親に纏わる記憶。
子供の頃の夢に関わるもの。超個人的なお話です。
お断り
このカテゴリーでは、(母)親に関する内容で、心の中に溜まったものを正直に吐き出すことで私自身が自分のインナーチャイルド(心の傷みたいなもの)を癒すことを主眼として書いています。
当時の私にとっては毒親だったので、ネガティブな内容が多くなるかもしれません。
そのため、
- 気分が嫌になりそうでしたら途中でもお控えください。
- 個人的な発散や癒しを主な目的にしており、親を辛辣に批判することを目的にはしていません。
- 個人の気持ち・意見ですので、コメント欄などで攻撃的な議論展開などはご容赦ください。
こういった内容であっても、誰かの共感や気づきのきっかけになる可能性があると思って公開します。読者の方の心証を害しようとする気持ちは一切ございません。ご理解いただける方のみご覧下さい。
※とりあえず今は、仲良しとは言えないまでも、考え方の異なる事を両者概ね理解した上での親と子、くらいの関係性だと自認しております。
壊された夢Vol.1:漫画家
子供の頃は、漫画家になりたかった。
これはあらゆる夢の発端がそうであるように、始まりはただの〝憧れ〟だった。
私はあらゆる情報をすべて友人経由で仕込むタイプで(つまり情報疎人)、マンガという娯楽も当然友達から見せてもらって初めて知った。小学校4、5年生の頃だったか。その時既に、その友人は持ってきたマンガのキャラクターをとても上手に描いていた。落書きのようなラフな感じだったけれど、細かい点が気になりすぎて顔すら完成に至らないまどろっこしい描き方をしてしまう、木を見て森を見ず的な性格の私には、ああいう風にちょっと雑でもサササッと全身まで描いてしまうのが心底羨ましかった。
漫画家になりたいなぁと思った。ただの白と黒の線の連なりなのに、生きている人間を本にパタリと挟んだように描けるなんてすごいと思った。たぶん当時は結構真面目に目指そうとしていた。とは言っても本当に子供の遊びみたいなもので、何も考えず、ただ描ける時に好きなように描いていた。そしてセンスの無い私は、とてつもなく下手クソだった。
中学の頃、当時地元の広報雑誌にイラストコーナーというのがあって、思い上がりも甚だしい私は、あのレベルの絵で応募などしていた(※)。とは言ってもたぶん分母(=応募者数)が少なすぎて、出せばほぼ必ず載せてもらえた。応募する際は中学校の図書室の司書の先生に持って行くだけだった。私の友達も何人か、同じ経路で雑誌に載せてもらっていた。
嬉しかったことに、その雑誌の担当の方が、「うちの娘が○○さんの絵のファンなので、原本もらってもいいですか?」と司書の先生経由で言ってきてくれた。こんなに嬉しいことがあろうか!!! やっぱり自分が作り出したものが一時であれ誰かに喜んでもらえたり求めてもらったりするのって、すごくすごく幸せなことだ。それが絵であれ、料理であれ、サービスであれ、商品であれだ。
※どんなに下手でも子供だからこそ描ける絵というのがあるし、今でこそ思うが、上手いか上手くないかなんてそんなに重要なファクターでもないような気もしている。小学生くらいの子が描いている、ものすごくバランスに欠けたイラストとかを見ると、私はなんか愛しくて、ほっこりする。
確かに漫画家になると豪語するにはあまりにも絵の練習は少なすぎたし、絵は下手過ぎた。たぶん〝好き〟の範囲内でのたわむれだったし、やっぱりああいう芸術関係のことを相手にするには、自分にはセンスとか才能というものが無さ過ぎることを自覚し始めていた。ちなみに私は直接関係無いと考えてる派だけど、学校の美術の点数は常に1か2だった(5段階評価中)。
そんな私の絵を見て親は言った。
「○○ちゃんの絵は動きがあるのに、お前の絵は全く動きが無い」
グサリと刺さった。たぶん、当たっているだけに鋭くストレートに。何の思いやりもない無情なセリフだった。他の人と比較して貶められている、ということもなんか悔しくて悲しかった。私は個性というものをとかく重要な価値観と捉えているのだ。
その一言で私は、漫画家になるのはやめよう、と思った。
確かに私は才能も無ければ練習しても一向に上手くならないし、なんかもう時間の無駄でしかない。
それに、食いつくくらい絵が好きだろうか。ただ上手い人の絵に憧れていただけではないか。
