家庭だった。でもそれについてはそんなに卑屈感とか悔しさとかは感じなかった。私は充分食べさせてもらっていたし、ひもじい思いをした記憶は無い。ただ、方向性がちょっとアレだっただけで……。

外食はセレブがすること。我が家には関係無い。という一貫した思想は暗黙裏に存在し、その思想に我々子供は従順であった。

そしてそれに加えて、母の、

  • 外食など毒ばかり入っていて栄養は無い。危険だ。
  • 外食など高いばかりで値段ほどの価値は無い。無意味だ。
  • 外食では皿を洗っていない。危険だ。(これは母がバイト時代の経験則によるものであるが、いつの時代?)

といった各種思い込みも、外食拒絶令に拍車をかけた。つまり母親がそもそも外食というものを嫌悪していたのだ。

これらにより、必然的に私の知る料理の味というものは、親の手料理にそのすべてをほぼ委ねることになる。「桃花有するメニュー&味レパートリー≒母の手料理」なる公式。(なんか恋愛遍歴を年齢で紹介するアレみたいになってるぞ。)つまりは、舌に知識というものが存在するならば、私の舌知識は母の手の平の中にとどまっていたと言って差し支えない。

外食で提供される料理をほとんど知らない。担々麺という料理を知ったのも社会人になってからだし、パスタと言えばナポリタンがすべてだった。(とはいえ祖母にご馳走してもらったこともあるし、外食経験皆無ではない。)

ウチの料理が爆弾的凶器でありながら、外に助けを求めることも出来ない。閉鎖的特殊空間にて培われた我が貧弱で特異な味覚。

私の〝おふくろの味〟というトラウマは、教育方針的理由と、経済的環境的事情とによって作られたのである。

本音

私は料理は苦手だし、子供はいないから説得力無いかも知れないけど、すごく苦労しながらも子供のためを思って精一杯栄養をつけさせようとするお母さん方の涙ぐましい努力は理解出来るつもりでいる。子育てをされてる方には本当に頭が上がらない。

だが。子供の気持ちとしてはね……。

なんでもかんでも入れりゃいいってもんじゃないよぉ!!!

(そしてなんでもかんでも抜けばいいってもんでもない。)

正直に言おう。

美味しいものが食べたかった。というか、普通の料理を知りたかった。

カレーはゴテゴテの脂分たっぷりの高カロリーなカレールーで作られたカレーを食べたかった。肉料理は、安物の肉でいいから適度に脂身の入った薄っぺらくてやわらかいお肉とか食べたかった。子供だからこそ嬉しい、甘いものや体に悪そうな塩分に病み付きになってみたかった。

糖分も塩分も脂分も不必要な贅肉のように残酷に切り取られ、味の無い骨をしゃぶるような料理だった。

子供の頃だから尚更そういうものを欲していたと思うのだが、当時はなんで料理があんなにおいしくないものばかりなのかわからなかった。

確かに健康には悪いだろう。それはごもっともな話だ。料理は母の愛情だ。それはわかっている。

我慢して食べるべきだったのだろうか、私の場合は残すことが多かったので、いつも怒られてばかりいた。美味しくない→残す→怒られる→ツライ・怖い、の径路を辿り、食卓にはあまりいい印象が無い。

結論:健康は正義、まさしくその通りである。だが、行き過ぎた愛情は不幸をもたらす。

正義だけに、凄惨な犠牲(凄犠)になったのだ。(いや桃母のカレー並にうまくないけどな)

牛丼ショック

牛丼ショックについて

あれは忘れもしない大学時代、駅近の牛丼チェーンでのこと。

今考えれば、あらゆる運と運との奇跡的な掛け合いによって生み出された神秘的邂逅と言えよう。他人にとっては呆れるようなアホな体験であっても、少なくとも本人にとってはそうだったのである。

