【体験談】「夢を飛ぶ」〝夢操作〟について 〜自由に操れるならどんな夢を見たい?〜

アイキャッチ(夢操作) エッセイ
筆者
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(投稿時はフライングですが、)皆さんは、もう初夢は見ましたか?

なんだかんだで、私は毎年何が初夢なのかわからずに、明けた年が過ぎていってしまいます。

初夢というものは、昔のいわゆる夢占いだったのでしょうね。

でもナスビの夢なんか見た日には、私はその年1年が微妙な感じになりそうな気がしてしまいます……。

お断り:この記事はあくまで自分の体験談に基づくもので、ちゃんと調べたりしてません。(だからやり方とか、別で紹介してるのとは違うかも。)
本格的に知りたいという方は、別の所でも調べてくださいね。

まえがき

色とりどりの個性を持つ生物であるという意味で、人間は皆変人であると言えるが、

“自覚ある変人”として、少々変わった体験を1つ、面白おかしくご紹介しようと思う。

飛行の可否

「人は空を飛べるのだろうか?」

この問いに、多くの人は「YES」と答えるだろう。なぜなら、飛行機があるからだ。

あの巨大な鉄のかたまりが空を飛ぶなんて、びっくりだ。理屈を知っていても、やはりちょっと信じがたい。それでいながら、安全性も極めて高い。

2025年2月の時点で、飛行機が事故を起こす確率は10万分の1というのだから驚きだ。これは、年間で交通事故に遭う確率(0.4%。250分の1)とは比べものにならないくらいに低い。人類の技術の進歩というのはすさまじいものだ。

しかし、こう答える人もいるだろう。

「あれは機械を使っているだけであって、人は自力で飛ぶことはできない。」

そう、人は翼を持たないのだ。空を飛べるのは天使アンパンマン(もっといいたとえはなかったのかよ)ばかりであって、自分の意志と身体からだで空を飛んだ生身の人間は、(恐らく)未だかつて存在しない。

誰しもが自由に空を飛んでみたいと夢想する。太古の昔から、そんな憧れを込めた物語や象徴は数多く存在する。皆一度は、自分の体で思う存分飛べたらどれだけいいだろう、と思いながらも、それはあくまで空想で終わる。

しかし、人は道具も機械も使わずに空を飛ぶことができる。

そう、夢の中で〝飛ぶ〟のだ。

〝夢操作〟

夢の中で、どうしたきっかけがあってそうなるのかはわからないが、「あ、これ夢だ」と気づくことがある。そうしたらこっちのものだ。

夢だということは、自分の頭の中で思い描いている出来事を、自分が体験しているということ。つまり、頭の中の映像を切り変えれば、体験できる事柄も変えられるということだ。

この考えに瞬時に思い至った私は、すぐさま体験したい出来事に意識の照準を合わせることにした。

「これが夢だったら飛べるはず。飛んでみよう」

パッとそう思ったら迷いなく、私は体を浮かせた。ああ飛べる、と思いながらぐんぐんその高度を増す。体は軽く、何の力もエネルギーもいらない。使うのは意識の力だけ。そうして思い通りに自分を動かせることをしっかりと認識して、私は何の障壁しょうへきもない空を自由自在にかけた。向きも、進路も、スピードも、進み方も、すべて意志と体の動きとが一致した。寸分の狂いもなく。

私は思うがままに空を飛んだのだ。滑るように、さまようように。時に止まり、時に風に流されながら。

そのすがすがしさ、心地よさといったらなかった。思い通りに空を飛べる。こんなに気持ちのいいことがあろうか。

当然、夢だから、いずれ目覚める。それでも私は空想の空の中を、意識が現実に呼び戻されるまでの間、縦横無尽に飛び回ったのだ。

「今自分は夢の中にいる」と気づけば、見ている夢を思い通りに操れる。

私はそれを勝手に〝夢操作〟と名付け、楽しんでいた。

明晰夢めいせきむという正式な名称があるということは、この記事を書くに当たって事後的に知ったことだ。

明晰夢:夢の中で「これは夢だ」と自覚しながら夢を見ている状態。

この原理からいくと、空を飛ぶだけじゃない、もうありとあらゆることを体験することが可能なのだ! しかも夢の中だから、何をやろうが現実世界に影響することはないなんという〝夢のような〟話だろう!

