【親記1】親というもの ~親だからといって必ずしも理解し合える訳ではない~

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筆者
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親に対する思い。超個人的なお話です。

お断り

このカテゴリーでは、(母)親に関する内容で、心の中に溜まったものを正直に吐き出すことで私自身が自分のインナーチャイルド(心の傷みたいなもの)を癒すことを主眼として書いています。

当時の私にとっては毒親だったので、ネガティブな内容が多くなるかもしれません。

そのため、

  • 気分が嫌になりそうでしたら途中でもお控えください。
  • 個人的な発散や癒しを主な目的にしており、親を辛辣に批判することを目的にはしていません。
  • 個人の気持ち・意見ですので、コメント欄などで攻撃的な議論展開などはご容赦ください。

こういった内容であっても、誰かの共感や気づきのきっかけになる可能性があると思って公開します。読者の方の心証を害しようとする気持ちは一切ございません。ご理解いただける方のみご覧下さい。

※とりあえず今は、仲良しとは言えないまでも、考え方の異なる事を両者概ね理解した上での親と子、くらいの関係性だと自認しております。

親の記憶

子供の頃の親の記憶と言ったら、怒った顔ばかりが蘇る。

(ちなみに私が「親」という時は、ほぼ「母親」のことである。
「父親」はいない。正確に言えば記憶が無い訳でもないけど、「父親」がいない、のが私にとっては自然で当たり前で、別にそのことで〝心に傷を〟みたいなのは一切無い自覚でいる。本人はきょとんとしているが、周りが哀れむような複雑な目で見てくるだけである。このご時世、別に特別なことでもないと思ってるんだけど。
そして、「父親」不在で生じた傷は、専ら「母親」から受けたものと私は認識している。)

いつもいつも、私は親から否定されていた。

性格が気に入らないと、「だからお前は駄目なのだ」と怒られてばかりいた。

私の考えは受け入れられることがなかった。意見を述べても一蹴された。それでいて親の考えは有無を言わせず受け入れなければならず、私は私を意見や感情を持たない鵜呑みマリオネットにでもしたそうな親の言動が、当時とんでもないストレスだった。

子供が気にするようなちっちゃなくせにでっかい出来事は、馬鹿にされて笑われた。罵倒が高じて、存在を否定されるようなことも言われた。そのたびごとに、弱い私はイチイチ傷ついた。

親の考え方にそぐわない振る舞いはとことん蹴散らされ、親の言った通りにしないと怒鳴りつけられ、「遊びたい」だとか「これが欲しい」だとかいった子供らしい願望は、親的権力で速やかに排除された。

「やれ」と言われた事をやっても褒められず、
親の思想外の事をやるとこっぴどく怒られた。

親は完璧主義の減点方式で、とかく欠点ばかりに目がいくタチだった。

テストで100点を取っても「ふうん」と言われ、95点だと「なんで100点じゃなかったんだ」と怒られた。

学年上位に入っても「○位か」と落胆され、「次は1位取るんでしょ?」と圧をかけられ、泣くようにして勉強していた。

あの頃私は日記に、

「またテストで1位を取れなかった。お母さんを喜ばせてあげることも出来ない、私は最低最悪な娘だ」

と綴っている。

私は一度でいい、親に褒めてもらいたかった

親から教わったもの

親からは、〝たとえ肉親とは言え〟みたいなものをたくさん習った。

私は親と、価値観や考え方があまりにも違いすぎた。

親は私を叱り怒ることこそが愛情だと信じていた。私はありふれた家族のように、笑顔や優しい言葉やふれあいというものが欲しかった。

親は人や何かを見るにつけて悪口を言って、そのたびに私は暗く嫌な気持ちになった。

親は「現実とは辛く厳しいものだ」ということこそが真理だと心得ていて、私はその逆を知りたかった。

親は私が好きなものを否定し悪し様に言い、私が苦手なものや嫌いなものを皮肉るような顔で称賛した。

親は「頭がいい」ことを優位に捉えていて、それは教育理念や差別思考へと繋がっていたが、私は頭の善し悪しは必ずしも人間性の善し悪しと連動するものではないと考えていて、勉強が出来なくても明るい子とかの様々な友達が欲しかったが、親は「頭の悪い人間とは関わるな」と私の交友関係を限定した。

親は絶対的に自分が正しいと信じていて、「お母さんの言うことが一番正しいんだから、お前は黙って聞きなさい!」と言い、好きな事を好きなようにやりたいと思う私を、「自分勝手で最低最悪な娘」と罵った。

食べ物や、ファッションや、雰囲気や、有名人の好き嫌いが、親と私はどれも真逆で、

私は好きなものをやったり言ったりすると親に否定されて暗い気持ちになり、

自分の好きな服を着ると散々に悪口を浴びせられて朝からブルーになって(大学時代には朝に「服装チェック」なるもの ※一方的 があった)、

外食というものを知るまでは、「この世の食べ物ってなんでこんなにオイシくないのだろう」と思ったりもした。

あの頃は、親がおかしいと思っていたし、なんで言っても伝わらないのだろう、否定されて辛い、と思っていた。毎日が我慢と、憤怒と、絶望感と、傷心で満たされていた。家の中では、正しいのは常に親であって、問答無用で私は悪だった。

