執筆大好き桃花です。
恋愛ノベルゲーム「悪魔執事と黒い猫(あくねこ)」の二次創作で短編小説を書いてみました。
ドキドキ・キュンキュンしていただけたら嬉しいです!
【注意事項】
下記作品は、恋愛ノベルゲーム「悪魔執事と黒い猫(あくねこ)」を題材に、私が書いた二次創作の短編恋愛小説です。
可能な限り元ネタの設定・構成・性格等を崩さないよう配慮しておりますが、私自身まだ元ネタのストーリーを完全に読み切れていないこと、元ネタのストーリー自体も途中であること、等の事情もあり、矛盾や乖離が生じる可能性もございます。
また、個人で作成した作品ですので、今後の本家様のストーリー展開には一切影響いたしません。
あくまで素人の二次創作であることをご理解いただいた上で、お気軽にお楽しみください。
(対象年齢:小学生くらいからOK ドキドキしたい女性向け)
若手執事のリーダーで責任感が強く完璧主義な性格。
仕事の担当は訓練係と屋敷の設備管理係。
執事の仕事は完璧だが、生活能力が低く、掃除、洗濯、料理といったことが苦手。
好きな食べ物は激辛鍋とバナナマフィンの生クリームのせ。苦手な食べ物は魚料理。
完璧主義者のハウレスは、主と徐々に惹かれ合うが、想いの強さのせいでかえって二人の気持ちはすれ違っていく。
その① ハウレス編 『勘違い』
白光の記憶:主視点
一番危ない時に助けてくれるのは、いつだってハウレスだった。
思い返せばボスキだってロノだってバスティンだって、その他の執事にだって、危機を救ってもらったことはある。
それでも、私の記憶に最も強く焼き付いているのは、ハウレスが来てくれた瞬間だった。
絶体絶命、もうどうあがくことも出来ない。目の前で冷酷無表情の天使が光り出し、なすすべも無い私はその場にしゃがみ込むと、頭を抱えて目を閉じる。瞼の向こう側の世界がどんどん白さを増してゆく。
――カキーン。
力強い剣の音と、何かが崩れ落ちた音。光は止み、私は影に覆われる。
目を上げると、剣を振り切ったハウレスが太陽を遮っている。獲物を仕留める時の凄味を帯びた目つきは人をも殺してしまいそうなくらい恐ろしい気を放っているけれど、私の心はその真剣な目に吸い寄せられる。
――またハウレスが、助けてくれた。
足下の残骸が消え切らぬうちに、ハウレスはすぐに私の方に体を向けた。主の安否が最優先事項であるという思いよりも先に体が動いたかのような焦りを滲ませながら。
緊迫した空気の中、まるで王子様が救いに来てくれたような錯覚に陥る。
ついさっきまで絶望的な状況だったにも関わらず、そんな〝おいしい〟状況の自分に、ほんの少しばかり酔ってしまう。
「主様、お怪我はありませんか?」
私はぼんやりとしたふりをして、ハウレスの顔をまじまじと見つめてから、ゆっくり頷く。この時間がもっと引き延ばされてしまえばいいと思いながら、ゆっくりと。
「良かった……」
ふっとこぼれた安堵の笑みに、心揺さぶられない者があろうか。私はハウレスの整った顔を見つめながら、素敵だな、と心の中で呟く。
「主様、お手を」
ハウレスはわざわざ片膝をつきながら、私の方に手を伸ばしてくれる。こんな素晴らしい扱いを受けるなんて、この指輪と出会わなかったなら、きっと一生無縁だっただろう。彼に手を預けると、魔法のようにふわりと体が浮かんだ。
「ご無事で何よりです」
ハウレスは、いつものように完璧な気遣いと振る舞いとで、屋敷への道を先導してくれる。
怪我は無いと言った手前、私は自分の足で歩かなければならない。でも、それを少し後悔してしまう自分もいた。
――本当は、ふらついてあなたの肩に寄りかかってしまいたい……。
それでも二人の間には、しっかりとした境界線がある。主と執事という、見せない境界線が。ハウレスはその線を踏み越えぬよう距離を保ちながら、少し離れた場所を歩く。ベリアンにきちんと教え込まれたのであろう執事としてのマナーを彼は、忠実に守っている。
そんなもの、壊しちゃってよ、という思いが込み上げてしまうが、きっとハウレスは真面目だししっかり者だから、ケジメは厳格に守るだろう。酔いが醒めるように少し、シュンとしてしまう私に気づきもせず、彼は優しく気遣いの言葉をかけ続けてくれる。
束の間の休息:主視点
私はハウレスと二人で街に繰り出していた。他の執事から頼まれていた買い物を全部済ませた後、私はハウレスを引き連れ、とあるお店の前で立ち止まった。
「ねぇハウレス、ここで少しお茶していこ?」
実は、最近やたら天使狩りに駆り出されているハウレスに息抜きをして欲しいと思い、あらかじめロノにおいしいスイーツがあるカフェを聞いていたのだ。
「でも、帰りが遅くなってしまっては……」
「ちょっと疲れちゃったし、休憩」
そこまで言うとハウレスが許してくれるのはわかっていた。
テーブル席に向かい合って座り、二人でメニュー表を覗き込んだ。スイーツを選んでいる時のハウレスの子どものような表情に、私も思わず微笑んでしまう。
「楽しそうだね、ハウレス」
「えっ、そうでしょうか」
「どれか一つに決められなかったら、二個選んでもいいし」
「そんな、主様の前で俺だけ二つだなんて」
「気にしなくていいんだよ」
「でも……」
イベント事や遠征に行ったりするのも楽しいけど、こういう、のほほんとした日常を平和に過ごすのもいい。
「最近天使狩りで大変だったんだから、今日は贅沢していいんだよ」
「やっぱりそうでしたか」
口が滑ってしまったことに気づいた時には遅かった。思惑はハウレスにあっさりバレてしまった。
「いえ、お心遣いありがたく頂戴します」
目の前でハウレスが微笑う。素直に喜んでくれるのも嬉しいし、ハウレスの笑顔が見られるのも嬉しい。おいしいスイーツだって食べられるし、オシャレなカフェでデート気分だし、何重にも喜びが重なる。文句無しの素晴らしい休息。
迷った挙げ句にハウレスは、ガトーショコラとシュークリームを頼んだ。どっちも生クリームたっぷりだ。私はフルーツタルト。
届いた時には、二人で思わず感歎の声を上げてしまった。すごくインスタ映えしそうな、見るからに美味しそうなスイーツだ。