当時、私は牛丼なるものを食べたことが無く、それは言わば未知の食物であった。だが、
「牛肉であれば味を知っている。あれは美味しい。よって牛丼なるものもいけるに違いない」
という、まさに子供が未体験の出来事をなけなしの知識でがむしゃらに切り開いていこうとするが如く、私は冒険に出たのであった。

見た目はただの、ご飯に牛丼が載っているだけ、というシンプルなもの(もちろんタレやタマネギ、白ごまはかかっていたが)。色も地味で華々しさは皆無。そこにあまり期待はかけていなかった。食事は味覚を満足させるよりも、まず空腹を満たすものである。というのが当時の私の持論、もとい生育環境に起因した思想だった。

……。(←牛丼を一口、口に運び噛み締めているシーン)

あの時の衝撃を適切に表現する言葉を私は持たない。目からウロコが、舌からは味蕾が剥がれ落ちるような(?)、まさに雷に打たれたかのような衝撃が全身を駆け巡った。マンガ的に表現するとすれば、

「うんめえええええええええ!!!!」

と心中で叫んだのであった!

そして思った。

  • 世の中にはこんなに美味しい食べ物があるのか!
  • 私は今まで一体何を学んできたのか!
  • これは革命だ! 血もインクも流れない新時代の革命だ!

これ、名付けて〝牛丼ショック〟。私の人生において鮮烈に記憶に焼き付いた出来事である。

当時牛丼は、1杯300円代とかで食べられる代物だった。決して分厚い肉を堪能出来るといった本格的なものではなかったが、私には充分だった。

あのくたびれた肉だからこそいいのだ。脂身ばかりで中身すっからかんなバカの脳内みたいなところがいいのだ。それでいてワンコインでお釣りが来るなんて、もう至福でしかないだろう。

私は二十歳前後にしてやっと、ドラクエの「しもふりにく」がなぜ上位アイテムなのかを身を以て体験した。(しかも本物を食べずに体得した!)脂身が混じっているからこそ美味しいのだ、高級なのだ。健康に良くないからと一昔前のAIみたいな無機質な声でうそぶいて、そこから機械的に脂身を奪い取ってしまってはいけなかったのだ! 同様に、カレーの脂分とラーメンの脂分もこれに類する。

以来牛丼は、私の大好きなメニューの一つに君臨するようになった。

牛丼ショックを経て構築された私のポジション

仕事でせっかくの外回りのお昼ご飯に、上司から「何か食べたい物ある?」と聞かれて、モジモジしてから「牛丼が食べたいです!」と目を輝かせると、白い目で見られて成育環境と人間性を幾分疑われた。

また別の上司からは、彼氏おとこが出来ても財布に優しいという理由で、「安上がりの女」の称号をいただいている。

注意:いや、お寿司とか焼き肉とか焼きそばとか牛タンとかも大好きですけどねっ! なんとお高くとまっていることでしょう!

お寿司ショック

お寿司ショックについて

〝牛丼ショック〟に類するものとして、〝お寿司ショック〟もご紹介しておこう。

上述の通り諸般の事情で若い頃はほとんど外食なるものに行ったことが無かった私は、社会人になってやっと、回るお寿司屋さんにも行くようになった。

それは私にとっては、大いなる昇進であった。

お寿司と言えば、高級食材である。その価値は、1皿100円でも変わらない。お寿司というものは時折親戚が差し入れしてくれた時にだけ食べられる代物で、大好物だったけど、なかなか手の届かないものという認識でいた。

そんな私にとってその光景は、ショックでしか無かった。

お寿司屋さんに行ったら、当たり前のようにまだ4、5歳くらいの子供がいたのだ!

