【親記2】「母は、私の1歳年上です」~幼少期のトラウマ治癒記2~

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筆者
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親に対する思い。超個人的なお話です。

お断り

このカテゴリーでは、(母)親に関する内容で、心の中に溜まったものを正直に吐き出すことで私自身が自分のインナーチャイルド(心の傷みたいなもの)を癒すことを主眼として書いています。

当時の私にとっては毒親だったので、ネガティブな内容が多くなるかもしれません。

そのため、

  • 気分が嫌になりそうでしたら途中でもお控えください。
  • 個人的な発散や癒しを主な目的にしており、親を辛辣に批判することを目的にはしていません。
  • 個人の気持ち・意見ですので、コメント欄などで攻撃的な議論展開などはご容赦ください。

こういった内容であっても、誰かの共感や気づきのきっかけになる可能性があると思って公開します。読者の方の心証を害しようとする気持ちは一切ございません。ご理解いただける方のみご覧下さい。

※とりあえず今は、仲良しとは言えないまでも、考え方の異なる事を両者概ね理解した上での親と子、くらいの関係性だと自認しております。

現実と夢

プロローグ

「なんで雨は降るの?」

と尋ねた時に、

「神様が泣いているからだよ」

とにこやかに母親に言われ、そうなんだ、と感心し、感激する。

「神様元気出してね、泣かないで!」

と私は幼く愛らしい声で空を仰ぐ。

やがて太陽が顔を出し、母がこう言う。

「ほら、桃ちゃんの言葉が天に届いて、神様が元気になったんだね。あんなに眩しく笑っているよ」

そうやって私は、笑顔というものを覚えていく。

……そんな幼少期を夢見ていたよ。

神秘的な世界

私の母親は徹底的な現実主義で、それは相手がまだろくに話を出来ない子供であっても徹底されていた。3歳くらいの頃、私はテレビの正面にずっと座らせられて、教育番組などを見せられ続けていた。親はたぶん、家事、仕事。家には居たはずだけどあまり見た記憶が無い。肌触れ合うほんわかした子育てみたいなスキンシップを私は覚えておらず、幼少期の私を教育したのは専ら4チャンネル(NHK教育番組)だったのではないかと思う。

私は言葉を話せるようになるのが遅かったようで、3歳くらいの頃でも確かうまく喋れなかった。まず話し相手がいなかったしね。

今や懐かしのビデオデッキなるもので繰り返し子供向けの人形劇や音楽番組を見ていた。喋れなかった癖に、ビデオのツメの部分を折ると録画が出来なくて、テープを貼るとまた録画出来るようになる、みたいな事は知ってた。育つ方向絶対に間違えてるよね。録画法習得しなくていいから人語操れよ人間の子供、って感じでさ。まぁ仕方ないが。

で、よく見ていた音楽のビデオがライブ映像だったんだけど、いろんなコンサートの映像を織り交ぜた内容で、フレーズごとに歌手の服装が替わる訳。曲自体は同じ1曲で途切れないのに、場面が切り替わるたびに歌手がコスチュームチェンジする。それが子供の頃の私にはものすごく謎で、この人はどうやってこんなに素早く着替えているのだろう、と食い入るように見てその謎を解き明かすのに夢中だった。あまりの早技で、子供ながらにさすがにこの瞬間に着替えるのは不可能だろう、というタイミングがいくつかあった。もしかしたらこの世には魔法があるのかもしれない、だなんてワクワクした。

喋れるようになってから、私は母にその謎を投げかけてみた。

子供にとって、大人とは偉大である。なんでも知っていて、大きくて、素晴らしくて、どんなことでも解決してしまう。子供は大人の言うことは無条件に「そうだ」と信じてしまう。

私は子供ながらに衣装チェンジの早技には何かしらの仕掛けがあるんだろうなとはわかっていて、わかってはいたんだけど、子供の今だからこそ体感出来る〝世界の秘密〟に浸かりたいとも思っていた。すなわち、いつか大人になっていく過程でそういう手品の種みたいな真実を拾っていきたいな、と思っていたのだ。まだまだ子供の私は、成長過程(=いろんな事を知っていくこと)をこれから徐々に楽しんでいきたかった。

そんな私はこう言われるのを期待していた。

「ホントだ、どうやってこの人は着替えてるんだろうね、すごいね」

もしくは、本当にこの世には魔法がある、ということを知るようなことでもいい。いや、その可能性を確認したくてワクワク質問した部分は少なからずあった。そこも含めて、「お母さんは答えを知ってるけど、それはまだあなたには秘密ね」っていう、ミステリアスな高揚感を私は味わいたかった。

正しい現実

母は答えた。

「これはね、いくつものビデオを切り貼りして映像を繋げてるんだよ」

なんと表現したらいいのだろう、あの時の血の気が引いていくような感覚。精神が青ざめるというか、魂が抜けるというか。興醒めって、恐らくあの時の私の状態を言う。

たぶん真実なんだ、と直感した。母親が言ってることが正しい。

でも私は、二度と来ない子供時代を存分に満喫したかった私は、もっと違う神秘的な言葉を待っていたのだ。(質問した癖にね。)

真実を欲していなかった。秘密を楽しみたかった。ちょっと魔法を信じていたかった。

味わいたかったのは、怜悧な真実ではなく、秘めやかな余韻だった。

あの時私は、夢をパリーンと壊されたような消失感? 虚無感? みたいなものを体感した。

まずね、『いくつものビデオを切り貼りして映像を繋げる』ってことがどういうことなのかを理解することが出来なかったよ。だって当時まだ3、4歳だよ? でも、親がやろうとしたことは感覚的にわかった。親は一切の夢や空想を与えようとせず、現実と真実を叩き付けるつもりだ。一直線に。情を排除して機械的に。相手が子供であろうと関係無い、容赦しない。子供に子供じみた夢見がちな思想など不要。それが母親の価値観であり教育方針であり、私が望んでいたものと全く逆の性質を持つものだった。

私の母は、子供を子供のように扱うなんて馬鹿げている、という現実至上主義の親だった。魔法だとかおとぎ話だとかのファンタジーやメルヘンな、子供が好きそうな虚構ものは見下し馬鹿にしていた。

それでいて、現実を守るための嘘はすげなく吐いた。

本当と嘘

それは本当?