早速いただくことにする。ブルーベリーから口にしたが、フルーツの上から甘いシロップがかかっていて、これはいくらでもいけそう、と思う。向かいのハウレスもおいしそうにスイーツを頬張っている。彼の笑顔を見てると私も幸せだ。
普段あまり話せない、目的の無い会話やとりとめの無い雑談も嬉々と進んだ。甘いものは舌を滑らかにする。ハウレスもあまり深く考え込まず、自然体で喋ってくれる。
本当に幸せだった。ハウレスといられる時間が心地よかった。木漏れ日みたいに穏やかで、そよ風みたいに優しい時間。真面目なハウレスには嫌がられるかもしれないとも思ったけど、連れてきてよかった。そう思った時だった。
突然、私の隣の空いていた椅子に、いかにも気位の高そうな女性が断り無しに滑り込んできた。高そうな香水の匂いがぷんとする。すっかり腰掛けると、私の存在を完全に無視して、正面のハウレスに向かって興奮気味に話しかけた。
「悪魔執事のハウレス様、ですよね。こんな所で会えるなんて」
ハウレスはすっかり言葉を失っている。
「これまでも何度かお声がけしたことがあるのですが、いつも逃げられてしまって」
ハウレスに向けられたエネルギーの圧が凄い。この貴族の女性、ハウレスの追っかけか。
「私のことを知っていただければ、きっと傍に置いておきたいとお思いになるはずです」
よくこんなセリフが言えるものだな、と呆れるが、隣にいると本気度の高さが伝わってくる。ハウレスはと言うと、顔を赤らめて目を逸らし、何と返事をしたらいいのか困っているようだ。
「ハウレス様、初めてお見かけした時から、ずっと憧れておりました。ぜひ、私と……」
「あの」
ほぼ機能不全に陥っているハウレスを見かねて、私は彼女の話に割って入った。
「あら、こちらのお方は?」
絶対に最初からわかっていた癖に。わざとらしさが鼻についた。
「あぁ、あなたが悪魔執事を束ねる主とやらですか? でも、執事と主の関係ということは、主従関係。それ以上のことなんてありませんよね」
見下すような笑顔にさえ艶がある。美人だ。私とは比べるまでもなく。
でも――。
ハウレスはすっかり困惑してどうしたらいいのか困り果てている。
「つまり、あなたがたは別に恋人同士でもなんでもない。私は堂々とハウレス様とお付き合いが出来る。ふふ、良かったぁ」
ポーカーフェイスだったと思うけど、私の中で何かがプチンと切れた。
「いえ、あなたには申し訳ありませんが、私とハウレスはお付き合いしておりますので」
向かいでハウレスが仰天して顔を真っ赤にし、女性はあからさまに敵意の表情を見せたが、私だけは至って冷静で、頭の中がクールに働いていた。
「せっかく二人きりのデートを楽しんでいたのに、邪魔しないでいただけますか? ハウレスはあなたに目を向けることはありません」
女性は今にも怒りを爆発させる直前だった。〝ただの一般市民が何を調子に乗っているの?〟〝私を誰だと思ってそんな口を聞いているの?〟〝あなたのようなブサイクな女がハウレス様の恋人な訳がないでしょう?〟あらゆる反論を想定した。でもなぜかその時は、何と言われても平気だという自信があった。結局、女性は怒りをこらえたまま、何も言い返せずにいた。
「もうハウレスにつきまとわないでください。彼、一途な人なので」
そう言うなり私は毅然と席を立ち、ハウレスの手を取ると、きちんと会計を済ませて店を出て行った。
「主様……」
ハウレスから声をかけられるまで二人とも無言で、まるでケンカ直後の恋人同士のようだった。私は俯いたまま彼の顔を見ることが出来ないでいた。そしてハウレスの声を聞いた途端、その場に崩れて泣き出してしまいたくなった。
「ハウレス、ごめん……」
「なぜ、主様が謝るのですか?」
「だって……」
なんかもう頭の中がぐちゃぐちゃだった。たぶん、普段絶対に口にしない、あんな強気なことを口走ってしまった反動と、今更ながらに湧き上がってきた恥ずかしさと、もしかしたら実は闘っていたのであろう恐怖と、怒りと、悔しさと、惨めさとが、一気に押し寄せてきたのだ。さらには、私は勝手にハウレスを恋人呼ばわりしてしまった。この罪は重い。どんなに理由があっても、この罪だけは許しがたい。こればかりは私の中では重罪なのだ。それを自分でやらかしてしまったことで、自爆炎上した気持ちだ。自分で自分が許せない。
「ごめんなさい……」
私はうなだれた。
「主様、顔を上げてください。何に対して謝っていらっしゃるのですか?」
「私はハウレスを……」
それ以上は言葉に出来なかった。
「主様」
ハウレスは私の正面に立ちふさがった。勢い、その顔を見上げてしまうことになる。
「助けていただき、本当にありがとうございます」
ハウレスは穏やかな笑顔を浮かべていた。
「俺はああいう時、本当にどうしたらいいかわからなくなるのです。主様がいてくださらなかったら、どうなっていたことか……」
ハウレスは面目なさそうに溜め息をついた。
「主様のおかげで助かりました。本当に、感謝しております」
とりあえずハウレスが嫌がっていないなら、とほっとしたのは束の間で、いつもと変わらない落ち着いた彼の態度に、少しばかり悲しい気持ちになる。
本当にハウレスにとって私は、〝ただの主人〟でしか、ないんだろうな、と――。
色彩の集積:三人称視点
変わりゆく季節の間に流れるいつの瞬間を境目にするのか決められないことのように、ハウレスの心の変化を明確に切り分けることは出来ない。どれか一つだけが確固たるきっかけになったのではなく、些細な出来事の一つ一つが目に見えない程わずかな変化を与え続けたのであろう。幾度も塗り重ねてゆく水彩絵の具のように、一滴一滴の出来事は限りなく透明に近い薄い色であっても、その積み重ねが一枚の白いキャンバスに色調豊かな絵を現す。わずかな抵抗も感じることなく、気がつけばハウレスは、もはや目を離すことの出来ない深い想いの前に立っていた。
主が屋敷に来た最初の頃はものすごく意気込んでいた。リーダーとして最高のもてなしを提供しようと、準備に準備を重ね、自分の振るまいばかりでなく他の執事の行為にも逐一口出しをし、休みを取らずに猛然と働いた。ハウレスは、自分でも気づかぬうちに心はガチガチに緊張し、自分をきつく縛り付けていたのだ。