私が子供の頃には滅多に手の届かなかった幻のような食事を、まだその値段とか美味しさとかもわからなそうな子供が当たり前みたいに食べている。(そして駄々をこねたり平気でこぼしたりしている。)そのことがただ信じられなくて、びっくりしたのだ。

カルチャーショックというか身分差ショックというか。そういう風に言うと憐れみを誘ってるように誤解されるかもしれないが、本当に純粋に、驚いたのだ。

まぁウチの家庭はちょっと特殊だとはわかっていたけれど、それでも世間的にはこうして家族でお寿司、というのが当たり前の光景なのだな。「今日は寿司にしよっか」と日常的に利用している家族もいるかもしれないし、「今日は特別に少し背伸びをしてこの子達にも食べさせてあげよう」っていう家庭もあったかもしれない。高校生や大学生だっていても珍しくないし、もはやお寿司は庶民化して、私のように幻の食事なんて言ってる方が珍しい。……などと深々思ったことだよ。

冷静に考えてみたら、新幹線がお寿司を載せて運んでくれるとか、ガチャポン引けるとかは、明らかに子供をターゲットにした企画だ。そもそも百円寿司(今は難しいご時世になってはきたが)というのも、お寿司を庶民向けにフランチャイズ化したようなものだ。

にしても本当にショックだった。こんな小さい子供がお寿司食べちゃう? って。この衝撃は私の養育環境的必然性に由来するものであって、言葉を尽くしてもあまり伝わらないものだとは思うけど。「は? 何言ってんの?」って白い目向けてくる人の方が大多数であり、正常な反応だろう。

ところでお寿司というのは一例であって、同様の経験談に基づくものとして、他にも〝ステーキショック〟や〝焼き肉ショック〟なども発生した。(意味ほぼ同じ。)これらをまとめて私は〝お寿司ショック〟と呼んでいる。

お寿司ショックによってもたされた恵み

  • 当たり前のことを心の底からありがたいと思える心。
  • お金を対価として美味しいものを食べられるということへの認識と幸せ。
  • 大人になってからでも知らないモノ・コトをたくさん経験していけるというありがたみ。

社会人になってからのお寿司のように、私は大人になってから少しずつ経験したことの無い料理やそれにまつわる驚きを知るようになっていった。それは冒険であって、感激であって、新鮮な体験であって、学びでもあった。いい年してみっともなくて恥ずかしいことだと感じる人もいるだろうが、見知らぬものに出会えるワクワクや新鮮な体験に心を躍らせるきっかけが日常生活に散らばっていることは、とてもありがたいことだし、すごく楽しい。どんなに他人と比べて遅かろうと、子供の頃経験出来なかった驚きや喜びを再発見出来ることは幸福だ。子供の頃に我慢や苦しみを重ねてきた分、その感慨はひとしおだ。

一見ネガティブな環境要因から引き起こされたショックだけど、結果的にバウンドしてすごく幸せを感じやすくなったように思う。

子供に惨めな思いをさせないように、と頑張る親御さん方がほとんどだと思うけど、何が幸せか、そもそも幸せを感じられるかどうか、は結局それぞれの心次第だ。偉そうな事を言ってしまったが、今苦労やネガティブを抱えている人でも、その分バウンドしてより大きな幸せを感じることが出来ると私は思っている。
(とはいえ積極的にひもじい暮らしをしようとする必要性は無いし、カレーはルーから作るので充分ですよ。)

あとがき

少し変わった経験(?)っていろんな感想を生みそうで、外に出すことが難しそうだし、親からも家庭のことを喋られないよう口を酸っぱくして禁止されていた。

でも私は、自分の経験や思いが他の誰かの心のしこりを少しでも緩めるきっかけを作ることが出来るなら、恥やバカの称号をかぶってでも勇気を出して表現することは価値のあることだと思っているし、これからもそうしていきたいと思っている。天上突き抜けるようなバカなものも、闇たっぷりのネガティブなものも、私が表現する文章はすべて一貫してこの理念に基づいている。だから「痛々しい」とか、何か嫌な気持ちにさせてしまったらごめんね。

読んで下さる方が、一瞬でも現実の嫌なことを忘れて笑ってくれたりしたら嬉しい。

なお上記の他にも、「ペペロンチーノショック」もあるが、これを語るのはまた別の機会に譲るとしよう。

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