小学校2年生の頃だったと思う。社会科?だかの教科で、『家族のことを聞いてきて、みんなの前で発表しましょう』という時間があった。(昨今は色々あって開催が難しそうなテーマだけど。)家族のメンバー、年齢、何の仕事をしているのか、あたりを聞いてくるように言われ、真面目だった私はしっかりと聞き込み調査を行った。

そして、発表の時。私はみんなの前に立って、調べてきたことを発表した。

「私のお母さんは、私よりも1歳年上の、9歳です」

途端、先生から盛大なツッコミが入った。

その時の担任の先生は、生徒の回答などにビックリしたりすると、大袈裟に黒板に頭を打ち付けるリアクションを取る先生だった。先生はすごく大袈裟に「ええー!」と驚いてから、黒板に頭をゴンと打ち付けた。

「あなたのお母さんは、本当に9歳と言ったの?」

「はい」

先生は黒板に再びゴツン。

「じゃあお母さんは、あなたのこと、1歳の時に産んだの?」

「……はい」

あの時の、全身をすうっと冷たいものが撫でていって、心がなんらかのアラームそのものになったみたいにけたたましく鳴り響く感じ。私の記憶に、その時の光景と感情が電気ショックのように焼き付く。

私はいたたまれなくなった。

ちゃんと親に聞いた。聞いたことを疑いもせず発表した。

私の態度から、さすがに先生は私がデタラメを言っているとまでは疑ってなかったろうとは思うけど、親に真面目に話を聞いて素直に発表した結果、みんなの前で大恥をかいたという痛々しい結果は残った。(そして担任の先生の頭もいろんな意味で痛かったに違いない。)

嘘の理由

私は帰ってすぐに親を問い詰めた。

――なんで嘘吐いたの? みんなの前でものすごく恥ずかしい思いをしたんだよ? ちゃんと調べていったのに、馬鹿みたいじゃん。

親は悪びれる様子など微塵もなくこう言った。

「お前はすぐにベラベラ喋るから、本当のことなんて言える訳ないじゃないか」

ショックだった。親にとっては、私が先生とクラスの前で大恥をかくということよりも、自分の年齢が他人にバレることを防ぐことの方が大事だったのだ。

私は、親から裏切られるという痛み、平気で嘘を吐かれる悲しみ、親から信頼されてないという虚無感、を味わった。

親曰く、子供がそうして喋った事が学校中に広まって大変な事になる、のだそうだ。

でもその時の私の発表を、どの7、8歳児が覚えて周りに言いふらすのだ? 1年も経てば誰も覚えてなんていない。それどころか、明らかに異常な年齢を発表し、先生につつかれたことで、かえって目立って誰かの夕食の話題に上ったかもしれない。

子供は馬鹿なことに家の事を言いふらすんだから、と言って、親は私が家族のことを口外するのを封じていた。家族であっても私が知り得た情報は最小限であり、子供心ながらに、親に家族の事を聞くのはタブーなのだ、と感じていた。ちょっとでも喋れば烈火の如く怒り、「お前はなんでそんなにベラベラ他人にウチの事喋るんだ!」と言われた。

子供なんてそんなものでしょう? 喋りたがりで一番喋れる話題って家族の事だから家族の事いっぱい話すもんでしょう? 誰かに自分の話をたくさん聞いてもらいたい、って思うものでしょう? 「ねぇ聞いて聞いて」って。

外に表現したいのに我慢して内側に込めてしまう、言ったら怒られるから口を噤む、とかはこの頃に形成されたトラウマかもしれない。あと、自分の事を話す、っていうのにも抵抗がある。人に質問されると精神的つかえが生じて、喉にストップがかかるのを感じる。ものすごく聞いてもらいたい、って衝動も、一方ではあるのに。今もこの板挟みで苦しい。何かを言おうとすると、潜在意識では親の怒る顔が浮かんでいる気がする。

私が親の年齢を知ったのは、大学生で奨学金の申請をする際、やむにやまれず、だ。

自分の年齢さえ教えてくれない家族って当たり前なんだろうか。他にもいろんな事を隠されてきたんだろうと思う。大人の事情ってヤツかな。にしたとしても。

平気で嘘を吐かれたことが本当に悲しい。

あとがきめいたもの

今はもう取り返す事は出来ないけど、子供っぽい子供を生きていたかったなぁ。

親はそういうのが大嫌いだった。幼稚さとか夢とかを蔑視していて、我が子も早く愚かな子供時代を脱して、現実的思考の出来る知性ある大人にさせないとと躍起になっていた。

私はとても夢見がちで子供っぽいところがある性格と思ってるけど、それはたぶん元からだったのだろうし、まだ満たされなくてぐずってる部分がさらに拍車をかけているっていう節があるのかもしれない。

そして、毎回書くけど決して親への悪口でも誰かを嫌な気持ちにさせるための愚痴でもなく、このカテゴリーは少しずつ自分の中にある溜まった感情を吐き出したいだけ。自分を守り癒やせるのは究極的にはやはり自分しかいないと思っている。今からでも、子供の頃の自分を救いにいく気持ちで吐露しているものだ。

それと、どんなに傷ついていても闇を抱えていても、今の私として生きていられているのは親のお陰であることも忘れてはならない。

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