でも、そんなハウレスの無意識の緊張を、主は少しずつほどいていった。
どんな対応をしても主は怒らないし、手違いや想定ミスがあっても、主は笑うばかりでなんでも許した。もちろん入念に事前準備をした際にも主は感謝をして受け入れたが、パッとした思いつきや咄嗟の行動でも充分に喜んだ。準備不足によるミスや失敗が、かえって主の笑顔を引き出すきっかけになり、思いがけない主の姿を知ることに繋がることも少なくなかった。そのことを両手をあげて喜ぶことはハウレスの性格上出来なかったが、肩の力を抜くことでありのままの主の姿を知ることにもなるのだと覚えた。
主は一見何も考えないでいるように見えて、執事達のことをよく見ている人だった。執事の性格も関係性も、今何をすべきタイミングなのかも、すんなりと吸収し適切に判断して、ピリピリした場面もしんみりした状況も、ふわりとやわらかい言葉や仕種とで、なだらかに均していった。もちろんハウレスの完璧主義気質のことも理解していて、常に気にかけていた。ハウレスが驚くのは、それを直接的に指摘するのでなく、さりげなく気を回していて、結果的にハウレスの肩の力が抜ける状態を作り出してしまっているということだった。それは素でやっているのか計算し尽くされた結果なのかはわからないが、男ばかりの生活だった時は、そういったやわらかい気配りというものに触れる機会はほとんど無かった。後から振り返り、自分の気負いを緩めるために主が言葉や笑顔を選んでくれていたのだと気づくと、ハウレスは思い出したようにふわっと心が温かくなった。
肩の力が抜けていくと同時にハウレスは、張り詰めていた時には感じることの出来なかった穏やかな気持ちが、自分の中に流れてくるのを感じるようになった。
主の笑顔を見ると、仕事の疲れも悪辣な悪口への嫌な気分もすっ飛び、心が軽くなった。主が笑顔だと自分も笑顔になる。主が不安そうだと自分も不安になった。主に指名されるとじんわり温かい喜びに浸され、そろそろ帰るね、と言われると引き留めたい気持ちにもなった。
主との時間は、どんなに短い時間であっても、ハウレスにとってかけがえのない時間だった。二人きりでしか話せない時間は独特の秘密めいた緊張感があって、二人だけの思い出になった。普段、自分のことを積極的に話さないハウレスも、主の前だと心を許して饒舌になった。
「ハウレスはしっかり者だから、部屋の中も整然としてそう」
「そう、思われますか? 実は俺、掃除とか洗濯とかが苦手で……」
「えっ、見えない」
「そうでしょうか?」
「奥さんの家事とか手伝ってあげてそう」
そう言って主が笑うと、ハウレスは胸が飛び跳ねるような気がした。自分の苦手なことを打ち明けた恥ずかしさだけにとどまらない、もっとずっと自分を恥ずかしい気持ちにさせる何か甘ずっぱいものが、そのセリフには詰まっているような気がした。
ハウレスが胸の心拍音に耳を澄ませていると、主も恥ずかしそうに顔を赤らめて目を逸らした。他の執事がいる前では絶対に見せない表情を見て、ハウレスはますます特別な感覚を覚えた。
主との時間はいっつもそうだ。準備万端でもハプニングがあっても、どう転んだとしても、いつだって特別な時間になる。ただその径路が右を行くのか左を行くのかの違いなくらいで、結局最後には素晴らしい景色を眺めることが出来る。
薄紙みたいに主との時間が積み重なっていくのが心地よくて、ハウレスは、主のことをもっと知りたいと思った。
主人公と鏡:主視点
その日もハウレスにお世話をしてもらって、私は上機嫌だった。私はハウレスの素振りを視線で追いかけ、ただ目が合うと互いに微笑んだ。何か特別なお手伝いをしてもらわなくても、それだけで充分だ。
だが時折、ほんの些細なことがきっかけとなって、スイッチが入ってしまうことがある。
その落ち込みはまるで発作のようにやってきて、一度捕らわれると私は、隣にどんな元気な執事がいても、なかなか笑顔で覆い隠すことが出来なかった。それはハウレスの隣でも同じだ。というかハウレスの隣だと、高揚した時と落ち込みとのギャップがますます大きくなるような気がした。
私はただ、ときめきながらハウレスのことを見ていただけだ。その視点のベクトルが突然、自分へ向かった。ハウレスのことが気になればなるほど、彼に見つめられる自分の顔が気になり出したのだ。
こんなにカッコいい顔で見つめられておいて、私はどうしてこんなパッとしない顔立ちなんだろう。せっかくハウレスに見てもらえるんだから、もっと彼の目に魅力的に映える私でいたい。でもちょっと今の私じゃ厳しいんだろうな。ハウレスはどんな女性が好みなのかな。いくら性格が大事とか言ったって、やっぱり女の子は見た目が重要項目だよなぁ。さっきだってあんなに、素敵な笑顔を見せてくれたのに……。ハウレスのことを意識して自分の顔のことを考えれば考える程、なんだか気分が落ちてくる。
「どうかされましたか? 顔色が優れないようですが……」
ハウレスが心配そうな様子で覗き込んでくる。そんな自分が悩みの一端を担っているだなんて、思いもしないような様子で。
「私、自分の容姿に自信が無くて……」
はぁ、と溜め息をついて俯く。こんな顔、本当は執事のみんなにも、見せたくない。物語の主人公になれるんだったら、せめてもっと素敵な外見をあてがわれたかった。どんなにこちらの世界で丁重な扱いを受けようとも、鏡を見れば一緒。私は私なのだ。
ハウレスがムッと憤る気配がした。私の自信の無さが、彼の気を逆撫でたらしい。つくづく自分が嫌になる。今日はもうとことん怒ってもらっていい。テンションガタ落ちの心をさらに引きずり落として、ジメジメした心を叩き潰してくれていいんだ。ハウレスだったらきつく叱ってくれるだろう。そう思ったその時、
「主様は、とてもお綺麗です!」
ハウレスが勢いのある声をぶつけてきた。予想外のセリフに「えっ」と顔を上げると、彼は少し上気した顔で私を睨んでいた。私は睨まれている。それでも、正直に向けられたその怒りに、私の胸は激しく打たれた。
その怒りはそう、弱気な私に対するものではなく、私が自分の容姿に自信を無くさせるきっかけを持つ、あらゆる外部のものに対して向けられた怒りだった。