高校生だった当時、私はかなり頻繁にこの機会に遭遇していたのだけど、いつも気づけば空ばかりを飛んでいた。やろうと思えばどんなことだって体験することができるし、生じさせることができる。それでも私は、様々な飛行体験(練習?)を積み重ねていた。

この話をすると、同じ部活だった子は無性にゲラゲラ笑って聞いていた。

こんな秘密を教えたら、「え、それどうするの? 教えて」とかってなるもんじゃあないの?

まぁ、だからといって何かが変わる訳でもないし、旅行に行ってきた話、とかと同系統で、ただの面白話として受け止められる程度(もしくはそれ以下)のものかもしれない。

特徴とコツ

念のためにご説明しておくが、〝夢操作〟をするにはちょっとしたコツがある。意識したことを思い通りに実現させるミラクルを生じさせるのにも、少々手間が掛かるのだ。とはいえ、次のことを知っておくだけで成功率を上げることができる。

これから〝夢操作〟にチャレンジしようという方(!)のために、その注意点をいくつかお伝えしよう。

「夢だ!」とハッキリ知覚してはならない。

夢であることに気づくと目覚めてしまいやすくなるので、ここでしっかりとした明晰夢を保ち続けるためには、夢だと気付いていることを、〝夢に〟悟られないようにしなければならない。つまり、夢の中にいる自分は夢であることに気づいていない状態(意識の一部?だけが気づいている状態)でい続ける、という、極めてバランスの難しい意識状態を保つ必要がある。

その微妙な手加減(意識加減?)が難しかった。よくよく失敗して、話や意識は続いているのに映像がすごく薄くなっていったり(その後覚める)、夢から離れて空想してるのとほとんど変わらない状態(結局起きてる状態)になったり、飛ぶ力が弱くなったりもした。

そう、〝夢操作〟はしくじると魔法のような〝思い通り操作力〟(飛ぶ場合は飛行力)もガタ落ちするのだ。

不思議なもんだ。でも、ある種のゲーム性もあっておもしろい。うまくいくかどうかは、意識の保ち方次第だ。

無理に思考を操作してはならない。

夢だと気づいた直後、「やった夢操作できるぞー!!」と張り切って、目の前で生じている展開を無視して無理矢理切り替えてはならない。バツンとチャンネルが切れるように、そこで夢が停止して、目覚めてしまう。できるだけそれまでの話の流れや目の前の事物、人物、光景などをおびやかさないように、徐々に切り替えてゆくのがベストである。あくまで〝夢に〟悟られないように、というのが鉄則だ。脳は急激な変化を嫌う、という習性は、ここでも適用されるらしい。

明晰夢見るぞ!と意気込んではならない。(仮説)

実験した訳じゃないので何とも言えないが、たぶん「見よう」と思って見るものではない気がする。私は〝夢操作〟した際は、一度も寝る前に「見るぞ」と思ったことはない。気づくと遭遇している、そんな感覚だ。

印象的だった明晰夢

私がたぐまれな文章力を持つ叙情じょじょう詩人やら作家やらであれば、ここぞとばかり彩筆さいひつ鮮やかに素晴らしい情景をえがき出せるんだろうが、そこは涙をむしかない。(ごめんね。)できる限り伝わりやすく、経験した通りに書き表すように努めることにする。

印象的だった明晰夢(飛んだ編)

第3位 【思い通りに】飛んだ夢

まぁ明晰夢の基礎的なものだ。これ、普通の〝空飛ぶ夢〟と何が違うかって、自分が進みたい、と思った方向に、思っただけで自由に飛翔できる、ということなのだ。まさしく思い通りに飛ぶ! 基本中の基本。