狭い中学校の中でさえこんなに上手い人達がたくさんいるのに、しかもササッと軽く描いてどんどん上達していくのに、私なんかが上手いプロの中でやっていける訳がない。
一人で自己説得し自己納得して、粛々と大人しく、その夢は埋葬された。
あの年頃の子供って、そういった親からの些細なダメ出しにひどく傷つくものだし、当時の私もたぶんひどく傷ついたのだけど、今思うに、
あんな一言で諦めたのなら、所詮その程度の夢だったんだろうな、ということだ。
本当に本気でなりたかったら、グサリと刺さったそのセリフを、ただの傷跡だけにとどめておくだろうか。
壊された?夢Vol.2:歌手的な
これは夢とは違うが、他にも親に潰された夢は存在する。
私は生粋の音痴だ。〝生粋の音痴〟というものが存在するのか否かについては議論の余地があるが、言い逃れの出来ない程の正真正銘の音痴だ!(偉そうに!マークつけて威張れるものではないが。)
私は初めての孫ということで、祖母から可愛がられたそうだ。そこまではいい、微笑ましい。他にも悲喜交々あったのかはわからんが、悲劇をかいつまんで言えば、私は超絶音痴な祖母に散々子守歌を聴かせられて育ったのだという。外界の空気を吸い始めた私が一緒に超絶音痴な子守歌を吸い続けて育ったその結末はもうおわかりでしょう。絶対音感というものが育つというその貴重な時期に、私は大いに音痴を浴びて大いなる音痴に成長した。
(ちなみに弟は2人目ということでそこまでの〝愛情=子守歌〟を注がれなかったらしく、別段上手い訳ではないが音感も歌唱も普通だ。このことからも上記子守歌の悲劇性は明白だ。)
初めて自分の音痴を実感したのは小学校2年生の頃の七夕祭りというイベントだったと思う。学年ごとに合唱する時間があったのだけど、その練習をする時のこと。私が声を出した途端、というかもちろん同時に皆が声を出した訳だけど、前列の子達が一斉に振り向いて、びっくりした顔して私を見るのね。まるで地球外生命体を見た時みたいな顔でね。その顔に書いてありましたよね、「人間の発する音程じゃないよそれ」ってね。
それだけだったら、いや実は思い込みでしたよ、っていうオチとかの可能性もあるかもしれないけど、もう客観的にね、音痴という事実が判明致しました。詳細はこの記事の冒頭あたりに書いたけど、カラオケ機器に測ってもらったら、歴とした音痴だったんだよね。機械に言われたらもう言い逃れ出来ないよね。太鼓判を押されて〝正真正銘の音痴〟という〝音転免許証〟もらったような心境なのね。
それから私は悩みましたよ。いや別にね、歌が下手でも生きていくのに支障は無い訳よ、ちょっと恥ずかしいくらいでね。むしろおいしいネタにできるぞくらいの気概があった方が人生楽しめるのかもしれないが、私はそういったお笑い芸人魂は持ち合わせていないのでね。恥ずかしさとか劣等感にただ泣くことしか出来ないくらいに不器用でアホ真面目なのだよ私は。とりあえず音楽という授業や合唱コンクールなるものを避けて通れない学生時代は苦痛だったよね。歌わないと怒られるし歌うと迷惑かけるし泣けてくるしね。
そして家でも溜め息つく訳よ。そしたら親がさ、「音痴でよかったじゃん」とか言う。
「なんで?」って聞いたら、
「だって『将来歌手になりたい』なんていう馬鹿げたことを言う心配が無いじゃない」
だとよ。
返答しなかったけど、私の嗅覚は察知した。
この親は、子供の夢をぶち壊しにかかる親だ。
芸人とか俳優とか、漫画家とか歌手とかいういわゆる〝不安定職〟みたいなものに子供を一切就かせないつもりだ。
「歌手になりたい」なんて言おうものなら、
怒髪天を衝く勢いで激昂し、「そんな馬鹿なことを言う娘に育てたつもりは無い」と暴れ回るだろう。ふわふわした夢や憧れなど徹底的に叩き潰し、「まっとうな職業に就け、さもなくば・・・」みたいなそれこそマンガ的な修羅場を真っ赤に描くだろう。
私は、どんなに下手でも貧しくても、一生懸命自分が好きなことや表現したいことに向き合っていく人が好きだ。どんなに笑われても地位的に落ちぶれているとか言われたとしても、夢を持ってそれで生きていくと決めている人が好きだ。その中のごく一握りの人かもしれないけど、現に私達に夢や感動を与えてくれるのはそういった人達じゃないか。私は歌やマンガでいとも簡単に感動して泣く。そこに昇華させるに至った過程を心底美しいと思う。