そしてその直後、私は自分の顔全体が熱く火照ってゆくのを抑えきれなくなっていた。生まれて初めて「綺麗」だなんて言われたこと。その言葉をくれたのがハウレスであること。ハウレスが、私の容姿に対する悩みをすべて斬り捨ててやると言わんばかりの剣幕で怒ってくれたこと。
一方私の反応を見たハウレスは、ハッと我に返ると、私以上に顔を赤くして、しどろもどろになっていた。首の後ろを押さえながら、「えっと」とか「あの」とかボソボソ呟きながら、さっきのセリフをごまかそうとしているかのようだった。あの言葉だけはごまかして欲しくない。そう、私は祈るように彼を見守っていた。
「ですから、その……、もっと自信を持ってください。笑顔の主様が、一番素敵ですから……」
こんなセリフを、以前はもっと笑顔で真正面から言ってくれていた。恥ずかしかったけど、執事全員がそんな調子だったから、日常の挨拶のように生活の中に溶け込んでいた。彼らがどこまで本気なのかわからない。もしかしたらベリアンの指導の下で、そうしつけられてきたのかもしれない。そのことに、彼らも特段疑問を抱かなかったのだろう。
けど今、確かにハウレスは、同じセリフを放つことを自分の意思で躊躇している。笑顔で、挨拶と同じように軽々と口にしていい言葉なのかを、改めて慎重に吟味しようとしている。
彼は困惑しているようだった。これまで平然としてきた行いが実は重大な過ちだったと気づくことを怖れて、考えることを放棄しようとしているように見えた。それでいて、じゃあ何が正解なのかをすぐにでも探し出そうとジタバタしているようでもあった。要するにハウレスは、恥じらいという感情と全力で闘っているのだった。
「ありがとうハウレス」
照れてるハウレスを見て、急に心が軽くなった。
決めた。私、綺麗になれるよう最大限の努力をする。もっと自信を持ってハウレスと向き合えるよう。彼に励ましからではなく、心からの言葉で、「綺麗」と思ってもらえるように。
綺麗の特訓:主視点
次の日から私は、ちょくちょくフルーレを指名するようになった。もちろん、ゆっくり過ごせる時はハウレスを呼ぶ。他の執事達のこともよく知りたくて、立ち話程度に全員に声をかける。でも、フルーレと話すことは毎日の日課のようになっていった。
私は彼に、美容関係全般の知識や情報をあまねく教えてもらうことにしたのだ。
フルーレはいろんなことを知っていた。肌を綺麗に保つコツだけではなく、ヘアケア、ダイエット、ネイルから化粧まで、私が自分の性別を疑ってしまう程に詳しかった。最初は基本的な知識も抜けていたりする自分が惨めになったりもしたが、フルーレが毎日少しずつ、わかりやすく指導してくれるおかげで、どんどん自分の中に綺麗になるための知識とスキルが蓄積されていった。それが成果として表れるまでにはどうしても時間差があったけれど、費やしている時間が未来の自分を綺麗にしていくという期待に満ちている日々は、努力することも楽しかった。
「主様、今日はヘアスタイルについてお伝えしますね。特に主様に似合いそうなものをいくつか考えて参りました」
「ありがとうフルーレ。本当に助かる!」
自然と私は笑顔も増え、ちょっとずつ心にも余裕が出てくるようになった。
私が綺麗になりたいのは、ハウレスのためだ。彼の瞳に映る自分が、少しでも魅力的に映るといい。
少し時間はかかるかもしれない。それでも、いつか彼の前で最高の笑顔を作れるようになりたい。
らしくない:三人称視点
主が毎日欠かさずフルーレを指名するようになったのに、ハウレスも気づいていた。主と少しでも長く一緒に過ごしたい。そう思っていた時間は日に日に削られ、もしかしたら自分といる時間よりもフルーレといる時間の方がずっと多くなってしまったのではないか、とハウレスは考えた。
いつの日かを境に、主はあまりハウレスを指名しなくなった。主が誰を呼ぼうが自由だ。だがハウレスは、どうしてもそのことが気になってしまって仕方ない。
気づかないうちに主の気分を害したのではないか。何か自分が重大な過ちを犯したのではないか。いろんな可能性を想定してみたけれど、どれも確固たる証拠はなく、予想の範疇を超えることはない。
ハウレスが最も考えを及ばせたくなかったのは、〝主がフルーレを気に入ってしまった〟ということだ。
それについても、自分がとやかく言えることではない。主がどの執事を気に入ろうが、それは自由。自分が制限出来ることではないはずだ。
でも、ハウレスはモヤモヤして仕方なかった。フルーレのことがやたら気になり、ミスをいつも以上に叱責し、怒りの矛先はいつもフルーレの方に向かった。大人げないと思っていても、寛大に流すことがどうしても出来ない。
そうこうしているうち、主が他の執事にも優しく接しているのを見ると、ハウレスは胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じるようになった。ふと見かけた瞬間が頭から離れなくなって、ついその時の状況を問いただしたくなってしまう。
穏やかな心地よさだけで満足だったのに、どうして主様が他の執事といるのを見るだけで心がざわつくのだろう? 以前と何ら変わったことは無いのに、どうしてこの頃は気持ちが落ち着かないのだろう? ハウレスは、自分で自分にイライラしていた。
溜まりかねた雲がついに落雷を落とし切ると、季節が移り変わるように、ハウレスの心の中も次の段階に入った。原因追及をあまりに根詰めてやってしまっていたからかもしれない。何をやっても気分が乗らず、ぼんやりとすることが多くなった。
主様はもう、前のように自分をよく誘ってくれることはないのか? 自分ばかりが主様に信頼されていると思い込んで、調子に乗っていただけなんだろうか? なんでこんなに主様に頼ってもらえないと気分が落ち込んでしまうのだろう? 俺はただの執事なのに――。
ハウレスは、自分が自分でなくなってしまったかのようだった。
「俺らしくもない」
そう、しっかりしていないのは、ハウレスらしくないのだ。誰よりもハウレス自身がわかっていた。それでも、それをコントロール出来ることとは別だった。