親に対して(現在)

今は、あの頃程の憎悪はない。親がおかしいというよりも、そういう人間だったのだ。それに尽きる。私がそれと相容れない価値観だったというだけ。

子供の心を故意に傷つける行為は親の愛情ではない、とその頃私は思っていたが、そもそも論として愛情というものに対する両者の認識が異なっているのだから、その擦り合わせが出来ようはずもない。親が我が子を含め他人の言うことは一切聞き入れないということも、その統合をますます困難なものにしている。

親はそういう人間だったし、別に私は親と無理してわかり合おうとする必要は無いし、実の親からどんなに否定されても、私が必ずしも駄目人間で生きる価値の無い悪い人間とも言い切れない、と思っている。我が子の個性と感性を認めてくれる、自由を許してくれる親だったらよかったのになぁ、という憧れは狂おしい程にあったけど、仕方ないものは仕方ないのだ。

もちろん、そう思うまでには長い年月を要した。どんなにクラスメイトが優しい言葉をかけてくれようと、外の世界で別の考え方を見かけようと、家に帰れば親の毒性を帯びた言葉が雨嵐のように降り注ぎ、私の心はその言葉で汚染され、どれほど気を確かに保とうとしても、自分が最低最悪の人間に思えてしまうのだ。子供にとって、家で否定されることは世界中でも否定されたように感じるものだ。あの頃私は、自分だけが世の中でたった一人の悪者だと思っていた。

少しでも同じような状況に悩んでいる方のために付け加えるとすれば、そうやって少し心理的距離を置けるようになったのには、物理的な距離を置いたのが大きい。今だって親と連絡したり会ったりすると、心中に黒い霧は籠もる。「絶縁」などという言葉もあるが、そんなに強烈な方法を取らずとも、距離と時間を置けばある程度落ち着くことは可能だと思う。

親との確執と和解

社会人時代に悩んでいた時に見ていた自己啓発系のYouTube動画で、〝親との和解〟が健やかな人生創造に大きく寄与することを知った。曰く、

「子供の頃、親にこうして欲しかったと思っていたことも、伝わってないということがある。それを素直に伝えることで親子関係は変わり、人生も大きく変わる可能性がある」

ということだったので、親との確執があった私は迷い迷った挙げ句、思い切って決断をし、ありったけの勇気を振り絞って、子供の頃に一番して欲しかったことを親に告げた。

「私、お母さんに褒めてもらいたかった」

そうしたら親は、びっくりした顔をして言ったのだ。

「当たり前の事しか『しろ』って言ってないのに、何を褒める必要があるの?」

テストで100点を取り続けるとか、学年1位目指せとか、ゲームは禁止、彼氏も禁止、勉強だけが学生の本分なんだから勉強だけをすること、とか、親の言う事はすべて聞くこと、〝立派な子〟でいること、そういったあらゆる無理と我慢をして頑張っていた事が、親にとっては全部〝当たり前のこと〟

……と思ったら、もう身体中から力が抜けてしまった気がして。

ああ、たとえ親といえども、

ああ、どんなに言葉を尽くそうとも、

伝わらないんだ、自分の気持ちなんて。

そう思った。

たぶんその経験というものは、

  • 親兄弟であっても、わかり合えない。他人なら尚更。
  • どんなに言葉を尽くした所で、本人の気持ちは本人にしかわからない。
  • 燃え尽き感、無力感。

みたいな所に繋がってるんだろうなぁ、と思う。

親とはいえ

親とはいえ、必ずしも愛してくれるとは限らない。思ったような愛情などなかなか受け取れない人の方が多いかもしれない。

親とはいえ、他人だ、と私は思う。(血縁関係というものはあっても。)

どんなに影響を受けようとも、そこに雁字搦めにされて人生のすべてを引きずられる必要はない。

自分の命は、自分で守るしかない。

自分の心を守り、自分を自分の生きやすいよりよい道へ導き、涙を流しても苦しくて逃げ出したくなっても頼りにすべき、自分を真に守れるものは詰まる所、自分しかいない。

そして出来ることならば、どんな絶望や傷心を被った過去があったとしても、それを何か他のプラスに変えていくようにしていけたらいい。すべてを取り戻す程の巨大なものでなくて構わない。闇に囚われ続けずに、自分に出来る範囲で前を向いて。そうしていたら、過去の私も未来の私も、きっと今よりも微笑わらってくれるに違いない。

あとがき(補足)

そんな親でも「恵まれていた」とか言ったら当時の私が激怒しそうなので言わないけど、

それでも私が弱かっただけで、私なんて全然、幸せなもんだろう。

いろんな環境、状況、人、想いがあるけど、その人なりに過去の傷を認めて、理解して、癒してあげるのが大事だと思う。そしてそれを最も実現出来るのは、やはり自分だけだ。

そして、〝あんな親〟だったからこそ今の私があって、

どんなに傷ついていても闇を抱えていても、今の私として生きていられているのは親のお陰であることも忘れてはならない。

【おまけ】

「褒めてもらいたかった」と言ったことで、その後親から、重たい荷物を持つのを手伝わされて、

「お前、女のクセに力あるなぁ。……褒めてもらいたかったんでしょ?(嘲笑)」

と、言われるようになった。そういう親なのだ。

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