夢操作で何を操作したらいいか迷った方は、まずは空を飛んでみよう。思い通りに飛べたなら、〝夢操作〟成功だ。

第2位 【宇宙】を〝飛んだ〟夢

さて、明晰夢も結構当たり前に出来るようになる(!)と、様々に試してみたくなるものである。上昇する、はやった。高いビルや建物の間を移動して飛び回るのもやった。そして新たな場所として思いついたのは、「宇宙」だ。

今や宇宙空間にも進出しようと苦心している人類だが、夢だから、「大気圏が」とか、「酸素が」とかいうわずらわしい問題はまるで考える必要はない。宇宙を飛びたい、だから飛ぶ! これで十分だ。

しかし、この時はそんなにうまく飛べなかった気がする。というのも〝夢操作〟自体にちょっと手こずった回だったから、時間も短く、映像も薄かった。地球は見た気がするし、星々の煌めく暗い空間の中を進んだ記憶もあるが、ちょっとイマイチだった。次に機会があれば、もう一度試してみたい。

第1位 【水中】を〝飛んだ〟夢

一番気持ち良かったのがこれ! 体感というのはうまく言葉に表すのが難しいものだけど、この夢はダントツで〝気持ち良かった!〟明晰夢だと断言出来る。まず、夢を操れることがそもそも〝気持ちいい!〟ことなのだが、それを駆使して飛んだ中で、これは最高に素晴らしかった! 出来るものなら私はもう一度【水中】を〝飛び〟たい。

場所は、今の実家に引っ越す前に暮らしていた祖父母の家の近くだ。小さな川が流れ、傾斜の急な土手がそれを挟んで続いている。祖父母の家から十メートルも行くと、川を渡る狭い橋が架かっている。土手には高い方にも低い方にも緑の雑草が一面に生えていて、私は夢の中で、その土手の上の所に一人でいた。

ああ夢だ。そう気づいた私は、いつもやるように体を宙に浮かせて上昇させた。天気は良く、空が青い。ぐんぐん上っていっていつも見る景色のアングルが変わると、私はすごくいい気分になった。向こう側の方に見える橋の上を行き交う車の流れも、今や足の下だ。

ビュンビュンと二滑走くらい空を滑った後、私はふと思いついて、水の中に突っ込むことにした。その川底は浅く、子供の脚でも入れたりするくらい(小学校の頃一度そこで魚取りのようなことをしたりもした。水かさが増したり中央は流れが速かったりと、危険でもあるが。)なのだけど、やはりそこは夢で、高い空からカワセミのように突っ込むと、川の中は海のように広かった

飛び込んだ後の水のきらめき。水中は青い光の粒で出来ているかのように美しかった。無数の泡が夢のようにキラキラと踊り、魚の群れみたいに水面へと逃げていく。そんな綺麗で心地よい水の中を、私は自由自在に〝飛ぶ〟。

水の中だから、「泳ぐ」というのが正しいように思えるけれど、あの体感は〝飛ぶ〟だった。「泳ぐ」ではない。「泳ぐ」というのは、体を必死に動かすことによって前進したり向きを変えたりすることだけど、あの時私は一切の体の運動を必要としなかった。思った場所に、思った速度で、思った移動の仕方で進むことができるのだ。グンとスピードを出して突き進むことも、水中で止まって揺らぐ水面から空を見上げることも、藍色の場所まで深くもぐることも、すべて意志一つでできる。

いや、考えてみれば、「飛ぶ」というのも体の運動が必要な行為だ。「泳ぐ」よりももっと高い運動量が必要かもしれない。それでもやはり、あの時の感覚は〝飛ぶ〟であって、「泳ぐ」とは言えない。