ハウレスは、稽古にも身が入らなかった。ハウレス自身はそんなつもりはない。武器を扱うトレーニングではいつも通り真剣にやっているつもりだった。それでも、自分でも気づかぬうちに時折意識が他へと飛んでしまっているのだ。
それを証明したのが、とある日の若手陣との模擬戦だった。実力のあるハウレスに対し、とにかく本気で仕掛けて攻撃を当てる、という訓練だが、アモンやラムリやフルーレがいくら全力を出しても、これまでハウレスに掠った試しはない。それがその日は、フルーレの一撃がハウレスに当たったのだ。
その場にいた全員が、フルーレ自身も含めて驚いていたが、一番驚いていたのは、恐らくハウレス当人だった。
ハウレスは何事が起きたのか理解するまでに結構な時間を要していた。その間にロノやバスティンが「大丈夫か?」と駆け寄り、ハウレスはうつろに返事をした。
「おやおや、ハウレスくんがフルーレくんに一本取られるとは」
ルカスは相変わらず、飄々とした調子でその興味深い状況を弄ぶ。ボスキもそんな信じられない光景を目の当たりにし、少し前からハウレスがボーッとしていることを思い出しながら呟いた。
「リーダーのクセに、気もそぞろ、ってヤツかよ」
悪巧み:三人称視点
ハウレスが不在の時、二階の執事部屋ではちょとした悪巧みが仕組まれようとしていた。アモンに話を切り出したのはボスキだ。
「最近ハウレスの野郎、ちょっとおかしくねーか?」
「確かに、なんかボーッとしてるっすよね~♪」
「そこでだ。アイツをからかってやろうぜ」
「それは面白そうっすねー!」
「ちょっとボスキ」
窘めようとするフェネスに、ボスキは「あん?」と反抗的な目を返す。
「最近トレーニングにも身が入ってねぇみたいだし、リーダーがあんなんでいいのかよ」
「それは……」
フェネスは口ごもる。
「これはアイツのためでもあるし、執事全体の士気維持のため、引いては主様のためでもあるんだぜ?」
ボスキは意気揚々と持論を述べる。
「うーんと……」
(なんかうまくごまかされた感あるけど……)
「じゃあまずは、作戦会議だな」
ボスキとアモンは楽しそうに額を付き合わせて策を練り出した。
「もう。その頑張りを普段の仕事で見せて欲しいんだけど」
いつものことだと思いつつも、フェネスは溜め息をつく。
見せたい花?:主視点
屋敷を訪れると、アモンが声をかけてきた。私にどうしても見せたい花があるという。促されるままに辿り着いたのは屋敷の裏庭だった。
「ほら、ここっす」
アモンが示したのは、数々の花の中でも地面を覆うように咲く、紫色の小さな花だった。
「可愛いね」
私はしゃがみ込み、群生する花を覗き込む。アモンもすぐ横で膝を折って屈んだ。そうして花を見つめていたのは、ほんのわずかな時間だったろうか。
「さぁ、主様。綺麗な物は、近くで見た方がずっと美しく見えるっすよ」
アモンはなぜかやたら色気のあるウィスパーボイスでそう囁くと、私の肩に手を載せ、グッと自分の体の方へ引き寄せた。
(え!?)
私の体はアモンの体に密着する。
「ほら主様。もっと寄って」
もはやアモンに抱き寄せられた状態になって慌てている私のおでこに、彼はさらに自分の額をナナメにごちんとくっつけて、至近距離から、怪しく目を光らせた。
今にもキス出来そうなくらいの近さにアモンの顔があって、私の心臓は飛び出しそうだった。このままどうなってしまうのだろう。花々のいい香りに翻弄されて、恍惚とした気分のまま気を失ってしまいそうになる。
「もう少し、寄れるかな……?」
心臓が最高潮に暴れ回っているけれど、もうどうにでもなれという気持ちで、私は目を閉じた。
「アモンくん!」
「うっわ!」
私は驚いたアモンに突き飛ばされるようにして尻餅をついた。アモンも反対側に同じような体勢で跳ね飛ばされている。
「アモンくん、主様にご無礼をしていたのではありませんか?」
見かねて駆け寄ってきたのはベリアンだった。……なんというか、助かった。
「え、ええと。主様の前髪に虫がついてたので、取ってあげてたんすよー」
「そうでしたか」
ベリアンはアモンの嘘にまんまと騙され、ほっと胸を撫で下ろすと、私に手を貸してくれた。私は立ち上がってスカートの汚れを払い、アモンも自力で立ち上がった。ベリアンは、アモンといくつか言葉を交わして行ってしまった。
「あぁあー、今いいとこだったのにー」
さっきのアモンにはびっくりしたが、どうやら普段の調子に戻ったようだ。
「さ、主様。もう充分だと思うので、部屋に戻りましょうっす」
やたらニコニコしているアモン。もう充分? とその言葉が引っかかったが、解放された私はさっさと逃げたかったので足早に部屋へ向かった。
ハウレスの動揺:三人称視点
そんな光景を、ハウレスはたまたま目にした訳ではない。すべては謀られたことだったが、そうとも知らず執事室の窓からふと目についた裏庭の光景に、ハウレスはひどくショックを受けていた。
それに追い打ちをかけたのはボスキだった。
「ハ・ウ・レ・ス。さっきから窓の外ばっかり見て。そんなに主様のことが気になるのか?」
ボスキは嬉々とした様子で、ハウレスの背後から声をかけた。
「なっ、別に。そんなんじゃない」
気にしない素振りを作りながらも気になって仕方ない様子を抑えておけないハウレスに、ボスキはなおも絡む。
「いーこと教えてやろうか?」
「お前が言う『良いこと』なんて信用ならん」
「いや、今のお前にとっちゃあすげえ有益な情報だよ」
ハウレスは無視しようとしたが、ボスキはハウレスの耳元にグイッと顔を寄せてニタリと笑みを浮かべた。
「ハウレス。主様が好きなのは、お前じゃない」
「なっ……」
「アイツの動揺した顔ったらなかったぜ!」
ハウレスが外出中、ボスキは上機嫌だった。アモンも笑いをこらえきれずに吹き出した。
「くっ……ははははは! あのハウレスさんの新たな弱点を見つけちゃって、もうこっちのモンっすね~!」
フェネスは我慢出来ずに眉をつり上げて怒った。
「ボスキ、アモン! 君たちの目的は、ハウレスを苦しめることなの!?」
「それは……」
ボスキは口ごもる。
「そこまでは考えてないっすけど……」
「同じ部屋で生活してて、ハウレスがすごく思い詰めてるってこと、気づかないの?」
「……」
「ハウレス、帰ってくるのが遅いな……」