でも、私の現実にいるのは、この正面の、地に足のついた現実こそすべてという思想を持つ親だ。芸人や歌手なんて、とその職業性を見下している親だ。そんな親を前に、私が夢を語れるだろうか。
そしてそんな親に言いくるめられ、私は今、公務員をやっている。
(まぁ当然自分で選んだんだよ。紙面の都合上カットするけど、マンガ的な修羅場はあった。)
壊された夢Vol.3:漢字王
クイズ番組が好きだった。アトラクション的なのを見るのも好きだったし、学校の授業系のクイズも好きだったけど、中でもとりわけ好きだったのは、漢字絡みの問題だ。
目指せ〝漢字王〟みたいなつもりは毛頭無かったが、本当に好きで熱中していたら、親が言った。
「そんなの解けたって、将来1円にもならないじゃないか」
呆れたよ。将来1円を稼ぐために漢字クイズを楽しんでるんじゃないんだよ。
要はテレビなんて見てないで勉強しなさい、という文意の言い換えだったのかもしれないけど、
え、バラエティとかよりもずっと学術的な番組見てると思ってたんだけど、
と私は思った。それに、本当に本当に漢字が好きで突き詰めていったら、その方面の道が切り開けるかもしれないじゃないか。漢字クイズを作っている人も辞書の編纂に携わっている人なんかも、きっとそういう人達じゃないか。なんでもかんでも将来いくら稼げるかを基準に趣味や生活習慣を比較考量して階級分けしていくなんて、打算的で理詰めで、私がすこぶる嫌悪するところだ。興が冷めてしまう。
漢字クイズが好きだったけど、あの親の一言をきっかけに私は気が抜けてしまって、見るのをやめてしまった。
それでも漢字や、言葉は好きだよ。1円にしていくつもりで接する気はないけど、これからも触れていたいとは思う。
壊された??夢Vol.4:作家
漫画家の夢が潰えた時、なぜ私が漫画家になりたいと思ったのかを考えたら、もちろん絵を描くことに憧れがあったのは事実だけど、
- ストーリーをかいてみたい。
- 人物とか感情とかを無から創造してみたい。
- 手に取って見てくれる人を感動させたい。
みたいなものが大きかった、ということに気づいた(後付けかもしれないけど)。
中学校くらいには小説も書いていて、こっちの方はそれこそ寝食を忘れて没頭した。とはいえ鈍足几帳面系というか不器用系の私はやっぱり才能型ではなく、書いても書いても下手だったのだけどね。まぁ趣味ですよ。好きで書いてた。書きまくってたのに下手だった。仕方ないね。
それを将来の夢に据えたのは高校生の頃かなと思う。
こちらはかなり本気で目指して、ほぼ毎年新人賞に応募して、四苦八苦して向き合っていたのだけれど、これもね、親に見つかった。まぁ、こっちの夢はちゃんと家族の前で口外していたか。なんらかのサイトに投稿しても新人賞に応募しても梨の礫である私の将来の夢に向かってこう言ったのよ。
「下手な鉄砲数打ちゃ当たるって」
これも徹底的な罵倒文句だ。一文字も読みもしないで、私の小説を下手と決めつけている。さすが私の親が投げてくる言葉には、一片の慈悲も憐れみも情愛も無い。
でも私は、これはひねくれた応援だと思って、この夢だけは許してくれてるのかもな、と思って応募を続けている。
(でも別に親に認めてもらえる云々は関係無い。今も応募してるなんて思ってもないだろうしね。結果とかがもう無かろうとも、文章書くことだけは続けていきたいと思ってる。)
あとがき
まぁ何が言いたかったのかと言うと、ウチの親のドリームキラー的な事情をね。
親のあるあるかもしれないけど、子供って親の言葉に酷く傷つくし、人生設計も操作されたりしてしまうからね。「お前の人生なんだから、お前のやりたいようにやりなさい」って言う親御さんがいらっしゃるそうだけど、本当に素晴らしい親御さんだよね。もちろん、それには責任もついて回るけど、私は責任も引き受けるから自由にやりたい、っていう主義だからなぁ。別に子供の職業を安定職に持ち込んだからと言って、親がそれに纏わることの責任を取ってくれる訳でもないしね。やりたいこととか好きの周辺のことを仕事にする、って、厳しいことだけど、とても素敵なことだし、憧れてしまう。
そういう訳で、親に認められようとも、壊されようとも、自分が選んだ道を自信を持って、後悔しないように進んでいこうね。
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