当然息継ぎを心配する必要もない。水の中で私はどうやって酸素を取りこんでいたか不明だけど、酸素も不要だったのだろう。水圧の心配も無用だった。とにかく気持ちよくて、思い通りに動けて、信じられないくらいに綺麗で、最高だった。空よりも水中の方が飛ぶのに気持ちがいいというのは不思議だけど、体に清らかな水の当たる感覚とか、(ちょっとはある)適度な水圧の抵抗感とかが心地よかったからかもしれない。どんなに巧みな水泳選手でも、長時間手足を動かすことなく思った通りに水中移動はできないしね。加えて、ジブリ映画にまさるとも劣らぬ美しい光景が印象的だったこともあるだろう。

私は水中から空へと飛び上がって滑るように飛行し、また確かめるように水中にも飛び込み、その両方の感覚を快く味わいながら、思う存分〝飛んだ〟。

明晰夢の見方(推測)

ここまでお読みになった方の多くは、「自分も見たい!(夢を操って自由自在にハチャハチャしたい!)」という野望(もとい妄想)を抱いている方がほとんどだろう。

よろしい、伝授してしんぜよう。

……などと偉そうにのたまえればいいのだけど、なにぶん本人もどうやって見たのかわからん

なので、どうしても推測するしかない。

しかし、経験者なので予測は立てやすいはずだ。

そこで、明晰夢の発生条件を、自分自身の経験を踏まえて環境や心理面などから探る。

頻繁に夢操作をしていた高校生の頃の自分を思い出してみよう。

あの時の心理状況としては、悲惨の一言に尽きる。毒親の圧政で精神的に限界の日々だった。毒親については他記事でも少し書いているが、あの頃「もう無理」のレベルだった。私自身の不安定なお年頃というのもあったのかもしれないが、常にストレスフル状態だったと思う。

さらに、学校から帰宅後、夕食と入浴を終えたら3時間だけ寝て(21~24時)、あとは朝まで勉強(起きられなくて寝過ごしたり、あまりにきつくて朝方一時間くらい寝たりもした)という、私にとってはかなりハードな学生生活を送っていた。要はたぶん、クタクタだったんだと思う。

ちなみに、夢判断なるものでは、「空を飛ぶ夢」を見る心理状態は、

【抑圧からの自由を求めている。】

のだそうだ。(諸説あり)

当時の心境としては、まさにピッタリだった。

(自分の意志で飛んだのだから、厳密に言えば判断出来ないのかもしれないけど。)

私は逃げ出したかった。でも(精神上も環境的にも)縛り付けられていて無理だった。

私は自由になりたかった。身も心も。とりわけ、耐えがたい親の心理的圧殺にはもはや耐えかねて、発狂寸前だった。(ほぼ発狂してたかも。)

服装も食べ物も友人も行動も勉強も進路も全部全部親の言う通りにしないといけない、そのストレスから逃れたくて逃れたくてどうしようもなかった。

私は私が思ったように生きたかった……。

そんな私は、〝夢を飛んで〟いたのだ。

以上から推測される条件は次の通り。

  • 身体的には限界状態
  • 精神的にも限界状態
  • 睡眠量として不足状態
  • 欲望に対する強烈な抑圧がある
  • 思い通りにいかないストレスを我慢し続けている

ただしこれはあくまで私の例と体験から推測されることなので、ポジティブな方法というのもあるのかもしれない。経験者の方はぜひ情報提供を!

あとがき

という訳で、〝夢操作〟という夢のようなスキルを駆使できれば最高に気持ちよい体験をすることができるが、その発生条件はかなり厳しい……。見ることのできない時の方が幸せなのかもしれない。

筆者
筆者

今はもう明晰夢を見なくなった。

夢に関するものは、無意識の抑圧とか心理的ダメージとか、精神的に参っている時に不思議な現象が起きることが多い(と思う)。

夢も見ないくらいにグッスリ眠れているのは幸福なことだ。

あのリザードンですら、水中は飛べないに違いない!

少しでも面白いと感じていただけたら、拡散していただけると嬉しいです!

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