フェネスは時計を見上げた。ハウレスが「ちょっと風に当たってくる」と言って屋敷を出てから、もう随分経っている。
「心配だから、探してくるよ」
フェネスはそう言うと、日も落ちかけてきた屋敷を出た。
飛び散る流星群:三人称視点
「ここにいたのか」
フェネスの声に、ハウレスはハッと現実世界に帰ってきたように顔を上げた。既に夜になってしまっていることにさえ気づかずにいた。
「フェネス……」
ハウレスは悲痛に顔を歪めていた。そしてその周囲を覆っている空気は、誰が見てもわかるようにずしんと沈んでいた。
ボスキやアモンだけではない、恐らく屋敷の全員がハウレスの異変について気づいていた。その理由まで知っている者は限られるかもしれないが、フェネスもうっすらと予想はついていた。
ナイーブな問題に対し、フェネスはどう切り込んでいいのか悩んだ。時には知らないふりをするのも友情だし、根掘り葉掘り聞かないのが美徳であることもある。
それでもハウレスの深刻さはそんな悠長な優しさでは救えない気がした。このままずるずると深みにはまって、もうその泥沼からハウレスは上がってこれないのではないかという怖れがフェネスを取り巻いた。
「悩み事?」
その言葉が、フェネスに口に出来る最大限の言葉だった。その先のことは、ハウレスに委ねよう。
「フェネス。俺はなんか、自分がダメになってしまったみたいだ」
「ダメって、どうして?」
ハウレスは目を閉じた。すっかりカサカサになった落ち葉のように、触れたらぽろぽろと崩れてしまいそうだった。
「主様への接し方については、ベリアンさんから嫌という程しつけられてきた。その事に疑問は抱かなかったし、俺達の前にそういう方が現れたら、決して失礼のない振る舞いをしなければと練習も重ねてきた。自慢じゃないけど自分は執事の中でもしっかり振る舞える方だと思ってたし、そのことで胸を張れると思って楽しみですらあった」
フェネスの予想に反してハウレスの声は、まだしっかりしていた。
「どんな方だろうかという不安ももちろんあったけど、主様があの方で本当に良かった。優しくて、思いやりがあって、俺のミスも、問題児の執事も、全部笑って許してくれる、素晴らしい方だ」
話の方向が確かに主の方へ向かっていくのを感じて、フェネスはグッと心が引き締められるような気がした。ハウレスが悩んでいるのは、やはり――。
「そう、本当に俺達にはもったいないくらい、素晴らしい人だ。そのことは感謝しなければと思う」
そこでハウレスは、一息ついた。
「でも、素晴らしすぎて、俺は、……余計な気持ちを抱いてしまった」
ハウレスの声が、夜風に溶かされるように薄れていく。
「俺は執事だ。ただの執事。主様のお手伝いをして、お守りするだけの……」
ハウレスは一言一言、頷きながら、自分自身に言い聞かせるように呟く。
「わかってる。わかってるんだ頭では。……でも、心が制御出来ない」
ハウレスの胸の内側を、無数の思いが駆け抜けていく。最初は優しく穏やかな薄紙だったはずの記憶は、今やその鋭い部分を刃物に変え、ただハウレスの心を流星群のように切り裂く痛みになった。
「フェネス、俺は……」
フェネスはハウレスの横顔を間近で見た。吐き出したい物を腹の中に抱え込んだまま、それを外へは出せない苦しみに満ちた表情だ。
ハウレスは唇を小刻みに動かしながら、抱え込んだ物を一気に吐き出してしまおうとしていた。でもそれをすんでの所で飲み込み、また胸の中で暴れ回る気持ちと闘っては、追い出してしまいたいという気持ちに駆られているようだった。
フェネスは、そんなハウレスを見ているのが辛かった。でも、たやすく「吐き出してしまえば楽になるよ」と言うことも違う気がした。
二人はしばらくそうやって、夜の冷えに耐えていた。
ハウレスの唇の震えがやっと落ち着いたかと思うと、彼は低く小さな声で漏らした。
「今は、一人にして欲しい」
ハウレスの目はまるで曇り空のように濁っていた。いつも戦闘時に見せる鋭い目つきとは別人だった。
「わかったよ」
フェネスは出来る限りの優しい微笑みをハウレスに向けた。
「どうしても辛くなったら、ちゃんと言うんだよ。リーダーが務まらなくなったら、みんながまとまらなくなるんだから」
「すまない……」
フェネスは、ハウレスがそう言いつつも、きっとまた抱え込むんだろうとわかっていた。
フォロー役と言いながらも、結局自分には一番大事な部分は救えない、そんなことを思い、自己嫌悪に陥るフェネスだった。
具合が悪くて:主視点
ハウレスを指名しても、ベリアンに「ハウレスくんは今、具合が良くなくて」と断られるようになった。他の執事も、ハウレスの話題はあからさまに煙に巻く。私は表面では気にしない素振りを見せながらも、薄々勘づいていた。
――ハウレスが、私を避けている。
ハウレスだってハウレスの事情があるし、ハウレスを取り巻くもっと広範囲での執事の事情も関係しているのかもしれない。執事達が伏せている限り、こちらの世界のことに対して、私がしつこく突っ込む訳にはいかない。
そうは思っても、心配だったし、それ以上に、悲しかった。
屋敷に来ると、明らかにハウレスの気配はする。廊下で見かけることだってあった。それでも、面と向かって話が出来る機会には巡り会えず、どう〝具合が悪い〟のか、私に出来ることは無いのか、どうして急に避けられるようになったのか、それらが常に頭に浮かんで、気持ちが重たくなった。
何より苦しいのは、ハウレスに嫌われたのではないか、と思うことなのに、そのことを確認するための手段も方法も無く、ただ最悪の想定にうなされるような、重く気怠い屋敷生活が続いた。
「主様、大丈夫ですか? 顔色が優れないようですが」
フェネスの言葉が、以前ハウレスがかけてくれた言葉に重なって、私は思わず涙ぐみそうになった。
「あの、主様……」
ハウレスと話が出来なくなってから、どれだけの時間が経ったのだろう? もう限界だった。私はフェネスを前に、弱みを吐き出した。
「フェネス、私ね……、ハウレスに、嫌われたのかな……?」
そう言い切る前に、涙は溢れてしまっていた。なんでこんなふうになってしまったのだろう? 私が何をしたのだろう?
「主様」
フェネスは知っているのだろう、ハウレスが私を避ける理由を。私に対する不満を、苦手な部分や許せない部分を、もしかしたら毎日のように聞かされているのかもしれない。そんな仲のいい彼にこんなことをぶつけても、困らせてしまうのはわかる。これまで他の執事からもそうされたように、今回もはぐらかされるに違いない、わかってる。でも、フェネスの優しい雰囲気を前に、私は我慢が出来なかったのだ。
フェネスは、雪解け後に姿を現すけなげな花のように微笑んだ。
「ご心配なさらないでください。そろそろハウレスも、落ち着いてきた頃かと思います。ハウレスがいつも気持ちを鎮めに行っている場所をお教えしますので、行ってみてください」
ハウレスに会える――胸がドキリと、高鳴った。
勘違い:主視点
ハウレスは、夕陽の壁紙の中央で、静かに影を落としていた。久々に見た彼の立ち姿は懐かしく、美しく、他の誰も私をこんな気持ちにさせはしないと思った。
この光景が見られただけでいい。そう思うくらい、いつまでも見ていられる絵だった。
それでも私は意を決し、ハウレスの名前を大声で呼ぶ。
「ハウレスッ!」
「あ、ああ……ぁ主様っ!」
よほど驚かせてしまったのか、ハウレスの声が異様な程にひっくり返った。道中あんなに不安と恐怖でいっぱいだったのに、思わず私は笑ってしまった。
たまらず駆け寄り、彼の正面に立つ。もう顔も見たくない程嫌われてるのかと思いきや、ハウレスは目をぱちくりさせて私を見つめるばかりで、そこに嫌悪の色は見て取れなかった。
「フェネスに、教えてもらったの」
「フェネスに」
「そう。教えてもらったというか、許可してもらったというか」
私は自嘲気味に笑う。
「許可?」
「だって、ずっと私を避けてたでしょう?」
ハウレスはきょとんとした。
「執事のみんなで、私をハウレスに会わせないようにしてた。それがさっき、解禁されたの」
ハウレスはやはり何度も瞬きをして、私の言わんとしていることを飲み込もうとしているようだ。
「違うの?」
するとハウレスは、ぽかんと開けていた唇をしっかり結び、目の焦点を私にしっかりと合わせた。
「主様、そんなふうに思わせてしまっていたのですね。申し訳ありませんでした」
そう言うとハウレスは、いつもの完璧な気配りぶりを発揮して、足下に敷き布を広げて私を座らせた。そして自分もすぐ隣に腰を下ろした。
「毎日ずっとここで、考え事をしていたのです」
「考え事?」
「はい、主様のことを」
胸がドキリとした。
「二ヶ月程前の自分は、すごく不安定でした。でも、やっと落ち着きました。自分の中で、受け入れる覚悟が出来たのです」
「受け入れる覚悟?」
ハウレスはそれには直接答えず、不意に語り出した。
「俺は生まれてこの方、女性とお付き合いしたことはありません。幼かった頃はずっと、トリシアの世話でいっぱいでしたし、軍人になってからは、鍛錬に夢中でそれどころではありませんでした」
「あんなに貴族の女性にモテるのにね」
「それは……」
ハウレスは、夕陽に負けないくらい顔を赤くした。
「自分でも、何であんなに声をかけられるのか、わからないのですが……」
案外自分の事って見えてないんだな、と改めて思う。
「だってハウレスは剣が強いし、それに……」
続きを聞きたそうにこちらに意識を向けるハウレス。でも一度飲み込んでしまった言葉は、容易には口から飛び出してこない。飛び出させることも出来ない。どんなに強く思っていても、言える訳がないじゃないか。
――カッコいいから。……なんて。
照れと顔の熱味を隠そうと、私は組んだ両腕の中に顔をうずめた。
ずっと、ずっとこうして二人の関係は、併走する列車のように流れてゆくだけなんだろうか。私はただ守られるばかりでドキドキして、その向こう側に手を伸ばすことは出来ないんだろうか。こんなにこんなに想いは溢れそうで、今にも触れられる場所に彼はいるのに、彼にこの気持ちを打ち明けることは許されないんだろうか。
彼らが主と執事の関係に縛られているのが執事側だけの都合なのなら、私はその決まりを破っても構わないんじゃないだろうか。別に私は拘束されたくてこの世界に飛び込んだのではない。主を守る義務も、主に従う決まりも、彼らが定めたルールだ。私は来たい時に来て、自分の都合だけで帰る。私は自由だ。何にも縛られない。
顔を上げると、ハウレスが心配そうにこちらを見つめている。彼の心の動きも息づかいも、確かに伝わってくる。ハウレスはきちんと心を持って、考えを持って、〝生きて〟いるのだ。
それを感じ取ると、自分の感情的な事情だけでこの世界の秩序を破壊してしまうことへの抵抗が生じた。心のままに任せた一瞬の過ちが、彼らを、もっと言えばこの世界を壊してしまうことはわかっている。
私はもう一度、ハウレスに悟られないよう、静かに溜め息をついた。
「主様が好きなのは、アモン、ですよね?」
「え……!?」
予想外の言葉に、続きの言葉が出てこなかった。なんで? なんでそうなる? と記憶を遡り、ピンと来た。
「まさか、あの時のこと、見てたの?」
「はい。部屋の窓から、丸見えでしたから」
かあっと顔中が熱くなる。そんな私を見て、ハウレスは嬉しそうに、でも少し寂しそうに微笑う。
「いいんです、主様が幸せなら、俺はそれで」
なんとなく読めてきた。ハウレスは私を嫌っていたのではなく、私に関わる何事かで悩み、私を避けていた。そしてそれには、あの時の裏庭事件が少なからず関係している。確かなのは、ハウレスは巨大な勘違いをしているということだ。それをなんとか取っ払わなければ。
「それとも、フルーレですか?」
「ハウレス……」
なんだろう、呆れてしまう。ちょっと空気というか、恋愛のニュアンス感というか、読めない人なのか? っていうか私、結構ハウレスの前でわかりやすく照れてたよ? あれももしかしてバレてない?
私は大きく溜め息をついた。鈍感さんに対して取れる手段は一つしかない。
「ハウレス、私が好きな人はね」
ハウレスは息を飲んで身を固くする。
「ハウレスだよ」
ハウレスは意味を理解するのに少し時間を要していたが、咀嚼が完了すると、みるみる顔を赤らめた。
そんなハウレスを見ていられなかった私は、照れ隠しに立ち上がり、睨むように正面の夕陽を見つめた。たぶん私も、頬が夕陽焼けして真っ赤になっている。
「ずっとハウレスに憧れてた。カッコイイな、って、ずっと思ってた。こんな私の傍にいてくれるのが申し訳ないくらい、本当にカッコよくて、胸がドキドキして、会いたくて仕方なかった」
ハウレスは私を見上げたまま、動かない。
「みんなもきちんと主と執事の境界線を守ろうとしてくれてたし、私がこんなこと言うのはダメなことだ、ってわかってる。でも、真実なんだもん、どうしようもないじゃん」
ハウレスは何も言わない。二人の間に、どんどん沈黙が広がっていった。そこで私は、自分が過ちを犯してしまったことに気づき、勢い任せの自分の言動を悔いた。でも、口から出たことを取り消すことは出来ない。
急に心に冷たい風が吹いてきた。何を調子に乗って、ハウレスに打ち明けてしまったのだろう。ただの私の一方的な想いなのに。ハウレスはただ勘違いをしていただけであって、私から好かれているかどうかなんて、全く興味もなかったろうに。
私は自分の肘を抱きかかえて、キリキリと苛む胸の痛みに耐えた。さっきまであんなに熱かったのに、急に寒い。恥ずかしくて寂しくて、顔を上げられそうにない。
「主様」
追いかけるように立ち上がったハウレスの声が、ゆっくりと耳をなぞった。
「お許しください」
そう言うなり、ハウレスは私の肩を力強く引き寄せた。なすすべもなく、彼の胸の中にすっぽりと覆われる。全身がハウレスの腕の中で、ジンジンと焼けていく。
「執事がこんなことをして許されることが無いのは分かっています。でも、我慢ならない。俺は主様のことが、好きで好きでたまらないのです」
ハウレスが込める力は痛いくらいで、身動きも取れない私の体はただ焼かれるままだ。
「ものすごく悩みました。何度もあなたのことを諦めようと思いました。でも、そんなことは出来なかった。忘れようとすればする程、気持ちが募って苦しくなるのです」
自分の体だけでない、ハウレスの体も、燃えるように熱い。
「リーダーの俺がこんなんで、他の執事に示しがつきません。でも、どんな処分でも受け入れる覚悟でいます」
そう言うとハウレスは体を離し、私の顔をじっと見つめた。心の内部から見透かすような、深い視線で。
ハウレスは本当にカッコいい。その目や口や髪の毛が、声や仕種や笑顔や振る舞いが、すべてが私をこんなにこんなにドキドキさせる。
「主様……」
やがてハウレスはその整った表情を歪ませたかと思うと、今にも壊れそうな顔をして、無我夢中で唇を押し当ててきた。接した部分が焼けただれそうな程熱い。
今にも心臓がはち切れそう――。
彼の熱い吐息が顔を覆ってくる。ハウレスは何度も何度も飲み込むようにキスを押し重ねてきた。もはや我慢ならないというかのように。そして、どれほどの数の口づけを受けたのか数えることも出来ないくらいにキスを交わした後で、やっと彼は少し身を離した。ハウレスは全身で息をしていた。
「主様、俺で良ければ、どうかお傍にいさせてください。俺があなたを守ります」
私は目に涙を浮かべたまま出来るだけの笑顔を作って、ゆっくり頷く。
「ハウレス、大好き」
「俺もです」
私とハウレスは、磁石のように体をピタリと合わせて座りながら、並んで丘の向こうを眺めていた。ハウレスの右手が、私の外側の肩をしっかりと包んでくれている。夕陽はとうの昔に沈んで、夜風だけが二人の様子を窺うように通り過ぎた。こんな遅い時間まで私とハウレスだけが戻らずにいて、他の執事からはあらゆる嫌疑を掛けられているに違いない。でも、ハウレスの隣で感じる心地よさで脳がぼんやりして、そういう面倒臭いことは全く気にならなかった。
「ハウレス、ずっと勘違いしてたんだね」
「悩みましたよ。一度不安になると、もう全員が怪しく思えてしまいました」
「私は、ハウレスに見合う女性になりたくて、フルーレに綺麗になる方法を教えてもらってたの」
するとハウレスは、愉快そうに笑い出した。
「主様も、とんだ勘違いですね」
「え?」
すぐ傍にあるハウレスの笑顔が、ダイレクトに目に飛び込む。
「主様は、本当にお綺麗ですよ。外見ばかりでない、心もお綺麗だから、こんなに魅力的に見えるのです。他の誰にも渡したくありません」
もったいない程の言葉に、胸が熱くなる。
ハウレスがまた、私の唇を欲したそうに熱い吐息を漏らす。こうやって今夜は何度、彼と想いを交わせば足りるのだろう?
満点の星空が二人を見つめていた。二つの勘違いの先に結ばれた想いの行き先をなぞるように。
ハウレス編 終わり
ハウレスについて(桃花的感想)
ハウ様について
最強の剣士。執事としての振るまいは完璧で品があり、真面目で向上心もあるみんなのリーダー。のクセに初対面の女性にはまごつき、家事はすこぶる苦手。こんなオイシイ設定があるかっ!!・・・惚れるしかない。
ささやかな疑問
好物はマナナマフィンの生クリームのせと激辛鍋。普段はマドレーヌを食べているので甘い物が好きなのかと思いきや、メインストーリーのここぞという所では激辛鍋が重要アイテムとして機能している。
ハウ様は甘党なの? 辛党なの? どっち?
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